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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

咳と喘息

「東海アマ」ブログ記事の一部である。
私は間質性肺炎ではないが、昔から軽い喘息体質で、今でも「あっ、咳が出るかもしれない」という予感があると、ほぼ確実に激しい咳の発作がある。つまり、神経性の発作だろう。咳の薬もたいていは神経性のものだから、薬屋では覚せい剤扱いに近い対応になっている。
下に書いてあることの一部は、私の症状に近い。特に、寝ている時の体勢で咳が出たりするのは一緒である。横になった時、そして眠りに入る直前が一番咳の発作が起こりやすい。つまり、交感神経と副交感神経の交代の時に発作が出るようだ。
咳が出やすいことと喘息は違うようだが、「咳」を病気とする場合、どう表現するべきなのだろうか。少なくとも、私の場合はかなり慢性的なので、病気としても良さそうだ。

(以下引用)


 そして私は、新型コロナではないが、2014年頃から肺線維症を発症し、現在9年目である。
 私の発症原因は、2011年頃から突然、家の周囲に目に見えないほど小さなユスリカが大発生し、2013年頃から呼吸にベルクロラ音と乾咳がつきまとうようになった。
 伏線として、私は子供の頃からアトピー体質で、しょっちゅう喘息発作を起こしていたこと。2011年フクイチ事故で8回福島県の放射能汚染地に向かい、防御なしで、数千の土壌サンプルを集めて測定したこと。
 若い頃、石綿吹きつけ現場などで作業した経験があることなどが関係あるかもしれない。

 また、激しい咳発作の時、家に不可解な黒い煤のような化学物質が大量に入り込んでいた。調べて回ると、近所に住む嫌がらせマニアのAという老人が、なにやら真っ黒な物質を燃して、大量の煤を出していたことを目撃した。
 Aは私が見ていることに気づくと、大慌てで燃すのを中断して引っ込んだ。たぶん私の激しい咳の音を聞いて、さらにダメージを与える目的でやったのだろう。

 このとき、私の体に奇妙な白斑が出ていた。調べると、ヒ素中毒の症状に似ていた。もしかしたらAが、井戸にシロアリ用ヒ素を投げ込んだのではないかと疑ったが証拠はない。
 そこで敷地内の井戸の回りに電線を張って200Vの電流を流したら、数日後の深夜「おっ」という声が聞こえ、電源切断が起きた。配電盤のハンダが溶けていて、近所の電気屋を呼んで修復してもらった。
 それからAは、手に火傷を負ったようで、しばらく医者に通っていた。これは2020年頃のことだ。通った病院名も分かっているので、カルテを見れば真実が分かる。

 2014年には、わずか2mの階段を一気に上がることさえできず、布団も上げられなくなった。
 現在も、草刈り機を扱っていて、呼吸困難で気を失いそうになるほどだ。
 まともに片付け仕事さえ続けられず、一人暮らしの私の家はどうみてもゴミ屋敷になってしまった。
 パルスオキシメータは、90~96程度を上下している。ときには80台を示す。

 普通に起きているときは、それほど呼吸困難を感じないが、寝て横向きになったり、強い筋肉活動をしたりすると、激しい息切れを起こす。
 寝てるとき息切れを起こすと、上半身を厚い布団にもたれかけて体を起こし気味にしないと寝られない。こんなときは、酒の力を借りないと眠れない。
 数年前からは、朝方、背中に強い違和感を感じて、まるで背中が石の板になったような感覚があり、痛みを感じて寝ていられなくなる。
 肺線維症は、肺の背中側に起きている印象がある。

 特発性肺線維症の発症からの5年生存率は20~40%であり、私が調べた2013年時点では、10年生存者はなく、大半の患者が5年程度までで死亡すると書かれていた。
 https://pro.boehringer-ingelheim.com/jp/product/ofev/diagnosis-and-treatment-of-idiopathic-pulmonary-fibrosis

 そこで、私は死を覚悟したのだが、交通事故での医療体験などから、医師に命を委ねることは逆に命を縮める結果にしかならないと判断し、どうせ死ぬのだから自家治療に専念することにした。
 自分の命は、自分でコントロールしたいのだ。

 間質性肺炎=特発性のIPF肺線維症の診断、治療マニュアルは以下のとおり。
 https://pro.boehringer-ingelheim.com/jp/product/ofev/ild-international-clinical-practice-guideline-2022

 簡単に言えば、診断は①30ミリシーベルト被曝のCTスキャン ②X線肺撮影 ③肺穿刺細胞診 
 治療は、①ステロイド ②ピルフェニドン ③ニンテダニブ ④呼吸トレーニング
 なのだが、私がアメリカなど海外の症例と治療法を調べていて、確実に肺線維症の余命を伸ばす効果があるのは、呼吸トレーニングしかないと判断した。

 上の確定診断方法は、すべて肺線維症にとって、サイトカインストーム(急性増悪)を引き起こす大きなリスクのあるものばかりで、私は96歳の母が無謀な肺穿刺によって死亡したこともあり、「医療など受けたら、検査だけでも殺されてしまう」と確信した。
 欧米先進医療では、日本のような危険な検査偏重に批判があり、間質性肺炎の主な治療は、呼吸トレーニングを重視している。
 欧米の医療は、検査治療の押しつけではなく、リハビリを第一義に置いているのだ。

 そこで、私は、自分の肺線維症の治療法を、呼吸トレーニングを主体にし、検査やステロイド、投薬など一切頼らないと定めた。
 トレーニングとはいうが、実際には近所の山をハイキングするだけのことで、台風や大雨を除く年間350日程度を山歩きにあてた。

 このとき、標高差100~200m、歩数6000~1万歩を目安にした。
 間質性肺炎の呼吸能力は、健常者の半分程度であることが多く、逆にいえば、二倍呼吸すれば同じことができることになる。
 家では、ちょっとしたことで息切れを起こしていても、ハイキングコースは、苦しみながらも歩き続けることができた。急傾斜では、健常者の何倍も時間がかかるが、必死に呼吸しながら、なんとか毎日歩くことができた。

 歩き始めて数年は苦痛ばかりだったが、やがて、体が慣れて余裕を持てるようになった。しかし、期待した肺胞細胞の再生は、たぶん起きていない。
 それでも、血液の酸素保持能力が上がること、酸素交換の総合的な能力が、体内で、だんだん合理化されて、なんとなく呼吸能力が回復したような感覚があった。
 でも、回復したと喜んで、高い山に行ってみたら、途中、酸欠で意識を失いかけ、数時間も動けなくなったことがあった。

 この山歩き呼吸トレーニングの最大の効果は、何らかの理由でサイトカインストームが非常に起こりにくくなり、体内に自家製ステロイドが産生しているように思えた。
 だが、外部からステロイドを投与すれば必ずリバウンド効果があって、自家製体内ステロイドの産生を阻害してしまうように思えた。
 山歩きを始めて、乾咳が起きなくなった。もちろんベルクロラ音も消えた。呼吸能力は進歩しなくとも、酸素保持能力が大きくなった分、これまでできなかった仕事もできるようになった。

 とはいっても、やはり、10年近い歳月のなかで、極めて遅遅ではあるが、薄皮を剥ぐように、呼吸能力が悪化している印象があって、行動意欲が削がれているのは事実だ。
 来年、肺線維症の最長延命記録である10年を迎えるが、まだ延命する十分な自信はないものの、もしかして来年もブログを書いていられるかもしれないという希望はある。

 まあ、医療に頼っても、どうせ死ぬのだからと、ヤケノヤンパチで自家治療に向かったのは、今のところ成功というべきだろう。
 そこで、間質性肺炎、IPFに苦しむ読者のために、私の体験として、「何でもいいから歩け!、とにかく歩き回れ!」と伝えたい。
 一日7000歩を目処に歩けばよい。そうすればサイトカインストームは極めて起きにくくなり、必ず延命できる。

 歩くことの効果を疑問視する意見も出てきているが、歩きの本質は「体液の循環」である。歩くことで、第二の心臓であるふくらはぎを運動させ、下腿に降りた血液を心臓に送り返し、全身の体液の循環を起こすこと。
 血液が循環することで、患部に、修復情報と材料を送り込むのだ。だから、万病の治療法として、体液の循環を挙げるべきなのだ。
 欧米では、現在、医療の主体が「リハビリ医療」になっているが、これも体液の循環を前提にした治療法である。

 肺線維症を抱えた私は、若い頃から山歩きを趣味にしてきたおかげで、普通の人よりも歩くことに抵抗が少なかったと思うが、今は歩きながら、気温の移ろいや季節の移ろいを楽しむ人生の喜びを味わうことができている。
 車で30分以内で海抜1000mのハイキングコースをたくさん抱えた中津川市という環境にも感謝するしかない。

 もしも肺線維症にならなかったなら、これほど自然と融合することができただろうか? と考えると、むしろ病気になったことは私の人生にとって、決して無駄ではなかったと思うようになっている。
 今回は、新型コロナ禍でIPFを発症してしまった人がたくさんいることを前提に、もしかしたら自分の体験がお役に立てるかもしれないと思ってブログにした。
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