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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

クラシック音楽とアニメ

「フィンランディア」は、すべて素晴らしいが、特に構成が素晴らしい曲である。出だしの、陰鬱だが重厚な迫力のある、まるで北欧の鬱蒼とした森や湖を思わせる楽曲から、最後の、まるで神々の闘争にドンパチと花火が揚がるような「ロックな」終曲まで、まさにフィンランドの自然と、そこに住む人々の隠れた情熱の結晶のような名曲だ。
ついでに、「カレリア組曲」も、素晴らしい。その中の「ポホヨラの娘」を、私は大島弓子の「いちご物語」をアニメ化したらテーマ曲に使いたい(使ってほしい)なあ、と昔思ったものである。なお、「フィンランディア」の冒頭は、「つぐみの森」の最初のシーンに使ってみたい。小曲だが、「トゥオネラの白鳥」は、山岸凉子の「白い部屋のふたり」にぴったりだと思う。なぜかシベリウスは少女漫画に似合いそうな気がする。
怪獣映画なら、シベリウスよりも、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」が最適だろう。その中の「重量級の怪物のせめぎ合い」を思わせる部分を、なぜアニメなどに使わないのか。まあ、クラシック好きのアニメ作家が庵野秀明以外にあまりいないためだろう。エヴァンゲリオンでのバッハ(「主よ人の恵みの喜びよ」だったか)など、素晴らしい使い方だった。



  1. 二十歳くらいまではクラシック音楽はあまり聴いてなかったのだけど、たまたまFM東京の「音楽の翼」(というタイトルだったと思う)で「フィンランディア」が流れて、「なんだこのかっこよくて燃える曲は!」と超感動して、以後シベリウスにハマった。

  2. ちなみに、シベリウスの『カレリア組曲』の「間奏曲」を、自衛隊の怪獣迎撃準備のシーンに乗っけると、大変よくマッチすると個人的には思っております。この曲を流しながら、ほら、目を閉じると富士の裾野をM41や61式戦車がやって来る光景が見える(笑)




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映画「フリークス」のこと

私はアマゾンという会社が嫌いなのだが、アマゾンプライムビデオというネットテレビは良く見ている。というのは、他のネットテレビと違って、古い白黒映画(洋画がほとんど)がたくさん見られるからである。それらを見ていていつも驚くのは、昔の映画のレベルの高さである。ただ、これは若者には理解できないかもしれない。私が十代二十代くらいだと、まず理解できなかっただろう。
たとえば、数時間前に見ていた「フリークス」(アマゾンでは「怪奇館」とか何とか別の邦題をつけていたが、何だったか忘れた。)は、身体障碍者がウジャウジャ出てくる奇抜な映画で、ホラー映画かと思われそうだが、実は「本当のフリーク(奇形者)は、身体の奇形ではなく、心の奇形である」という、哲学的主題を持った作品なのである。この映画では、サーカス(カーニバル)一座の中の一番の美女(という設定)が、精神的には最大の怪物なのだ。その他の身体障碍者(奇形者)たちは、ほとんどがまともな精神を持っている。しかし、体の奇形のため、その精神まで見てくれる人は少ない。
或る意味では、「エレファントマン」のテーマの先行的作品だと言えるだろう。
まあ、特に女性に見てもらいたい作品だ。「恋をする」というのが、外見だけで決まるなら、奇形者にとって恋というのは存在するのか、という興味深い話でもある。見ているうちに、奇形者たちの外見はほとんど気にならなくなり、むしろ愛らしくすら見えてくる。(この映画に出てくる奇形者たちは、一部を除いてほとんどが現実の奇形者だと思う。今ではPC規制のために作ることが不可能な映画だろう。)
この映画を「ヒューマニズム」映画だとする批評は見たことが無いが、実はヒューマニズムに溢れた作品である。たぶん、淀川長治あたりなら、真価を認めたのではないか。

人間の裸体は本当に美しいか

世の男も女も勘違いしていると思うのだが、人間の裸というのは美しいものではない。衣服を着た姿のほうがずっと美しいのである。だから、西洋画が描いてきた裸婦像というのは、単にエロ視点で描いてきたのであり、人体(女体)が美しいから描いたというのは嘘っぱちだ、というのが私の説www
疑う人は、下の裸体画を見て、本当に美しいと思うかどうか自問自答してみるといい。
それより、乳房や陰部を隠したほうが美しく見えると思うのが、正直な印象ではないか。
下の画像が美しいなら、強制収容所で裸にされた女囚たちの姿も美しいだろう。なお、この画像の肉体の膚の色を白くしたら美しく見えると思うのは白人至上主義の西洋文化に洗脳されているからである。
ちなみに、下の画のモデルはまさしくファッションモデル体型であり、服を着たら美しいだろう、と思う。


さんがリツイート

成田亨さんの画集は裸婦像もあるんですが、後ろになにかいるんです。描かずにはいられんかったのかな。

現代芸術

コメント56はなかなか辛辣。「下手で汚く下劣なもの」が高く評価されるのは美術だけに限らず、映画や文学などでもあることで、それが「人間の真実を描いている」からだというわけだろう。しかし、真実であれば糞でも美しいということはないわけで、美術館や映画館に糞を鑑賞しに行くのはよほど物好きの変態だけだろう。
もっとも、私は現代芸術のすべてを否定しているわけではない。古典時代には無かった表現を生み出したのは現代芸術の功績であり、それは大きいと思う。それはしかししばしば病的な退廃でもあるわけで、万人に許容されるものではないだろう。いい例が、クラシック音楽は20世紀に「クラシックの中の現代音楽」が登場して以降、クラシック音楽自体がほとんど死滅したと言っていい。まあ、クラシックと現代という対立概念を一緒にすることじたい、ナンセンスであったわけだが。




50: 名無し募集中。。。 2018/08/05(日) 12:25:53.81 0
「絵画は上手くて綺麗で素敵な物でなくてはいけない」っていう思い込みはどこからくるんだろう



56: 名無し募集中。。。 2018/08/05(日) 12:27:42.61 0
>>50
下手で汚く下劣なものになんの価値があるのか




63: 名無し募集中。。。 2018/08/05(日) 12:34:06.97 0
先人が美を極め尽くした後
残された数少ない余白から
苦悩の末に絞り出された糞が現代美術