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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

一か月の電気料金7万5000円!!!

南国は逆に夏のほうが電気料金は高いが、さすがに万超え(ちょっとエッチな響き)は無い。

(以下引用)

ドラカリス @FDqzwvoQnOXQ8GK

@Asuka_Shiromaru あと寒冷地で気をつけるべきは光熱費 ※築浅だから大丈夫という事はない ※今年初めて新築戸建てで冬を迎える方は覚悟が必要かと… 実家(築19年30坪平屋)の請求書です pic.twitter.com/wnuxDe9xwe

  2023-09-10 10:32:23
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「武器」としての作業用具

私は身の回りの物を武器として使う空想が好きなのだが、この前ホームセンター(正確にはカインズ)に行って、備中鍬を買った。1500円程度で、安い買い物だと思ったが、家で手にしてみると、鍬としてだけでなく運動用具や武器にも使えそうである。軽いし、打撃力があるし、頑丈だ。それに扱いやすい。武器としてなら金属バットやハンマーなどより優秀なのではないか。金具部分近くを手に持って木の柄の部分で殴れば、相手を殺す心配もないし、逆に金具部分で殴れば殺傷力が高い。特に、軽さ(2キロ弱だろう)が意外だった。これなら長時間手に持って戦ってもスタミナを消耗しない。
ほかに、目についたのは「ハンマーの柄」である。柄だけを別売していたのだが、これは木刀以上に良い武器になる。おそらく、木刀以上の頑丈さがある。ハンマーのあの重い鉄の頭部分で激しい打撃を与えても絶対に折れない前提で作るのだから、当然そうなるのである。しかも、手で握る前提で作られているから、手で握った感触がいい。手の平の負担がないのである。木刀だと、柄以外は握るのに適さないが、ハンマーの柄は、頭部以外はどこを握っても、いい感触だ。

(追記)台所用品にも「武器」になるものは多いが、私のお勧めは「唐辛子」である。これを相手(敵・暴漢など)の目に投げれば、相手は確実に盲目状態になる。つまり、相手を倒すのではなく、相手の「攻撃力を奪う」のである。盲目状態の相手なら、後は殴ろうが蹴ろうが刺そうが自由自在だ。もちろん、唐辛子以外でも同じように「目潰し」に利用できる品物は多いだろう。だが、効果が長く続くには唐辛子が最適だと思う。もっと確実に相手を盲目にしたいなら、コップなどの硝子製品を細粉にして使えば、相手は再起不可能な盲目になるだろう。つまり、台所は危険な武器の宝庫である。女性が家で一人しかいない場合や遠出する場合は、これらの「武器」の存在を頭に入れておくといい。老人でも同様だ。相手を盲目状態にしたら、後は相手の両手を「潰しておく」ことをお勧めする。これで相手の攻撃力はほぼゼロである。唐辛子は催涙スプレーなどより安価で確実だ。ガラスの細粉よりも人道的だ。夜這いに来た男にガラス細粉で目潰しをして完全に盲目にするのは少しやりすぎだろう。それに、こちらの目に入る可能性もある。


(以下引用)

鍬とは

鍬とは、木製の柄と90度以内の角度を付けた刃の部分で構成されている道具です。主な用途は土を掘り起こすためであり、各地域に合わせた特徴がみられます。

その理由は、地域によって土質が違うからです。たとえば、粘土質の場合は柄が短く作られ、砂地はその反対の形をしていることがあります。他にも土地の傾斜に合わせて使いやすくした鍬や、用途に合わせた刃が作られてきました。現在は農具が機械化されているため、畑や花壇などの土を掘り起こしたり畝を作ったり、雑草を取ったりなどの用途で使い分けがされています。

鍬の種類とそれぞれの用途

鍬(くわ)の種類と特長

鍬の種類には、長方形の1枚の刃で構成される「平鍬」、平鍬に比べて肉厚で丸みを帯びている「唐鍬」、刃が3本や4本に分かれている「備中鍬」、唐鍬の一種で一方が尖り片方が平坦な「ツルハシ・バチヅル」などがあります。

簡単な分類としては、片手鍬のような軽作業用、備中鍬や唐鍬・ツルハシのような堀起こしに使うもの、平鍬のように畝立てに使う鍬と3つに分類することができます。なお、鍬を選ぶ際には柄がしっかりと取り付けられ、刃の部分にガタがないもの、手に持ってみて自分の体の大きさや力の入れ方が合っているものを選んで下さい。

鍬は土質により使い分けすると作業がしやすくなります。

まず、掘り起こし用に使うのは、ツルハシ・備中鍬・唐鍬などです。例えば、固い土や荒い土の場合は、ツルハシを使用します。ツルハシは昔から土木作業用として使用されてきた農具で刃先の形により分類されており、片方が尖り片方が平坦なバチズルや、両方が尖る両ズルなど種類があります。

反対に、粘土質の土地に使用するのは備中鍬で、刃が3本や4本に分かれたものを使用します。固い田畑でも土地を耕しやすく、土を砕いたり、掘り起こしたりするなどの作業が可能です。平鍬と比べて土離れが良いので、刃に土が付着しやすい場合に使います。

柔らかい土には唐鍬を使用し、一度に多くの土を掘り起こします。平鍬と比べて肉厚で頑丈に作られているため、畑や山林の使用でも困ることがありません。

畝立てに使用するのは、粘土質と柔らかい土のどちらでも平鍬を使います。畝を作りやすいようふちが曲がっており、土を乗せて土を盛り上げやすくなっているからです。他にも軽作業用に片手鍬があると便利ですが、柄の長さが390~600mmのものを準備しておくと片手で土をならすことができるのでおすすめです。

鍬を使用する時のポイント

畑作りに使用する場合、土起こし用に唐鍬かトンビ鍬を用意します。また、土を砕いて柔らかくするのに備中鍬を使用し、畝立てには平鍬を使用します。他にも畑の管理をしやすくし、雑草を除去するための三角ホーや窓ホーがあると便利です。

鍬(くわ)の種類

既にショベルで土起こしをしている土地の場合、唐鍬を使用してさらに土起こしをしましょう。唐鍬に使われている柄には、丈夫な木材が使用されており、重さを利用しながら土起こしをすることが可能です。女性の場合は1kg、男性は1.2kg程度の唐鍬が向いていて、木材は樫や楢の素材が丈夫で使いやすいでしょう。

唐鍬で土を起こすと、土が塊になってしまうので、起こした土は備中鍬で空気を入れながら柔らかくする必要があります。備中鍬では3本や4本の刃が付けられており、使用しやすいものを選んで下さい。また、備中鍬を使用する際には事前に堆肥を混ぜておき、空気を入れながら塊になっていた土を細かく崩すように砕き、塊が無くなるまで耕しましょう。空気が入り柔らかくなった土は、平鍬を使い畝立てします。畝を立てる理由は、水はけを良くし、作業しやすくするためです。

海にゐるのは、あれは人魚ではない。

朝、早い時間に海岸傍の堤上の道路を散歩している時にすぐ傍の海面に白いものが浮かんでいるのを見つけた。最初は海鳥かと思ったのだが、それはたぶん少し前に読んだ恩田陸の「海にゐるのは人魚ではない」を連想したからだと思う。その中で、海岸に数羽の海鳥の死骸が漂着し、それが毒物で死んだ人間の死体をついばんだからではないか、という推理が行われるのだが、それを連想したわけだ。
しかし、より近くで眺めると、それは海鳥ではなく河豚のような魚だった。白いのは腹を上にしていたからだ。近づくと、黒い背中も見えた。
それで思ったのが、「この河豚(仮にそう仮定する。)は自分の毒で死んだのではないか」という冗談である。
冗談ではあるが、なぜ河豚は自分の毒で死なないのだろう。
そもそも、あの毒は何のために存在するのか。
敵からの防御にはならない。毒が相手を殺す前に自分が死んでいるからだ。自分が死んだ後で敵を殺しても意味がないだろう。まさか河豚のような下等生物が「死なばもろとも」という人間的な復讐心を持っているとも思えない。(念のために言うが、以上はすべて冗談思考である。世の有毒植物などは、意味があって毒を持っているわけではない。有毒動物も同じである。世の中のものは何も「人間のために」存在しているのではない。上の考察は、人間的な「功利主義」の冗談化である。利益云々で言えば、世間の功利主義より、冗談こそ「自分や他人を楽しませる」という大きな利益がある。)

ついでに、書いておく。その時、空には黒い雲と白い雲があり、朝日は射し始めたばかりだったが、見ると、黒い雲は地上に近く、白い雲は地上から遠い感じだった。そういう法則性があるとしたら、それはどういう理屈なのだろうか。考えた結果、こういう理屈になった。白い雲は高高度にある雲なので太陽の光を全体に受け、黒い雲は低高度にあるので、早朝の太陽の光をまだ全的に受けていない。そのために高高度の雲は白く輝き、低高度の雲は暗いのだ、と。この理屈が合っているかどうかは知らない。

量子と量子コンピューター

量子コンピューター云々以前に、「量子」とは何かも理解できないが、下の解説を読んでもさっぱり理解できない。まあ、物理学者が政府などからカネをむしり取るために結託して作った意味不明の概念だろう。そもそも、個別に取り出すこともできない、「物質とすら言えない」量子をコンピューターに利用できるはずがない。なお、理系の人間はカタカナ語の語尾の長音を省略する習慣があるが、一般人が真似することはない。(論文などの横書き文章だと、マイナス記号と混同されるから、そういう習慣ができたのだろう。)

(以下引用)

量子コンピュータの基礎知識。量子とは、コンピュータとは?

おすすめ本の抜粋「今日からモノ知りシリーズ トコトンやさしい量子コンピュータの本」
量子コンピュータの基礎知識。量子とは、コンピュータとは?

量子化と計算機の電子化

そもそも「量子コンピュータ」とはどのようなものでしょうか?「量子」と「コンピュータ」のそれぞれについて考えてみましょう。

私たちの通常の運動は古典力学で記述されますが、古典力学では連続的な値である物理量が、ミクロの世界では常にある単位量の整数倍の値しかとれず、その単位としての物理量の最小量は「量子」と呼ばれます。量子としては、エネルギー量子、作用量子(エネルギーと時間の積の単位、プランク定数)、フォトン(光量子)、角運動量の量子などがあります。連続と思われていた量が実は不連続であり、「不確定性原理」や「重ね合わせの原理」、「量子もつれ」、「観測」などの量子力学の概念の明確化が、多くの研究者によりなされてきました。

また、原子、電子や光子など、波と粒子の2重の性質を持つ極小の物質自体を「量子」と呼ぶ場合もあります。物質とエネルギーは等価です。分子や原子、原子核、更には素粒子(分解できない基本粒子)としての電子やミュー粒子などにも、量子としての波と粒子の2重性があります。

一方、「コンピュータ(計算機)」は現代社会では不可欠であり、様々に活用されてきています。従来の計算機は、真空管(第1世代)、トランジスタ(第2世代)、集積回路(第3世代)、そして、マイクロプロセッサ(第4世代)と発展してきました。かつては機械式計算機から出発して、電子計算機としての「パーソナル・コンピュータ」、「メインフレーム・コンピュータ(汎コン、大型汎用計算機)」、そして、「スーパーコンピュータ(スパコン、超高速並列大型汎用計算機)」があります。計算には2進法の単位(ビット)を用いますが、「量子コンピュータ」では、量子力学での不確定性原理に基づく重ね合わせの法則をコンピュータの計算単位であるビット(量子ビット、キュビット)に適用して、並列計算に利用します。

イラスト 榊原唯幸
要点BOX
●量子とは不連続な物理量の最小単位
●量子コンピュータは不確定性原理による重ね合わせの法則を利用

(「今日からモノ知りシリーズ トコトンやさしい量子コンピュータの本」p.20-21より抜粋)

「現在には現在の権利がある」

「現在には現在の権利がある」

これはエッカーマンの「ゲーテとの対話」にあるゲーテの言葉だが、この発想、つまり「無機物(非人格的存在・抽象概念など)」を人間と想定した発想は面白い。もちろん、猫や犬のような有機物を擬人化するのも同じだが、動物の場合は我々がその擬人化に慣れすぎていて、面白い発想は出そうもない。

「現在には現在の権利がある」というのは、その時その時で関心を持ったことを大事にしろ、ということである。これは小説家(作家)が「大作を計画することの危険性」についての注意だ。一般に、何かを計画することや、計画を厳守する習慣の危険性への注意と言ってもいい。
何かに関心を持っても、「現在実行中(第一義的に構想中)の計画」のために、その「思い付き」を頭の片隅に追いやると、その関心(発想)は二度と浮かび上がらないわけだ。もしかしたら、その「思い付き」のほうが、現在実行中の「大計画」より豊かなものかもしれないのである。

これは、創作だけではなく、生きること、生き方そのものについても言える。幼い子供が近づいてきて、それを可愛いと思っても、家に持ち帰った仕事のほうが優先されて、その子供の相手をしない、といったようなことである。はたして、その仕事は、子供の相手をする数分間さえも不可能なほど大事なものなのだろうか。後回しには絶対にできないものだろうか。あなたが死ぬとき、その「仕事」は、あなたの人生にどれほどの重要性を持っているだろうか。子供と遊んで、その子供が見せた笑顔より大事だろうか。