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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

舌が肥えるという不幸

最近、ドストエフスキーの『悪霊』を再読したばかりで、最初に読んだ時より理解できて面白かったのだが、それ以来、大衆小説の類への読書意欲が減退したという副作用が出てしまった。つまり、多少面白かったりはしても、その面白さは自分がかつて経験した読書体験の興奮や感動(もちろん、「悪霊」もそのひとつだ。)には及ばないことが分かっているからだ。まあ、新しい作家などのほうが未知の感動を与えてくれるかもしれないが、良作に行き当たるまでに無数の愚作と出会う苦痛が嫌なのである。人生の残り時間も少ないのに、愚劣な作品に時間を奪われたくない。
まあ、「悪霊」レベルの作品は世界文学でも稀だと思うが、昔読んだ「戦争と平和」あたりを再読してみようかな、と思っている。本当は泉鏡花の作品などを読んでみたいのだが、読みたい作品はほとんど文庫本化されていないので、外国の大家の作品、それも19世紀までの作品がいいかな、と思っている。
稲垣足穂のある作品に「愛の経験は、後にはそれが無いと我慢できなくなるという欠点がある」という言葉があるが、優れた文学との出会いも同じである。
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