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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

なぜ超大金持ちは老齢でも若々しくて健康なのか

井口和基ブログの旧記事の一部だが、安倍総理の髪が黒々としているのもそれかwww
いや、冗談抜きで、老人は体中の血液を若者の血液と総交換したら若返るのではないか、と私は思っている。血液は体中に酸素と栄養を送るわけだから血液自体が若さに溢れているか、それとも老廃物だらけで汚物のような血液かは健康に大きな違いを生むだろう。
ただし、吸血鬼のように口で血を吸っても無駄である。消化されるだけだwww
血液全交換には高度な医療技術や医療機械が必要で、カネがかかるはずである。まあ、ECMO(人工心肺)のような技術に近いのではないか。




(以下引用)


自分の若い血が老人に入っていき、老人の廃液のような血液が自分の中に入ってくる。

見かけは子供だが、内部は老人という状態になる。


はたして、本当に老人は若返り、子供は老人になってしまうのか〜〜〜???


というわけだが、実はこの生理現象。分子生物学や発生生物学の世界では周知の事実であった。

その名を「パラビオーシス」というらしい。

とまあ、そんなパラビオーシスについての話が最近少しずつ読んでいる本に出ていたので、メモしておこう。以下のものである。

生物の「安定」と「不安定」 生命のダイミクスを探る
【閲覧注意】悪魔の「パラビオーシス」:富裕層やエリートたちの究極の若返り術だった!?_a0348309_11262055.jpg


その198ページにはこうある。
幹細胞の活性化と不活性化

老化の研究では20世紀半ばから、血液に関して非常に興味深い研究が行われてきた。それは若い個体と老いた個体の血液を交換するという実験である。

ややセンセーショナルにも聞こえるが、この実験は近年も繰り返されてきた。マウスやラットの若い個体と老いた個体とで、互いの血管を縫合して血液を循環させてしまうのである。この実験手法をパラビオーシス(parabiosis)という。

老いたほう、つまり若い血液を入れられたほうは、筋肉や肝臓の幹細胞の活性があがった。また、神経細胞の新生する数を数えると、老いた個体では新生数が上がり、若い個体では新生数が下がるという結果も出た。傷の治りが早まる、細胞が新生するなどの変化が観察されたのである。

端的に言えば、老人の体に若者の血を入れたら老人が若返ったということである。これほどわかりやすく人目を引く研究はそうあるものではない。ここで示唆されたのは、血液中に他の組織の幹細胞を活性化する何らかの物質が含まれているということである。血液中に含まれることから、これを液性因子と呼ぶことがある。

この実験で対象となった傷とは骨折であった。骨折を治すのは骨を作る骨芽細胞である。骨芽細胞は幹細胞ではなく、間葉系幹細胞が分化したものである。早く骨折を治すには、骨芽細胞を増やす必要があるが、そのためには間葉系細胞を活性化しなければならない。

老化とは幹細胞の不活性化であると先に述べたが、若い血を入れられた個体の骨折の治りが早まったのは、この間葉系幹細胞の活性化が起こり、さらにかつが細胞の増加が起こったからである。若い血に含まれる活性化物質は、ある種の液性因子(血漿の中の生理活性物質)であるとみられる。そして、間葉系幹細胞を含むはずの骨髄を移植することによっても、同様に骨折の治りが早くなることがわかった。ただしそれが具体的にどの液性因子であるかは不明のままである。


逆に、老いた血を入れられた若い個体では認知機能が弱まった。これは、老いた個体の血の中に、神経細胞の新生を抑えるような物質が含まれているためと考えられた。

(以下省略)


まあ、この発生生物学の研究によれば、

老人の血液には老化物質があり、若者の血液には若返り物質がある

ということになる。

だ・か・ら

だから、権力者は若い血が欲しい

とまあ、そういうことらしい。


(中略)


というわけで、我々世界の陰謀暴露論者の間では、イルミナティーの重鎮たちは、たとえば、ビルダーバーグ会議のメンバーとか、300人委員会のメンバーとか、CFRや三極委員会のメンバーとか、こういった連中は、若い血と入れ替えているという噂があったというわけだ。

その有名な御仁が
ヘンリー・キッシンジャー博士
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である。94歳にもなったというのに、いまだに世界中を旅している。

あるいは
恐竜目を持つ男ジョージ・ソロス
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である。

定期的に若い血と入れ替える。だからいっこうに知的にも肉体的にも衰えない。元気である。妻も孫ほどの年齢だったりする。

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女神としての少女と性欲の対象としての少女の区別がつかない馬鹿たち

別ブログに書いたものだが、わりといい出来の「小論文」だと思うので、ここにも載せておく。
もちろん、「女神としての少女」は崇拝する側の妄想だが、妄想とは偉大なフィクションの原動力である。性欲(あるいは形而下の事象)でしか物事を考えない馬鹿が多すぎる。


(以下自己引用)表現の細部にわずかに手を入れてある。

一部で有名になってあちこちでリツィートされているものだが、宮崎駿が第一話のラナの描き方に大落胆したのは事実だろう。実際、原画の大塚康夫(字はこうだったか)は第二話以降はラナを描かせてもらえなかったと言う。
まあ、私が見る限りでは、第二話以降もそれほど「美少女化」したとは思えないというか、第一話のラナをとんでもないブスと思った宮崎駿のほうがおかしいと思うのだが、おそらく宮崎の脳内ではラナは「女神化」しており、自分でもどう描いていいか分からず、大塚氏に期待したのではないか。ところが、想像以上に「ブス」だったわけだ。つまり、漠然とした空想上の「美少女」との落差による失望だろう。
大塚氏にとっては非常に気の毒な話で、第一話のラナは海辺で気絶しており、意識が少し回復して顔を上げた途端、巨大なサメの顔と対面し、目を回すのである。その目を回す顔を「美少女」に描け、と言われたのだから理不尽な要求というものだろう。
で、「作品内現実」の次元で考えると、コナンは生まれて一度も女を見たことが無いのである。そういう子供に女性の美という観念があるだろうか。つまり、一目見た途端に、「一生この女のために頑張るぞ」と思うのは、ラナの美しさのためだとしたら、その美の基準は、たとえばおじいの老年顔の醜さとの対比によるものであり、他の少女と比較してのものであるはずはないわけだ。その意味ではラナが「絶世の美少女」である必要性は無い。
まあ、視聴者としては、ラナがブスや平凡な顔では視聴継続する気にもなれないし、宮崎駿もブスなヒロインのためにアニメ作りを延々と続けるのは御免だっただろう。まさに「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」なのである。それは、相手がフィクションの女性だろうが同じだ。
なお、宮崎駿をペドフィリア扱いする馬鹿がいるが、彼は単に少女というものを女性美の極致としているだけで、性欲的な対象としているわけではない。創作においてまで少女を美や崇拝の対象とすることは変態的だ、というのは馬鹿な精神科医(斎藤環)か馬鹿なフェミニストか物まねオウムだけである。
なお、ナボコフの「ロリータ」も、少女を性欲の対象ではなく、崇拝の対象とした物語である。主人公(語り手)のハンバート・ハンバートがロリータをセックスの相手にするのは、相手から誘われたから応じただけであり、しかもそれ以前にロリータは同年齢の少年と性体験を持っていたのだ。


三馬力 @NAUSICAA198403

宮崎駿監督「一話ですが……。僕はもう、一話を見た途端、首を吊ろうかと思った」
「ラナってのはね、コナンが一目見た途端に、 一生この女のために頑張るぞというくらいの美少女でなければならないと (僕は) 思い込んでるのに、すごいブスラナが出て来ましてね」

不倫と買売春

これは上野千鶴子とかフェミニズムの問題というよりは、女性独特の倫理観があるような気がする。まあ、それを倫理と言っていいのかどうか分からないが、一般に女性は「不倫には甘く、買売春には厳しい」という印象がある。その理由を今適当に考察してみると、女性は規則よりも愛情を優先する、ということではないかと思う。だから、不倫も愛情が前提であるから咎めるには当たらない、となるわけだ。夫婦というのはただの「制度」であり不倫の禁止もただの「規則」だから、愛情の前には存在価値はない、となる。つまり、夫婦の間に愛情が無くなれば、お互いに貞操を守る義理も無い、ということかと思う。
一方、買売春は、それこそ「愛情の無い性交」だから、女性は本能的に嫌悪感を感じるのではないか。
私から見れば、行きずりの相手と簡単に性交関係を持つのなら、買売春と何が違うのか、と思うのだが、どうも「カネ」が介在すると性交と愛情が完全に別のものになると女性は思うのだろう。そのくせ、相手(男)からの高価なプレゼントは愛情の証だとするなら、それは変な気がする。

なお、不倫における「愛情」というのは単に相手を肉体的に欲しいと思うことであり、男が性欲に駆られて商売女を買うのと、本質的には何も変わらないと私は思うのだが、女性はそういう考えを猛烈に嫌悪するような気がする。
男の場合は、本気で愛する女とは「結婚したい」あるいは「恋人にしたい」、つまり「自分だけのものにしたい」と思うのであり、行きずりの相手と寝るのは商売女を買うのと何も違いはない。まあ、不倫する男が不倫相手と結婚したいかと言えば、まず八割がたは、「そんなのは御免だ」と思っていると私は推測するwww さらに言えば、既婚者と性関係を持つ段階で、相手の男はその女性(自分の浮気相手)を心の底では軽蔑し、軽視している。まあ、「半額くらい」に価値低下をするのである。もっとも、女の側が性欲充足目的の不倫なら、どうでもいい話である。

(以下引用)


荒井禎雄
@oharan
おいおい、あんた女の不倫は認めてるよな?
以前「母親が不倫している」と相談してきた男子学生に「母親も女だ」と説教したよな?

それってようは「男の自分勝手な性欲」を容認する思想だよな?
まさかそれを分からず言ってるのか?
引用ツイート
上野千鶴子
@ueno_wan
·
日本の社会は男の自分勝手な性欲に寛大すぎる。それに声を挙げると、今度はもっと寛大になれ、と非難がくる。おかしい。「またか」「あるある」という寛大さ(鈍感さ)が岡村さんのような発言を許容してきた。「この程度のこと」に声を挙げつづけて、少しずつ社会を変えてきたのだ、忘れないでほしい。

笙という楽器の玄妙さ

たまたまこの動画(コピーはできなかったが、生鯰(蚊に刺されアヤコ)氏のツィッターで動画が見られると思う。)を見たが、いわば、「ひとりパイプオルガン」という感じである。玄妙で自然の神秘を感じる音だ。まあ、「木星」という名曲(ホルスト「惑星」より。)が笙という楽器に見事に合っているせいもあるだろう。
こういう、邦楽(雅楽)用楽器で西洋音楽を演奏する、という試みは面白い。



保立道久
@zxd01342
笙は本当にいい音だ。これは多くの人が吹くようになるといいと思う。宮内庁楽部の演奏はきいたことがあるが、この方は一人で演奏されているのがいい。立派な楽器だ。それを初めて教えてくれた。
引用ツイート
カニササレアヤコ@UK
@Catfish_nama
·
「木星(ジュピター)」笙で吹きました



アルコール清掃にご注意

まあ、世間の人が案外知らないだろう「アルコール除菌」の問題点だ。
「除菌」ではないが、私も、「蠅や蚊はアルコールで退治できる」と聞いて、殺虫剤より安全でいいやと思ってやったところ、壁や柱の塗装が剥げて無残な姿になるというアホなことをしたwww 家具類の塗装も同じだろう。ただし、確かに蠅や蚊はアルコール噴射で撃墜できる。

(以下引用)

車内除菌時のご注意点
キラキラ
/ この頃は車内を掃除する際、インパネ周りなどを除菌したい方も多いはず。 除菌にアルコール消毒液を使う場合、エタノール濃度が高いとインパネやドアノブ周りが変色する恐れがあります。除菌には、エタノール濃度60%以下のものをご利用ください
イイね