イスラエルでは、超正統派ユダヤ人を中心に新型コロナウイルスの感染拡大が深刻になり、9日現在でイスラエル保健省によれば、感染者は9755人、死者は79人となっている。イスラエルの安全保障上の最も重大な「敵」はイランや、レバノンのヒズボラではなく、新型コロナウイルスという声もイスラエルでは聞かれるようになった。
超正統派は、ラビ(ユダヤ教の宗教指導者で、学者)やトーラー(ユダヤ教の聖書「タナハ」における最初の「モーセ五書」、あるいはユダヤ教の教え全体を指す)を究極の理想として行動し、宗教を最優先させて生活するような人々だ。
宗教都市エルサレムでは、感染者の7割以上が超正統派の人々で、またイスラエルの商都テルアビブに近いブネイ・ブラク地区は、超正統派の生活の中心で、人口20万人のこの地区では住民の40%が感染していると見られるほど感染が深刻になっている。超正統派の人口はイスラエル全体の10%ぐらいだが、新型コロナウイルスの感染者数では半数を超える。
超正統派ユダヤ人のイデオローグであるアブラハム・イェシャヤフ(イザヤ)・カレリッツ(1878~1953年)は、1933年にイギリス委任統治領のパレスチナに、現在のベラルーシから移住してきた。移住の背景には、彼の学才にパレスチナ在住のラビが注目したことがあったことや、また1933年はドイツでナチス政権が成立するなど、反ユダヤ的潮流がヨーロッパ全体に広く見られていたことなどがある。
彼が活動の拠点にしたのが、現在コロナの感染が拡がるブネイ・ブラク地区で、タルムード(ヘブライ語で「研究」の意味で、モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群)の研究に没頭していった。そのユダヤの律法やユダヤ人の生活的規範に関する問題についての権威となり、イスラエル初代首相のデヴィッド・ベングリオンから女性に対する徴兵制についても見解を求められたことがある。カレリッツは、ブネイ・ブラク地区で延べにして数千人の学生たちに超正統派のユダヤ神学を教えた。
■スマホやネットに触れず最新情報を遮断
超正統派は、テレビやラジオも使用せず、スマホやインターネットにも触れることがない。コミュニティーでの指示はラビなどが口頭で、またポスターを介して行われる。現在進行しつつある情報から遮断されていることも、コロナウイルスの感染拡大につながった。ユダヤ人たちは金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日には礼拝のために集い、神の栄光と人々の慰安を祈るが、超正統派は、人々の密集を避けるように政府が呼びかけたにもかかわらず、集団礼拝を行い続けた。
超正統派は、ユダヤ教にしか関心がないために、多くが労働もせずに兵役や納税の義務から免れ、政府からの生活補助によって生活するため、他のイスラエル人からは、「寄生虫」とも見なされている。超正統派は避妊が禁じられているために、他のイスラエル社会よりも出生率が高く、イスラエル社会を逼迫させているとも見られている。
イスラエルの言語は、19世紀から20世紀にかけて古代ヘブライ語から復元された現代ヘブライ語だが、超正統派はこの現代ヘブライ語を習得することがなく、知らない。彼らの使用言語は東欧系のユダヤ人が話していたイディッシュ語である。イスラエルの医師たちとも直接コミュニケーションをもつことができず、病状を医師に伝えることもできず、医師の診たところ任せになる。
イスラエルの政党「UTJ(ユダヤ・トーラー連合)」や「シャス(トーラーを遵奉するスファラディー同盟)」は超正統派を支持基盤とするが、UTJの党首であるヤーコフ・リッツマン保健相は、超正統派に配慮して、その宗教活動に制限を加えることがなかった。彼自身も超正統派の人物だが、ユダヤ教の宗教行事「過越(すぎこし)」の前にメシアが到来して、イスラエルを新型コロナウイルスの脅威から救うと述べていた。「過越」はエジプトで奴隷であったイスラエルの民がモーセの指導でパレスチナに脱出できたことを記念する行事だ。
■メシア到来を確信しながら自ら感染した保健相
リッツマン保健相にはメシアが到来するという宗教的確信があったにもかかわらず、彼自身もコロナウイルスに感染している。彼の甘い見通しや、コロナウイルスに関する正確な情報をラビたちに与えなかったことも超正統派の間の感染拡大を招くことになった。リッツマン保健相は現在隔離されていて、超正統派とは無縁なインターネットを使って職務に臨んでいる。
イスラエル政府は感染拡大に対して、一部の超正統派のコミュニティーの閉鎖を考えたが、超正統派の政党などの反対があったために、その代わりとして7日、全土の封鎖を行った。これによって、イスラエルでは都市間の、あるいはコミュニティー同士の往来ができなくなった。また、8日から16日に予定されていた「過越」の祭りも同居の家族のみで祝うようにと訴えた。「過越」は親族らが各地から集まって祝うことが慣例だが、イスラエル政府は全土封鎖によって、宗教行事に伴う感染拡大を防ごうとした。
イスラエルに限らず超正統派ユダヤ人の間では、ロンドン、ニューヨーク、ベルギー・アントワープなどで感染率が高くなっている。その背景には、イスラエルとまったく同様に政府の指示や要請よりも宗教行為を優先させるということがある。ニューヨークではクオモ知事が礼拝やラビの葬儀に超正統派の人々が集まらないように呼びかけ、またアントワープの超正統派コミュニティーでは85%が罹患するとも見られている。
ハイテク産業が発展したイスラエルでは、感染者が過去に接触した場所や位置を知らせるアプリが開発され、また利用者の声の調子で感染を判断するアプリも研究されている。しかし、ハイテクをもってしてもウイルスの感染拡大を防げない超正統派の宗教的伝統や慣習がイスラエルの安全保障を危うく、脆いものにしている。