専門家は現実を知らない
(以下引用)
だいたい、「専門家」と自称したがるのは、「全体像を軽視している」と自白しているようなものだ。私には「哲学」がありませんと言っているようなものだ。
私は、「非の打ち所のない素晴らしい設計」というプラントを知っているが、残念なことに、設計がどんなに素晴らしくとも、施工が同じように完璧に行われるかといえば、絶対にそうではない。
施工では、あらゆるミスが繰り返される。私は、検査員として多くのミス・欠陥に遭遇している。逆に、施工はミスのカタマリであり、完全なる施工など幻想以外に存在しないことを思い知らされている。
それは、プラントばかりか、宮大工の造営でも起きる。完全無比の建築造営など存在しない。頭領は、一つの現場で、いくつのミスが出るが、最初から予想して、その後始末を考えながら仕事をしている。
超高級な檜の柱に、他の職人が傷をつける。これは、そういうものなので、傷が出やすい場所に予防手当をするのだが、それでも傷がつくし、サイズが合わないこともある。
こんなとき、どうやってごまかすかが棟梁の真の技術なのだ。
プラントでも同じで、サイズ違いのフランジをどうやって接合するかが監督の技量ということになる。それが「人間の仕事」なのだ。
こういうのを「ゴマカシ施工」というのだが、これが皆無のプラントは皆無である。
そして、それが大事故の発端となる。
フクイチでメルトダウンを起こした原子炉の一つに「ジェット計測配管」の切断があって、ここから80気圧で冷却水が噴出してメルトダウンをもたらした。
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この報告では、何号機でそれが起きたのか書かれていないのが残念だが、設計ミスなら複数の原子炉で同じ現象が起きていた可能性がある。
一カ所だけなら、おそらく溶接欠陥だろう。ステンレス小径配管の溶接は最高度の困難な技術を必要とするが、フクイチの建設時に溶接業者のレベルが低かったとの報告がある。
たぶん、フクイチの設計は素晴らしく高度なものだっただろうが、施工がついてゆかないことが容易に分かる。
「木を見て森を見ず」という言葉があるが、たった一本の木に問題が起きても、森全部が破壊されるような現象について、「専門家」は無力だ。
自分の専門分野しか理解ができない。専門家と言った瞬間、専門外について無知であることを告白したに等しいのだ。