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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

義務としての作業と遊びとしての作業

強制(あるいは義務化)ということほど人を精神的に追い詰めるものはない。世のほとんどの作業は強制されたり義務化されたりしなければ楽しい遊びになるだろう。
世界を進歩させてきたほとんどの科学的発見は、その研究を楽しんでいた科学者たちによってなされたと思う。科学だけではなく、文学的創造も、同じである。カネのため、つまり義務としてだけの仕事なら、ほかにもいろいろあるが、文学的創造の道に進んだのは、それが喜びを与えるからだ。だが、そのうちに義務的仕事になり、それが苦痛になる。



返信先: さん, さん
幼いころはピアノのレッスンは苦役でした。好きで始めたはずのピアノが「毎日ちゃんと練習しなさい」で嫌いになりました。でも大人になって、誰にも強制されなくなったらまたピアノが好きになりました。 ほんとはピアノは楽しいものですよね、それに気づくのにずいぶん時間がかかりました。



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