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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「五輪の書」現代語訳(自己流訳) 地の巻(1)

前置き
「五輪の書」の現代語訳をしてみるつもりだが、体の感覚を言葉で表すこと自体困難な作業だし、武蔵の文章は癖があるので、自己流訳、いわば「超訳」にしかならないことは最初から覚悟の上である。まあ、頭の体操、老化予防くらいのつもりだが、元の「五輪の書」の中には有意義な内容もいくつもあると思うので、不正確な訳でも無意義ではないだろう。怪しいな、と思ったら自分で原書を読めばいいだけである。

「地の巻」

私は兵法の道において「二天一流」と名乗り、数年鍛錬してきたことを初めて書物に書き残そうと思い、寛永二十年十月上旬の頃、九州肥後(熊本)の地にある岩戸山に登り、天を拝し、観音に礼をし、仏前に向かう。生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、この時、年六十である。
私は若年のころから兵法の道に心をかけ、十三歳の時、初めて勝負をする。その相手、新当流有馬喜兵衛という兵法者に打ち勝ち、十六歳にして但馬国秋山という剛力の兵法者に打ち勝つ。二十一歳にして都へ上り、天下の兵法者に会い、数度の勝負を決したが勝利を得なかったことはない。その後、あちこちの国々、土地に行っては諸流の兵法者に行き合い、六十数度まで勝負したが一度も敗北したことがない。その間、年十三から二十八、九までのことである。
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大学生を名乗るケダモノたち

2007年の記事だが、今の若者の1割から2割くらいはこのようにモラルがまったく欠如した人間というか、人間まがいの動物、ケダモノだろう。慶応大学や早稲田大学のレイプサークルの事件があったように、大学生だからマシだろうというのは幻想である。
いや、小学校や中学校くらいまでは、「自分の知らない世界や知識がある」と分かっているから、悪事をするのもためらいがあり、やるのも無知のためという部分があるが、高校大学くらいになると、「分かっていてやっている」からより悪質なのである。つまり、悪事をやっても自分はうまく罰を免れられるという「成功体験」を積んだケダモノになるわけだ。

(以下引用)

「中学生と性交渉」告白大学生 内定取り消し、退学の危機

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   埼玉県の男子大学生(21)がミクシィに、キセル未遂行為を自慢する日記を2007年8月18日に書いていたことが分かった。同時に、駅員に暴言を吐いたことを日記に書き、さらに、自らのブログで女子中学生との性交渉などを明かしたため、2ちゃんねるなどで祭り騒ぎになっている。この大学生はIT企業のSEに内定しているが、大学では退学処分などを、会社では内定取り消しを検討している。

中学生との性交渉、カンニングなどもぞろぞろと

男子大学生がキセル未遂を明かしたミクシィの日記
男子大学生がキセル未遂を明かしたミクシィの日記

   この男子大学生は8月18日、彼女と一緒に、東京ビッグサイトで開かれたコミックマーケットに出かけた。その行きに、りんかい線国際展示場駅でキセルをしようとしたことを、独特の若者言葉でミクシィの日記に書いている。

「当日の朝、俺様Suicaに残りちょっとしか入ってなくて
これ改札通れるか微妙だなーって思って、清算しようと思ったんだけど
清算の列並びすぎwwwっうぇwww
っていうくらい並んでたので、キセルだイェイイェイ!!
って事で彼女の後ろにぴったりくっついて改札を抜けようとしたところ
駅員に止められました(^ε^)-☆Chu!!」(「彼女」は編集部書き換え)

   駅員が大学生のSuicaを調べたところ、不正は発見できず、彼女が突然、謝罪を求めて駅員に怒り出した。そして、男子大学生も、逆切れに便乗して、「お前それがあやまってるって言えんのかよ?誠意もって頭下げろや」などと駅員を恫喝し続けたという。

   この日記は、その後、2ちゃんねらーの話題になり、男子大学生がブログに書いていた過去の行為が次々に暴露された。例えば、男子大学生は、女子中学生と性交渉を持ち、妊娠させた可能性を明かしていた。この深刻な話は、女子中学生からメールで伝えられた。

「3日無視してたんだけどさ、気になってさ、電話したの!!
何か生理来ないとか意味わかんない事言い出してんの!!
『1月は来たんだけど2月と3月来てないんだよね』
なんだお(^ε^)-☆Chu!!
死刑宣告したいのかお(^ε^)-☆Chu!!」

   男子大学生は、さらに、ブログで、医師の診断書を偽造して大学の授業を欠席しようとしたこと、大学のテストでカンニングをしようとしたこと、腐った卵を自宅隣のアパートの郵便受けに突っ込んだこと、などを明かしていた。

「事実なら、社会人としての常識に反しています」
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斫り(はつり)作業のこと

まあ、リフォーム工事の経験の無い人は一生知らない言葉かもしれない。
私は「剥離」のなまった言葉かと思っていた。だが、「はつ」という言葉自体にも「はがす」意味はありそうだ。「り」はやはり「離」から来ていると思う。「斫り」は後で作られた文字でえはないか。
建築作業だけでなく、昔の服飾業界にもありそうな気がする。

斫とは?

読み方:はつり

斫り(はつり)とは、コンクリートを「削る・壊す・切る・穴を開ける」などの作業のことです。
コンクリートを使用している建設現場において、必ずと言っていいほど斫り作業が発生します。

例えば、解体工事の際にコンクリートを壊す作業、修繕工事の際にサッシなどの窓枠に合わせる為にコンクリートを削る作業、リフォームの際に床のコンクリートをカッターで切る作業などがあります。
昔は、コンクリートを割る作業にノミとハンマーを使用して手作業で行いましたが、現在では主にハンマーやドリルなどの電動機器を使用してコンクリートを削ったり壊したりする作業が一般的です。
「斫り(はつり)」という言葉は建設業界の独特な言葉なので、一般的にはあまり使われていません。建設現場などでは耳にする機会があるかもしれません。

大規模修繕工事との関連性

大規模修繕工事には斫り作業がかかせません

ビルやマンション、公共施設などにおいて大規模修繕工事をする場合、欠かせない工事の一つがコンクリートの斫り作業です。よく行われる斫り作業としては、鉄部に塗装を施す際に古い塗膜を撤去する作業があります。古い塗膜が残っている状態で鉄部に塗装を施してしまうと、劣化が進行してしまう為、この作業を慎重に行います。
また、外壁タイルの下地補修工事においてはひび割れが発生した既存のタイルを斫り、新規タイルを貼り直す作業もよく現場で行われます。このように頻繁に行われる作業が斫りです。

大規模修繕工事では、斫りを行う際には振動や騒音の問題も考慮する必要があります。事前にマンションの住人に伝えておくこともトラブル回避には大切なことです。欠かせない工事だからこそ、工事内容を事前に周知しておくとよいでしょう。

批評と礼儀正しさ

何とか樹の文章の一部だが、思考テーマとして面白いので考えてみる。先にその短い部分を引用する。
(以下引用)
批評的でありながら礼儀正しい文体というのがどういうものか知りたい人にはアナトール・フランスの『エピクロスの園』とクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』をご推奨したい。何が書かれているかを理解するよりも先に、彼らの息の長い文体そのものを味わって欲しい。複雑なことを言うためにはそれなりの知的肺活量が必要だということがわかるはずだ。それがわかるだけでも読む甲斐がある。

(以上引用)

「批評的でありながら礼儀正しい文体」というのがよく分からないのだが、批評的であることを「罵倒的」だとか「喧嘩腰」であることと混同している人間が多いという文脈のようだ。
しかし、一流の批評文は礼儀正しいのが普通であり、いや、と言うよりも一流の批評家はまともな人格を持っているからその文章に品位があるのは当然だろう。一時期の日本の文壇の下品な喧嘩は除外する。そういう連中はもともと人格が下品なのである。つまり、アナトール・フランスとかレヴィ・ストロースの文章は私はひとつも読んだことが無いのだが、「批評的でありながら礼儀正しい文体」というのはどの国の文壇でも当然のものだったと思う。しかも、それが「何が書かれているかを理解する」のが困難な「息の長い文体」であるらしいから、まったく読む気にもならない。レヴィ・ストロースなど、「野生の思考」を称揚することで西洋完全優位思想に一撃を加えただけで、その書物を読む必要などあるのか。アナトール・フランスも、既に過去の文学者であり、それより時代の古いディケンズやドストエフスキーが未だに文学的生命を持っていることとは比較にならない雑魚だろう。批評家としても、フランスには有能な批評家はほかにたくさんいるはずだ。日本でも、たとえば小林秀雄や三島由紀夫は、その切り口の鋭さではやはり一流の批評家だったと思う。(小林秀雄は「論理」ではなく「感性」が優れていた批評家である。)

「ウィキペディア」の一部を転載する。つまらないアイデアである。「概念」と「記号」は思考素材機能として本質的に同じであり、記号はより感覚に訴えるだけだろう。つまり、概念に名前や比喩的形象を与えたのが記号である。

野生の思考とは、ありあわせの素材を用いて入り用の物を作る場合(ブリコラージュ)に例えられ、器用人の思考様式と特徴づけられる。それは、眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を持つ別の事象群を連想しつつ、それらを再構成することである。そして、それらの事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せる。それは、理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なものである。両者の相違については、科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」である。

誰もが不快に思いながら、誰も言葉に出さない不行儀

些細な問題だが、公衆道徳のレベルは人によって違う。行列への割り込みなど、平気でできる人間もいれば、絶対にやらない人間もいる。
基本的に、用があって列を離れたら、戻ってきたら最後尾に並ぶのが当然だと思う。逆に、割り込みをしてほんの少しの時間のメリットを得て、人生に何の得があるのか。下品さの垢を心に重ねるだけである。

2006/12/22 22:32

6回答

順番待ちで代表者が先に並び後から友達が横入りするの頭にきます?

政治、社会問題・11,538閲覧

6人が共感しています

ベストアンサー

呉下の阿蒙(ごかのあもう)

2006/12/22 23:51(編集あり)

12人がナイス!しています

質問者からのお礼コメント

体験談を教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2006/12/23 18:45