前橋地裁の判決が物議(写真/EPA=時事)

写真拡大

 高齢ドライバーによる事故が社会問題化するなかで、前橋地裁で下された無罪判決が物議を醸している。裁判長が発した“異例の言葉”は、高齢ドライバー問題をいっそう複雑にするものだった。

【現場写真】事故現場になった前橋市内の市道

「人を殺してもいいのか!」

 その判決が告げられた後、傍聴席から怒号が飛んだ。

 事件は2018年1月、当時85歳の男性が運転中に意識障害に陥り、対向車線の路側帯を自転車で走っていた女子高生2人をはねた。高校1年の女性が死亡、高校3年の女性は一時重体となった。

 公判では、被告の長男が父親に罪を受け止めてほしいと「無罪ではなく、実刑にしてほしい」とまで陳述していた。

 しかし、前橋地裁は3月5日、自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)に問われた被告(87)に無罪判決を下した。

「争点は被告に『運転を控える義務』があったのかという点でした。物損事故を複数回起こしていた被告は、低血圧によるめまいや意識障害の症状が出たことがあり、家族から運転しないよう何度も注意されていた。検察側は運転を控える義務があり、過失責任があるとした。しかし判決では『正常な運転が困難になることは予見できず、運転を控える義務を負わせることはできない』と結論づけた。事故の4か月前に運転免許証が更新されたことも、予見可能性を否定する一因とされました」(全国紙司法担当記者)

◆「刑法理論に基づけば」

 判決後、傍聴席から上がった怒号に、国井恒志裁判長は、「事案の真相を見誤ると同じような悲劇を繰り返すことになる。被告個人に事故の責任を課すことはできない。これは悲劇を繰り返さないための無罪判決です」と声を詰まらせながら異例の“説明”をした。

「車椅子で出廷した被告は補聴器をつけていても耳が遠いようで、判決には“無罪……わかりました”とだけ語った。その様子からも、2年前とはいえ、高齢者講習をよく通ったなという疑問の声もありました。裁判長が最後にわざわざ付け加えた発言は涙声で、予想される感情的な批判に、先回りして反論しているようにも聞こえました」(同前)

 悲劇を繰り返さないための無罪──この発言が報じられると、ネット上では〈意味がわからない〉〈この判例のせいで悲劇が繰り返される〉など多くの批判が上がっている。

 女子高生の遺族も「運転すべきでない状態の人が運転を思いとどまるきっかけになるような判決を期待しておりましたので、大変残念です」とコメントを発表した。

 高齢ドライバーの事故が相次ぐ中での無罪判決には、法曹関係者でも受け止め方が分かれている。

「無罪判決を世間の人はとんでもないと批判しますが、刑法理論に基づけば、まともな判決です」

 そう語るのは、交通事故弁護士全国ネットワークの加藤克朗弁護士だ。報道を見た限りでの意見としてこう続ける。

「意識がない中での行為は犯罪行為には当たりません。だから、突発性の脳梗塞や心筋梗塞で事故を起こした場合、罪には問えません。

 今回は、意識がない状態を招いたことについて争点となっていますが、裁判長が『事故の予見可能性は認められない』としたのは、薬の副作用によって意識を失うとは考えられなかったという主旨です。医師から明確に『薬を飲んで車に乗ったら意識を失うかもしれないから、運転してはいけない』と注意されていれば犯罪に問える可能性はあったが、本人がそれをわからなかったとされた。

 今回の無罪判決はあくまで刑法理論に基づくもの。世論に裁判所が乗るのは社会にとってもよくないことです」

◆「裁判官の資質の問題」

 一方、高齢ドライバー問題が大きく議論されるきっかけとなった池袋暴走事故(2019年4月)で亡くなった母子の遺族の代理人を務める高橋正人弁護士(「関東交通犯罪遺族の会」顧問)はこう語る。

「事案の真相を見誤っているのは裁判長自身で、悲劇を繰り返さないためには『有罪』にするべきでした」

 そうしてこの判決を厳しく批判した。

「被告は家族からも運転を止められており、それまでにめまいの自覚もあったそうなので、運転中に意識が朦朧とすることは自分で予測できるはずです。『予見可能性が認められず、運転を控える義務を負わせることはできない』とした裁判官の判断は、一般の経験則からずれていると言うしかない。

 裁判長の判決後の言葉は“私は有罪にしたいが、法制度に不備があるから、こういう無罪判決になるんだ”ということを言いたかったのかもしれない。しかしこれは法制度ではなく裁判官の資質の問題で、検察が控訴すれば高裁で判決は覆るのではないか」

 悲劇を繰り返さないための議論は、罪の重さにおいても終わりが見えないようだ。

※週刊ポスト2020年3月27日号