忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

老人の睡眠

ゆうきまさみのツィートだが、私の場合も似ている。
なぜ睡眠が短時間しか続かないのか、不思議だ。その短時間睡眠で十分に眠れたらこんないいことはないが、残念ながら数時間でまた眠くなるので不便なのである。
私の場合、最初に四時間ほど、二度目の睡眠が二時間から三時間くらいだろうか。二度目の睡眠は眠るというよりウツラウツラしているだけという感じである。
まあ、これでは通常の社会生活と言うか、普通の仕事はできないだろう。

(以下引用)


仕事終わると、チョー眠くて布団に入るわけです。ところが2〜3時間で目が覚めちゃう。仕方がないから起き出して、ボ〜っとしているうちに腹が減ってくるので、何か食ってまたボ〜っとしてるとまた眠気が来て布団に入る。するとなんと「おお! 8時間眠れてしまった!」

PR

カメムシ対策

長い記事なので一部のみ転載。
まあ、ハッカやミント系の匂いの防虫剤を窓際に置くのが一番現実的対策か。

(以下引用)


カメムシの侵入を許してしまうと室内で大発生したり、何より強烈な臭いを放つため部屋の中に入れたくない方も多いはずです。でも、何も対策をしなければカメムシは部屋の中に入ってくるため、4つの予防対策を実践してカメムシの侵入を阻止しましょう。

①部屋の中の隙間を塞いでカメムシの予防対策をする

部屋のカメムシ対策をするなら隙間ふさぐことです。部屋の隙間の例をいくつか挙げると、エアコンの排水パイプ・通気口・換気扇・室内の壁のヒビ割れなどがあります。虫はわずかな隙間から室内に侵入しますが、カメムシも例外ではありません。

カメムシの場合は『2mmの隙間』があれば室内へ侵入することができるため、部屋の中の隙間をふさげばカメムシ対策ができます。

エアコンの排水パイプ周りにわずかな隙間があれば、パテで隙間を塞ぎましょう。室内の壁のヒビ割れもパテで埋めることができます。一方、通気口や換気扇は空気を通しながら隙間をふさぐ必要があるため、換気扇カバーや不織布などで覆いましょう。

タミヤ メイクアップ材 エポキシ造形パテ 速硬化タイプ 100g 87143

¥ 1,097(2019/10/29時点)

②アロマの香りを部屋に漂わせてカメムシの予防対策をする

アロマの香りを活用するとカメムシ対策ができます。とは言っても、アロマなら何でも良いわけではなく、カメムシが嫌いな香りを部屋で使わないと予防対策ができません。ではカメムシが嫌いなアロマの香りを5種類ご紹介します。

・ティートリー
・ゼラニウム
・ローズ
・レモングラス
・ミント

アロマの香りでカメムシ対策をする方法は、『アロマランプ』と『アロマの原液を染みこませた物を置く』2パターンです。アロマランプは部屋中に香りを漂わせることができたり、気分に合わせて香りを変えながらカメムシ対策ができるのがメリットです。

一方、アロマの原液を染みこませた物を置く場合は、『コットン』や『小さな布』にアロマオイルを数滴垂らし、穴が開いている蓋付きの容器などに入れて風に飛ばされないようにしましょう。置く場所は、カメムシが侵入してくる可能性がある『玄関』や『窓の近く』が良いです。

アロマの香りでカメムシ対策をする場合は、『匂いを継続して放つ必要』があります。特にアロマの原液を染みこませた方法は時間が経つと香りが飛ぶため、定期的にアロマオイルを垂らさないといけません。

生活の木 エッセンシャルオイル ティートゥリー 10ml

¥ 1,111(2019/10/29時点)

③ハッカやミントの芳香剤を部屋に置いてカメムシの予防対策をする

アロマの香りでカメムシ対策をするのも良いですが、ハッカやミントの芳香剤を部屋に置くのもおすすめです。ハッカやミントは爽快感がありスースーした香りが特徴ですが、カメムシにとっては不快でたまりません。

ハッカやミントの芳香剤の良いところは、封を開けて部屋に置くだけでカメムシ対策ができることです。匂いの持続期間は使用状況や商品にもよりますが、約1ヶ月~2ヵ月は持つでしょう。

ハッカやミントの芳香剤を使ったカメムシ対策は、アロマオイルのように定期的にオイルを垂らして香りを補充する手間がありません。好きな香りを選んだり気分に合わせて香りを使い分けることはできませんが、簡単にカメムシ対策ができます。

ピレパラアース 防虫力おくだけ ハーブミントの香り [置き型 1個入]

¥ 334(2019/10/29時点)

「濃厚接触文化」の起源

「ナショナルジオグラフィック」記事で、この会社は科学的記事の取材を名目としたスパイ活動をしていると私は見ているが、時々面白い科学記事を書くことはあるし、素晴らしい写真撮影技術を持っているのは良く知られている。


(以下引用)


感染の原因、私たちはなぜ知らない人と握手するのか?

平和の意思表示? 細菌を共有できるほど相手を信頼している証という説も

2020.03.18
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
紀元前9世紀、バビロニア人と握手をするアッシリア王シャルマネセル3世をかたどったレリーフ。握手は古代の美術品にたびたび登場するモチーフだ。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 私たちははるか昔から、友情を示したり、商取引を成立させる際に、握手やキス、ハグをしてきた。ただし、他人に触れるという行為は、不適切なものも相手に伝えてしまう。

 新型コロナウイルスの感染者が増えるなか、フランスでは国民的な習慣となっている頬へのキスを当面控えるようにとの警告が発せられた。世界中のビジネスの場では、握手のかわりにひじをぶつけ合う挨拶が採用されている。

 知らない人と触れ合うこうした習慣は、いつどのように始まったのだろうか? かつての感染症の流行の際に変化はあったのだろうか?

 握手の起源として有力な説は、平和の意思表示として始まったというものだ。互いの手を握るという行為は、武器を手にしていないことの証になり、その手をゆさぶることで、相手が袖の中に何も隠していないことが確認できる。

 世界各地に残る古代の壺や墓石、石版などには、数多くの場面で握手のモチーフが登場する。結婚の場面はもちろん、神々の契約、戦士が戦いに赴く場面、死者が死後の世界に到着する場面にも、握手が描かれている。文学作品である『イーリアス』や『オデュッセイア』にも登場する。

 一方で、握手はその万能さゆえに、描かれている場面の解釈が難しくなる。「握手は今日でも人気のあるモチーフです。現代人もまた、握手を複雑かつあいまいなものだと感じているからです」。美術史家のグレニス・デーヴィズ氏は、古典美術における握手の使われ方についてそう述べている。

数千年前から、握手はさまざまな目的のために用いられてきた。写真は遊説中に支持者と握手を交わすロバート・F・ケネディ上院議員。(PHOTOGRAPH BY BILL EPPRIDGE, THE LIFE PICTURE COLLECTION/GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 米国で握手が広まったのは、18世紀のクエーカー教徒の影響が大きいと思われる。階級や社会的な序列に関係なく振る舞おうとしていた彼らは、当時一般的だったお辞儀や帽子を脱ぐといった仕草よりも、握手の方が挨拶としてより民主的だと考えた。

「クエーカー教徒は仲間内で握手を習慣としており、それを今日の私たちと同じように、地位に関係なく誰にでも用いるようになった」。歴史家のマイケル・ザッカーマン氏はそう書いている。


 握手が廃れない理由を科学的に説明しようとする試みもある。2015年、イスラエルの研究者たちは、数百人にのぼる見知らぬ人同士の握手を撮影するという実験を行い、参加者の4分の1近くが、握手の後で手の匂いを嗅いでいたことを発見した。これについて研究者らは、握手は人間が無意識のうちに化学信号を検知するために行っている行為であり、他の動物たちが互いの匂いを嗅ぐのと同じ、コミュニケーションの手段なのかもしれないとの仮説を立てている。

 挨拶としてのキスにも、同じく豊かな歴史がある。キスは初期キリスト教に取り入れられ、宗教儀式の中で用いられた。「『ローマ人への手紙』の中で、聖パウロは信者たちに『きよい接吻をもって、互いにあいさつをかわしなさい』と命じている」と、アンディ・スコット氏は自著『One Kiss or Two: In Search of the Perfect Greeting(キスは1回、それとも2回:完璧な挨拶を求めて)』に書いている。中世において、キスは忠誠のしるしとして、また財産の移譲などの契約を結ぶために用いられた。(参考記事:「なぜ男は“ウェット”なキスをするのか」

 フランス語で「ラ・ビズ(la bise)」と呼ばれる頬への軽いキスは、現在、世界のさまざまな地域で定番の挨拶となっている。「ビズ」の語源は古代ローマにあると言われる。ローマではキスの種類によってそれぞれ個別の呼称があり、比較的穏やかなキスは「バシウム(basium)」と呼ばれた。パリでは、頬へのキスの回数は2回が一般的で、プロバンス地方では3回、ロワール渓谷では4回となる。頬へのキスはエジプト、ラテンアメリカ、フィリピンなどでも普及している。

 14世紀のペスト流行の際にラ・ビズの習慣は廃れ、復活したのは400年後のフランス革命の後だと考えられている。2009年にも、豚インフルエンザのせいでラ・ビズは一時的に行われなくなった。2020年2月末、コロナウイルスの拡大を受けて、フランス保健相はこう呼びかけて挨拶のキスを控えるよう求めた。「社会における物理的接触を減らすことが求められており、これにはキスの習慣も含まれます」

 ロンドン衛生熱帯医学校の行動科学者、ヴァル・カーティス氏は自著『Don't Look, Don't Touch(見るな触るな)』の中で、挨拶としてキスや握手が行われる理由のひとつとして、細菌を共有できるほど相手を信頼していることを示すというものが考えられると書いている。だからこそ、公衆衛生上の懸念事項がある時期とない時期に応じて、こうした習慣は流行したり、廃れたりするわけだ。(参考記事:「ペットとのキスはどれほど危険なのか?」

 看護師のリーラ・ギブン氏は、1929年に学術誌『American Journal of Nursing』に投稿した研究において、腕を高く上げて指を軽く触れるそれまでの挨拶が廃れ、握手が好まれるようになったことを嘆いている。ギブン氏は、握手が容易に細菌を拡散させることを示す過去の研究を引用しつつ、手は「細菌の媒介者」だと警告した。

 この研究の結論としてギブン氏は、友人と挨拶を交わす際には、当時の中国人が挨拶に用いていた自分の両手を組み合わせる仕草を勧めている。「そうすれば、少なくとも自分の持つ細菌を自分のもとから出さずに済みます」と、論文にはある。

参考ギャラリー:新型コロナ、非常事態ベネチアの厳しい現実、写真7点(画像クリックでギャラリーへ)
ベネチアのリアルト橋を消毒する作業員。前日の20年3月10日、イタリアのコンテ首相は新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、イタリア全土に移動制限を適用するという先例のない措置を宣言した。(PHOTOGRAPH BY STEFANO MAZZOLA, AWAKENING/GETTY IMAGES)

文=NINA STROCHLIC/訳=北村京子









漫画家の画力とデッサン能力

根拠のない話をするが、「デッサンが上手い人」で漫画の大家になった人は少ない気がする。大友克洋などがその少数の例だと思うが、その代わり人物キャラの顔に魅力がまったく無い。まあ、それは意図的なものかもしれない。「アジア顔」を美的に誇張しないで描いたのは戦略的に選んだことなのだろう。あるいは美形キャラを描くのが苦手、もしくはつまらないと思ったからではないか。美形キャラでなくても、人物キャラで魅力のある顔がまったく存在しない漫画というのも珍しい。美形キャラをほとんど描かなかった平田弘史でも、魅力のある顔は描いたのである。(なお、漫画「AKIRA」の題字は平田弘史に頼んだものだと言う。平田弘史は書家としても優れている。)
いずれにしても、漫画は「頭の中にあるイメージ」を外に出すもので、「外界(外物)を見たままに描く」デッサンとは似て非なるものであるというのが面白い。

なお、下のツィートの「予備校」とは美術学校予備校のこと。

(追記)ブログ作成画面ではコピー状態がおかしいが、載せてみる。下のツィートは「芸術家のはしくれ」らしいが、その絵の実作過程動画を見ると、精密画が得意のようだ。ツィッターには、この手の「スーパーリアリズム」作成動画はたくさん見られる。そして、その大半に言えるのは、精密に描く技術は凄いが、描かれた内容が、「なぜこれを描いたのか」が理解できない、まったく魅力の無い対象であることだ。つまり、「お前の美意識はどこにある」と言いたいような、魅力の無い人物や物の絵がほとんどなのである。優れたクリエイターの最大の要件は「観察する能力」「作る能力」以前に、「感動する能力」「審美眼」にあるのではないか。

自分を芸術家の端くれだと思うのなら、常にブルーオーシャンを求めて動くべきだ。 あらゆる業界が右肩下がりの今の日本は新しい勢力が台頭しやすい土壌が整っている。 若手にとってこんな良い時代はないと僕は思う。((
竹熊健太郎《地球人》
@kentaro666
漫画家は車を描けと言われたら、とりあえず車に見えるものを描くことができますが、なまじデッサンをやっている人は逆に描けないんですよ。予備校でデッサン一位の友達に「お前よく何も見ないで描けるな」と言われたことがあります。



女性の美意識と性意識の乖離

前に私は「男は(性欲の怪物である思春期を超えたら)美人にしか勃起しない」と書いたが、私が不思議に思うのは、世の女性が実にグロテスクな風貌の男の恋人や妻に平気でなっていることだ。もちろん、それらの男は金力や権力など何らかの「力」を持っているわけで、女性の「生きるリソース」として女性がそのような男に寄生するのはまあ、理解できる。
問題は、そうしたグロテスクな風貌、あえて言えば「ハゲ、チビ、デブ、老人」の男に抱かれて女性は平気なのだろうか、ということだ。それが平気なら、従軍慰安婦などに同情する必要も、強姦された女性に同情する必要も無い、と極論できないか。そのあたりの女性のセックス意識が私には理解できない。まあ、「気分は良くないが我慢はできる」ということなのだろうか。それとも、たとえば剛力は前澤に性的魅力も感じていたのだろうか。
これは、世界や日本の現実が、女性が生きるのに厳しい環境であり、それを改善する必要がある、という問題とはまったく別の、審美眼とセックス意識の問題として私は論じている。もちろん、審美眼は人それぞれであるし、セックス能力と美貌は無関係だ、という面もあるだろうが、美女が実に不細工な男とカップルになっているのを見ると、女性の性意識へのそういう根本的な疑問を抱かざるを得ない。
ちなみに、アニメや漫画などには、悪役を除いて美男美女しかほとんど登場しない。そういう「妄想」の世界とは別の問題として私は論じている。また、女性が男の同性愛を妄想のタネとして消費するのは、女性の「現実のセックスの貧困」と関係があるような気もする。つまり、「搾取される性」としての現実への潜在的な怒りが、「男が女として扱われる世界」への妄想に結実しているのではないか。