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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ネット記事の有効利用

「内田樹の研究室」から「英語の未来」という記事の前半を転載。
ショーの話が、ある種の「生活の技術」の話になっているからである。

(以下引用)



このところTwitter中心の発信で、ブログにまとまったことを書くということをしていなかった。締め切りに追われて、それどころじゃなかったのだけれど、やはりブログの更新が滞ると寂しいので、今日からまた再開することにした。
以前は毎日のようにブログにエッセイを書いていた。
前にも書いたけれど、これはバーナード・ショーに学んだ。
ショーは毎日『タイムズ』の読者からのお便りコーナーに投稿することを日課としていた。『タイムズ』は毎日バーナード・ショーから無料エッセイが届くのだからありがたい限りであるけれど、それでも毎日「読者のお便り」コーナーに掲載するわけにはゆかない。ときどき掲載して、残りは没にしていた。
でも、ショーは原稿をタイピングするときにコピーを取っておいて、投稿したものが何年分かたまったところで、それを出版社に持ち込んで本にした。
「なんと無駄のない人生であろう」とぱしんと膝を打ち、それからショーに倣って私も毎日のようにネットにエッセイを書くことにしたのである。実際そうやって書き溜めたものがある日編集者(内浦亨さん)の眼に止まり、それが単行本(『ためらいの倫理学』)になったことで私の物書き人生は始まったのである。
Twitterよりブログの方がエッセイを書く上ではアドバンテージが多い。
字数が多いので、書きたいだけ書けるということが第一だけれど、それ以上に私にとってありがたいのは、新聞や雑誌の記事とか本からの引用とかの書誌情報を整えて書いておくと、あとで調べ物をするときにたいへん便利だということである。
Twitterは字数がわずかだから、引用とか統計データの数字とかを備忘のために書き留めておくためのツールではない。ブログは「備忘録」として使い勝手がよい。検索もしやすい。実際に、あるトピックでメディアから寄稿依頼されたとき、過去のブログをキーワード検索してでてきたエッセイをスクロールすると、必要な情報はだいたい収まっている。場合によってはそのままコピペして原稿として出すこともある。二重投稿というのは学術的にはやってはいけないことなのだけれど、個人的に書いて無償公開していた覚書を有料原稿に書き換えるだけなので、誰からも文句を言われない。
この9月10月は比較的締め切りが少ないので、この隙間を縫ってブログを少し続けて書くことにする。


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