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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

男は「美人」にしか勃起しない

古代史のと言うか、記紀の天皇は、どこかに行って「美人がいる」と聞けばすぐに呼んでセックスするという色キチガイだが、これはできるだけ多くの女に手をつけて跡継ぎをたくさん作っておくという血統主義の必然的帰結だろう。ということは、現代の天皇制は第二夫人第三夫人を法的に認めないと存続できないのではないか。
まあ、子孫を残すだけなら何も相手を美人に限定する必要は無いのだが、古代でも美人を男が求めることに変わりはないようだ。これは、要するに男は思春期のガキ以外は「美人でないと勃起しない」という単純な話だろう。ただし、その美人の基準は時代によって変わる。案外、古代にはオタフク顔が美人だったのではないか。現代のアイドルタレントなど、「栄養不良のブス」扱いされたかもしれないwww
なお、下の記事は、「膣閉塞」の記述があるという珍しい例である。

(以下引用)



景行天皇(四)弟媛は鯉の遊戯に誘われて

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原文

四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸美濃。左右奏言之「茲国有佳人曰弟媛、容姿端正、八坂入彦皇子之女也。」天皇、欲得爲妃、幸弟媛之家。弟媛、聞乘輿車駕、則隱竹林。於是天皇、權令弟媛至而居于泳宮之(泳宮、此云區玖利能彌揶)、鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊。時弟媛、欲見其鯉魚遊而密來臨池、天皇則留而通之。爰弟媛以爲、夫婦之道古今達則也、然於吾而不便、則請天皇曰「妾、性不欲交接之道、今不勝皇命之威、暫納帷幕之中、然意所不快、亦形姿穢陋、久之不堪陪於掖庭。唯有妾姉、名曰八坂入媛、容姿麗美、志亦貞潔。宜納後宮。」
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現代語訳

即位4年春2月11日。
天皇は美濃に行きました。
左右(モトコ=側近)が言いました。
「この国に佳人(カオヨキオミナ=美人)が居ます。弟媛(オトヒメ)といいます。容姿(カオ)は端正(キラギラ)しいです。八坂入彦皇子(ヤサカノイリビコノミコ=崇神天皇の息子)の娘です」
天皇は(弟媛を)得て妃にしたいと思って、弟媛の家へと行きました。
弟媛は乘輿車駕(スメラミコトミユキ=天皇の移動のこと)したと聞いて、すぐに竹林に隠れました。天皇は弟媛が出てくるようにと、泳宮(ククリノミヤ)に滞在することにしました。
泳宮は區玖利能彌揶(ククリノミヤ)と読みます。

鯉魚(コイ)を池に浮(ハナ)って、朝夕に臨視(ミソナオ=見る)して遊びました。そのときに弟媛は鯉の遊びを見たいと思って、密かに来て、池を見ました。天皇はすぐに弟媛を引き止めて交わりました。
弟媛は思いました。
…夫婦の道は古も今も交わるもの。しかし、わたしにはそれ(=交わり)が出来ない…
そこで弟媛は天皇に言いました。
「わたしは性交接(ヒトトナリトツギ)の道を望んでいません。しかし天皇の意向に勝てず、しばらく帷幕の中(オオトノノウチ=天皇の寝床)に入りましたが、しかし心の快(ヨロコ)びのないことでした。わたしは形姿穢陋(カオカタナシ=不細工)です。長く掖庭(ウチツミヤ=天皇の後宮があるところ)に仕えるのは耐えられません。ただ、わたしには姉がいます。名を八坂入媛(ヤサカイリビメ)といいます。容姿麗美(カオヨシ=美人)です。志(ココロザシ=性格)は貞潔(イサギヨシ=やさしい)です。後宮に入れてください」
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解説

弟媛は崇神天皇の子の八坂入彦皇子の娘。景行天皇崇神天皇の孫ということは、どちらも崇神天皇の孫です。孫同士が結ばれるというわけです。

鯉で遊んでおびき出して、結ばれるのですが弟媛に「いやちょっと生理的に無理!」と拒絶され、姉を勧められます。それで姉を娶って子供をドッサリと生むのは次のページです。







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神とは何か

日本文化の碩学であった折口信夫ですら、日本の「神」を一神教的な神と同一視していたように思う。日本の神は簡単に争うし、勝ちも負けもする。要するに、「ちょっと変な能力や権力を持っただけの存在」でしかないと私は思っている。
もともと日本書紀では大和朝廷の氏族の先祖を「神」と言っていただけの話(これは言い過ぎだが、細かく論じるのも面倒なのでそのままにしておく。敵部族にも神はいるし、自然物も神である。まあ、「霊威」があると思われた存在が神とされたと言うべきか。)で、その言動は人間そのままであり、弱点だらけであり、人格的にも愚劣なところが多い。そこはギリシャ神話の神々と同じである。
ひと言で言えば、「神とは上(かみ)であり、状況によって仮に上座に置かれた存在である」と思えばいいのではないか。別の言い方をすれば、「他部族に対して、ア・プリオリな優位性を主張するための装置」が日本における神である。
なお、一神教の創造神など、御伽噺の最たるものだが、旧約聖書の神が「人間の道徳を無視した神」であるところは少し凄いと思う。つまり、「(人間の理解を超えた)恐怖の対象」である。だが、そうなると神と悪魔との区別など存在しないwww 

猫の泉
@nekonoizumi
法蔵館文庫5月。「敗戦という未曾有の出来事を「神やぶれたまふ」と表現した折口信夫。やがて〈神〉から〈人間〉となった天皇や、「神道指令」後の日本神道に、彼はいかなる可能性を見出そうとしたのか。…」
⇒中村生雄/三浦佑之解説
『折口信夫の戦後天皇論』













「IQ」をどう考えるか

「ネットゲリラ」愛読者コメントの常連、tanuki氏のコメントだが、IQ一般に関するこの認識はわりと正しいのではないか。つまり、平均が100くらいと大多数の人は思っているだろうが、90前後というのが正しい認識だろう。これは100という数字の「切りの良さ」からくる錯覚だと思う。実際、かなり優秀な人間でも150を超えることは滅多に無いわけで、外国だとIQ平均が80とかされている国もあるようだ。東南アジア各国は比較的IQが高いらしい。それでも90より少し上という程度だったと思う。北欧の国々など知性が高そうだが、東南アジアよりは低いようだ。

私が自分の知能に絶望したのも、中学1年くらいにやったIQテストの結果が110少ししかなかったからで、当時は100が平均と思っていたからである。しかし、90くらいが平均なら、さほど絶望する必要はなかったわけだ。まあ、誇るほどではないから、謙虚にその結果を受け入れれば良かっただけの話だ。
なお、「小学校の成績は知的能力よりも只の習慣です」というのもその通りで、中学以上になると、真面目に課題をこなすだけでは通用しなくなってくる。しかしまた、知的能力というのは可変的なものでもあり、「物事を徹底して考える習慣」のある人間は、多少IQは低くても、学問的分野でも大成できると思う。

(以下引用)



日本人はかつてIQの平均スコアが比較的良かったはずだがそれでも100はなくて90プラスアルファですな。

クラスの秀才君みたいなのは大体110前後くらいで、140くらいあると教育委員会に確か報告してたんじゃなかったか。ただこういうの学校に一人くらいいるが必ずしも勉強ができるわけじゃない。まあ変な子扱いですな。小学校の成績は知的能力よりも只の習慣です。

安倍晋三くらいの軽い知的障害(一応形だけは受け答えできる。意味は伝わっていない)のは80前後ですな。70以下になってくると明らかに相手にこいつアホだなというのがわかる。刑務所だとか底辺職種によくいるタイプです。

私の印象だと小泉進次郎というのは安倍よりかなりアホな感じがしますな。安倍は元は激悪だが多少は教育の効果(失敗だが)多少みられるが、変人小泉が家庭教育に熱心なんてこともないだろうし。

まあ世襲議員は世代が増すたびに知的能力が低下していく。痴民党の根治できない病ですな。






正しい歩き方と立ち方

私は中学校くらいから間違った歩き方をしていたため、中年以降にその弊害で膝を悪くしてしまったのだが、小さな習慣が長い年月には大きな影響を与える、ということだ。
ちなみに、その間違った歩き方とは、両足を平行にした形で前に出すというもので、正しい歩き方とは、自然に立った時の状態、つまり両足が「ハ」の字を逆にした状態のまま、前に出すというものだ。これが人間の骨格に合った自然な歩き方である。
ついでに言えば、ファッションモデルのように脚全体をまっすぐ棒のようにして歩くのもおそらく間違いで、正しくは、膝を数ミリ曲げた状態で着地させるべきだろう。そうでないと着地のたびに膝に衝撃がかかる。美的ではないが、膝にゆとりを持たせるほうが健康的な歩き方だと思う。高野文子の漫画の人物が、そのような歩き方をしていたが、高野文子は元看護婦だっただけに、そのあたりを知っているのかもしれない。他の漫画家で、膝を少し曲げた歩き方をキャラにさせている例は見たことがない。つまり、「美的でない」からだろう。
なお、ここ数年私が心掛けていることは、「なるべく踵を地に付けない」ことである。
これは、猫や犬などの四足動物の足とは、人間で言えば爪先部分で、つまり彼らは常に爪先で歩き走っていることになるからだ。人間でもジャンプしたり走ったりする時には実はほとんど爪先だけを接地させている。(ジャンプや走りの着地の際に踵は接地するが、それは「体重を受ける」だけであり、地面を蹴る、つまり力を生み出すのは爪先だけである。)踵を地に付けるというのは、人間が二足歩行をする便宜上生まれたもので、極端に言えば、二足だけで立って静止する状態を維持する以外には踵を地に付ける必要は無いのである。
爪先だけで立ったり歩いたりする利点は、行動が慎重になるという心理的メリットもある。狭い台所などで行動する際に、「踵を付ける歩き方」と「爪先立ちの歩き方」では慎重さに大きな違いが自然に生まれるものだ。
さらに、爪先だけで立つことで、腹筋に小さな負荷がかかり、それは腹筋を使わない生活をしている現代人にはいい運動になる。さらに言えば、肛門括約筋も締まる。これは東洋的健康法でよく言われるポイントである。
おそらく、子供のころから「爪先立ち」を常に心がけるだけで、健康だけでなく運動能力も二割から三割くらいは増進するのではないか。私に男の子がいたら、それを教えたのだが。





性的行為と犯罪

この手の事件は山ほどあって、新聞種になるのは氷山の一角なのだろうが、なぜ性犯罪というのがこれほど多いのか、という問題の参考として保存する。特に、「いじめ」という言い方で犯罪を矮小化し、問題化を避けるのは学校という組織が意図的に広めてきた気がする。
まあ、私自身、思春期には性欲の塊だったから、偉そうなことを言うつもりはないが、頭の中で妄想するのとその性欲を犯罪的行動、あるいは明白な犯罪に結びつけるのは大違いだろう。まして、大人になっても性犯罪を犯すのは、これはサイコパスであると言えるが、社会的地位を利用してその種の行為をする人間は多いようだ。
ちなみに、私は今、「道徳」が生まれる以前の社会についての物語を書きたいと思っている。具体的には、儒教や仏教が普及する以前の日本社会の話で、「古事記」や「日本書紀」には道徳のカケラも無い。まさに、「欲望→行動」の世界である。秩序を作るのは物理的力か権力しかない世界である。道徳は「共同幻想」でしかないが、それが無いと野獣の世界になる。


(以下引用)


女子中学生の服脱がせ、動画撮影し拡散 横浜市でいじめ

3/6(金) 21:20配信

カナロコ by 神奈川新聞

 横浜市教育委員会は6日、いじめ防止対策推進法に基づく重大事態調査の結果、市立中学校で1件、小学校で2件、いじめがあったと認定し、調査した報告書を公表した。中学校では、女子生徒が同級生から服を脱ぐよう要求されるなどし、その様子を撮影した動画が近隣中学校まで拡散されていた。
 
 報告書などによると、中学2年だった女子生徒は2015年6月に2回、同級生の女子生徒5人に校外の多目的トイレに連れて行かれ、上半身を触られたり、服を脱ぐよう要求されたりした。同級生の1人が、一部始終をスマートフォンで撮影。動画を5人で共有した上、同級生に転送するなどした結果、同学年の男子生徒や近隣中学校の生徒まで拡散した。生徒は不登校になり、その後、転校した。

【写真】超小型カメラでスカート内を盗撮、1ミリ未満の穴にレンズ

 学校は6月末に同級生の保護者から連絡を受けるまで、把握していなかった。学校は対策委員会を開くとともに警察に通報し、市教委にも報告。警察は児童相談所に通告した。

 調査した市いじめ問題専門委員会は被害生徒の精神的ケアも含め、学校、教育関係者らだけでの対応には限界があると指摘。被害生徒側が申し立てるまで、市教委がいじめ重大事態として扱わなかった点も問題視した。

 小学校の1件は、15年当時小学2年だった男児を巡る事案で、学校関係者と弁護士ら第三者でつくる「市立学校いじめ防止対策委員会」は、被害児童の保護者が申し立てた12件のうち、3件をいじめと認定。保護者が学校に不信感を抱いた背景に「組織対応の遅れ」を挙げた。

 小学校のもう1件は、17年当時小学4年だった女児が、同じ学年の女児に前髪を切らされるなどし、不登校になった。専門委は担任がほぼ一人で対応していたとし、学校や市教委がチームで対応していれば、事態が改善した可能性があると指摘した。

神奈川新聞社