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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

二次創作と換骨奪胎

創作のためのメモである。

テレビアニメの「サザエさん」の脚本は、最初から二次創作である。
つまり、長谷川町子の原作による設定やキャラクターが最初からあり、その設定とキャラクターを使って物語を作るわけで、これはまさしく二次創作であるわけだ。
「サザエさん」に限らず、原作つきのアニメやテレビドラマの脚本は二次創作に近いが、ストーリーまで原作に依存した脚本は二次創作ではなく「脚色」である。職人性は求められるが、脚本家の創造性や創作欲は押し殺す必要がある。しばしば批判される、「原作離れ」したアニメ化は、脚色であるべきところを二次創作にしてしまい、しかも原作の個性や独自性まで捻じ曲げたものだろう。「サザエさん」ではそのようなことが許されず、設定やキャラの個性は絶対だ。だから、複数の人間が脚本を担当しても、同じ作品個性が保たれる。

さて、完全にゼロから作品を作るより、二次創作のほうが容易に作りやすいというのは多くの人が賛同するだろう。だからこそ、ネットにはアニメ作品などを元にした二次創作小説が多いのである。もちろん、原作への愛から作られているものがほとんどだ。中には、原作には希薄なエロ要素を拡大した二次創作小説もある。読む人は自分が良く知っているアニメキャラを想像しながら、エロ小説を読むわけだから、想像力の乏しい人間でも想像を喚起しやすい。

で、二次創作の考え方を拡張して、優れた作品を換骨奪胎する、ということになれば、これは非常に多くの秀作に見られるもので、おおげさに言えば、あらゆる創作は先人の模倣による二次創作である、と言えないこともない。

やや強引な事例が多くなると思うが、少年ジャンプ作品を例にとる。

「ドラゴンボール」は「西遊記」の換骨奪胎、というのはすぐに分かる。
「ワンピース」は「宝島」の換骨奪胎、はやや強引か。
さらに
「ハンター×ハンター」は「不思議の国のアリス」の換骨奪胎、と言うと賛同する人はほとんどいないだろう。だが、「奇妙な論理の一貫した、奇妙な世界を描く」という点で、私は「ハンター×ハンター」から「不思議の国のアリス」を連想するのである。主人公は少女ではなく少年になり、少年もの(ジャンプ作品)の必然としてバトル要素が大きな要素となるから、本質的類似性は見えなくなるというわけだ。まあ、我ながら強引な論だとは思うが。

「ワンピース」は海賊が出てくる以外は「宝島」との類似性は無いだろう、と言われるかもしれないが、そこが換骨奪胎の換骨奪胎たるゆえんだ。
まず、主人公の少年を超人にする。これは、読者の願望実現であり、少年漫画の基本だ。
そして、「何かの宝を得る」という最終目標は、まさに「宝島」そのものだ。これまた読者の願望実現だ。
違いは、上陸する島はひとつではなく、幾つもあり、出遭う敵も島ごとに違うから、話がいくらでも引き延ばせることだ。これは、ヒットした作品はいつまでも伸ばすというジャンプ編集部の要求にもっとも応えやすい設定である。だからこそ、あんなにあきれるほど長い連載になったのだ。
そして、一番の違いは、戦う敵ごとにキャラクターをきちんと設定し、その過去のストーリーも作っていったことだ。つまり、短編を続けて長編にする「千夜一夜物語」パターンである。

実は、私は「ワンピース」をほとんど読んでいないしアニメも見ていない。以上は、私が耳にした範囲から想像したことである。

長くなったので、とりあえず今回はここまでとする。

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