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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

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「人はそれぞれの理由で盲目である」

シンプルな諺だが、誰でも心の隅に置いておくといい諺である。

Men are blind in their own cause

「人はそれぞれ独自の理由で盲目である」

この説明の部分に、「あまりにナショナリスト的な者は自分の国の欠陥に盲目である」とある。もちろん、ナショナリストから言えば、それは国家批判的な人間も同様だ、となる。ただ、自分自身のそういう盲目性に常に意識的であるのが、物事を見る姿勢の健全さを保つだろう。
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同じ姿勢を長時間取ることの危険性

「急性大動脈解離」に限らず、長時間座って働く仕事の人は足が衰えるし、下肢の血管が異常を起こしやすいのではないか。まあ、昔は「居職」というジャンルの職人は多かっただろうから、そうした人々は何らかの生活習慣病になることも多かったのではないかと思う。

(以下引用)


ダークファンタジー漫画『ベルセルク』の作者・三浦建太郎さんが5月6日、急性大動脈解離のため54歳という若さでなくなりました。国内のみならず世界中のファンが追悼し、別れを惜しんだと伝えられています。

急性大動脈解離は、心臓が押し出した血液を全身に届ける大動脈(人間の一番太い血管)の内壁が裂ける病気です。そのため、本来の血液の通り道とは別のトンネルができて血流障害が起き、血管が破裂して大出血を起こすこともあります。発症すると胸や背中に突然激しい痛みが生じ、意識を失って、ひどい場合には突然死してしまうこともあります。

■ 急性大動脈解離に襲われた有名人は多い

意外と珍しい病気ではなく、調べてみるとこの病気に襲われた有名人がたくさんいました。古くは昭和の銀幕の大スター石原裕次郎さん。ドリフターズのメンバーでコメディアンの加藤茶さん。落語家・タレントの笑福亭笑瓶さん。タレント・レポーターの大木凡人さん、アンパンマンのドキンちゃん役の声優・鶴ひろみさん、「おしん」や「釣りバカ日誌」に出演していた俳優の塩屋俊さん、ヒット曲「Romanticが止まらない」で一世を風靡したバンドC-C-Bのベーシスト渡辺英樹さん等々です。

加藤茶さんは2006年、名古屋のホテルに宿泊中、胃の周辺や背中、肩、全身に丸太で殴られたような痛みを感じたそうです。帰京後、しばらく我慢していましたが、半月後、こらえきれなくなって大学病院を受診。そのまま緊急入院となり、同年11月、裂けた血管を人工血管に置き換える大手術を受けました。

笑福亭笑瓶さんは2015年12月、ものまねタレントの神奈月さんと千葉県のゴルフ場でプレイ中、突然、背中がのけ反るような痛みに襲われ、ドクターヘリで緊急搬送されました。幸い手術の必要はなく、絶対安静でしばらく過ごした後、2週間で退院できたそうです。

お二人とも、この病を克服して現在も活躍中です。しかし、発症してそのまま亡くなる人や、手術をしたのに助からない人が多いのも現実です。時間が経つほど助かる確率が落ちていくので、突然、胸や背中の激しい痛みに襲われ、倒れた人がいたら、迷わず119番に電話して救急車やドクターヘリを呼んでください。

■ 「座りっぱなし」の影響はあった?

三浦さんの死について、ネットでは「漫画家は座りっぱなしで長時間仕事する職業だから、このような病気に襲われたのではないか」との書き込みも見られました。

長時間座りっぱなしでいたことが、三浦さんの急性大動脈解離の引き金になったかどうかはわかりません。ただ、国立循環器病研究センターのサイトでは、「動脈硬化、高血圧、喫煙、ストレス、高脂血症、糖尿病、睡眠時無呼吸症候群、遺伝などのさまざまな要因が関係すると考えられています」と解説されています。

このうち、高血圧、糖尿病、高脂血症(脂質異常症)は、偏った食事だけでなく、運動不足とも関係の強い病気です。これら生活習慣病を放置していると血管が傷むので、当然、動脈硬化が進みます。それによって大動脈の内壁が傷つき、それが原因で血管が裂けてしまったり、血管に瘤(動脈瘤)ができてもろくなったりすることは、十分に考えられるでしょう。

また、毎日のように締め切りに追われる生活を続けていると、それが強いストレスとなって血圧を上昇させたり、ストレス解消のためについ食べ過ぎて、高血圧、糖尿病、高脂血症を亢進させることも容易に想像できます。執筆業である私自身も締め切りに追われた状態で、長時間椅子に座り続けることがしばしばです。三浦さんの死は他人事ではありません。

■ 世界で一番「座っている」日本人

実際、椅子に座る時間が長いほど、死亡率が高くなるという研究結果も出ています。オーストラリアのシドニー大学の調査によると、1日に座っている時間が4時間未満の成人と比べ、11時間以上座っている人は、死亡リスクが40%も高まるという結果が出ています。また、悪いことに日本人は、世界で最も長い時間座っているという結果も報告されています。

座りっぱなしでいることは、急性大動脈解離に限らず、様々な病気の原因になり、寿命を縮める要因となるのです。ですから椅子に長時間座らざるを得ない職業の人たちは、定期的に椅子から離れて体を動かし、週に3、4回は意識して運動する機会を設けたほうがいいでしょう。

▽引用ここまで。全文は下記でどうぞ
https://bunshun.jp/articles/-/45678

 

化粧品や薬は生活必需品か

化粧品(シャンプーや歯磨き含む)をすべて捨てた女性の体験記の一部である。
おふざけ文体がややウザイが、女性が化粧品をすべて捨てるのは勇気が要るだろう。その点では(実験精神と実行力が)偉い。
結論としては、化粧品も薬(足の爪関係)も使わない生活は、慣れるまで(かなり時間がかかる。)は大変だが慣れたら快適であるらしい。
なお、筆者は他の部分で「歯磨き粉」と書いているが、今どき粉の歯磨きは存在しないだろう。しかし、「歯磨き」では「物」ではなく「行動」に聞こえる。まあ、「玉子焼き」に「玉子焼き」という料理と、「玉子を焼く専用のフライパン的な道具」の意味があるようなものだ。後者は知らない人も多いのではないか。多分「だし巻き卵」を作るのに主に用いるかと思う。
「歯磨き」に関しては、「歯磨き粉」より、私は「歯磨き剤」と言うのはどうかな、と思うが、あまりそういう言い方は聞かない。

(以下引用)

体も頭も「湯」で洗う

まず、シャンプーおよびリンスをやめた。ボディーソープもやめた。

と言うと、え、体も頭も洗わないの? と驚かれることがままあるが、そうではない。「湯」で洗うことにしたのである。理屈としては、基礎化粧品をやめたことの延長ですね。

余分なものを塗らなければ取る必要もなしという貴重な教訓を私は身をもって得たわけで、ならば髪に関しても、いわゆる整髪料を使うことをやめれば湯で洗えば十分ではと考えたのだ。リンスはそもそも髪に何かをつける行為だから、当然それも不要。

ボディーソープも同じ考え方である。体に化粧をするわけじゃなし、さすれば薬剤でゴシゴシ取らねばならぬ何ものもなし。タオルでそっとこする程度で十二分ではないか。

で、ご想像のとおり、いずれもまったくどうということなく今に至る。

……いや正確に言えば、髪に関しては、最初のうちはどうも、洗えども洗えども頭が痒いような気がした。初めてのチャレンジゆえ多少うろたえて、すでにこの方法を実践していた友人に相談すると「慣れれば痒くなくなる」と、精神論のようなことを言う。

でもよく聞くとそうではなくて、痒くなるのは長年シャンプーを使った影響で油を取りすぎて皮脂の分泌が過剰になっているからであり、シャンプーを使わなければそのうち脂が出なくなるとのことなのであった。

実は痒みに負けて数回に一度はシャンプーを使っていたことを告白すると、「それがダメなんだよ! せっかく出なくなった皮脂がまた出てくるでしょ」と諭された。

正直、半信半疑だったが、別に急ぐ話でもない。

助言どおりじっと痒みに耐えていると、数カ月後にはそんな悩みがあったことすらいつの間にやら忘れていた。つまりは、確かに痒みなど感じなくなったのだ。

ほほうと図に乗って、毎日髪を洗うこともやめてみた。夏は大量の汗をかくのでそうもいかないが、近頃では冬は3、4日に一度。何しろこのところ、洗って何日経とうが痒くもなんともない。我が皮脂はそこまで進化したらしい。

彼女の助言はまったく正しかったと言わざるをえない。疑ったりして申し訳ないことであった。今や私が身をもって断言いたします。あなたの頭が痒くなるのはせっせと洗いすぎているからかもしれません!

「無知が幸福なら知ることは愚かである」

この年まで生きてきて思うのは、「無知な人間ほど善良で、幸福でもある」傾向があるのではないか、ということである。つまり、本など読んでいろいろ知っている人間は、世の中の悪の存在を知っているから、人の言葉や行動や物事の裏を考える傾向があるわけで、そうすると、人間関係はあまり楽しくないものになる。まあ、人に騙されにくくはなるだろうが、それだけだ。物を考えるより、他人とおしゃべりしている方が好きだという人間を当然他人も好きになるだろう。すると他人はその人間に好意的にふるまうから、すべて好循環になる。無知は無邪気さに、無邪気さは善良さに通じるのである。我々が子供や小動物が好きなのは、彼らが「自分より下の」知識や知能を持っており、悪意が無いからだ。知識が増えることの悪影響は物事に懐疑的になることで、付き合いにくい人間になりがちなことではないか。まあ、これは単なる仮説だ。知識のジャンルにもよる。
前置きが長くなったが、これは次の諺を持ちだすための前振りである。

Where ignorance is bliss、'ts folly to be wise

「無知が幸福なら、賢いことは愚かである」(記事タイトルでは「wise」を「知ること」とした)
直訳的に訳すなら「無知が至福であるような場所では、賢いことは愚かである」か。

これはトーマス・グレイという詩人の詩の一節らしい。
その詩の末尾を適当に訳すと

「だが、ああ、この若者たちが自分の運命を知る必要などあろうか
悲しみがあまりに遅く来るということもなく、
幸福はあまりに速く飛び去るのに!
物思うことは彼らの天国を破壊するのが常だ
これ以上何も考えるな
無知が至福であるところでは、賢いことは愚かである」

似た諺にこういうのがある。

What the eye doesn't see,the heart doesn't grieve over

「目が見ていないものを心が悲しむことは無い」といったところか。


減資と資本金

単なるメモである。
無知な素人の考えだが、会社設立で集めた資本金は、会社始動や経営のための費用に使った分のカネと無関係に当初の金額のまま「資本金何何の会社」扱いなのだろうか。つまり、現実にはカネが無い会社でも「資本金」という名目だけは当初数字のまま生き続けるのか。
そうだとすると、「ただの看板」である。まあ、おそらく資本金の金額の大きい会社は、「それだけのカネを集めるだけのバックがある」という、ビジネス世界の信用を得るわけだろう。

(以下引用)

減資とは

減資とは、端的にいうと、資本金を減少させる手続きのことです。
会社は、株主から集めた資金を運用して経済活動を行っていきます。会社を設立したときや、期中に資金が必要になったときは、金融機関などの外部から資金を調達します。株主から集めた資金のことを「資本金」といいます。そして減資は、この集めた資本金を減少させます。ただ資本金を減少させるといっても、あくまで帳簿上の動きであるため、実際に発行済株式の数が減少するということはありません。
減資を行う意義には「欠損の補填による経営立て直し」「株主への財産の払い戻し」「節税」の3つがあります。減資には「有償減資」と「無償減資」の2つがあり、それぞれで手続きやメリット・デメリットが異なります。