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青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
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ルドルフ・シュタイナーあたりになりますと、これはさらに重要なことになっていて、シュタイナーは、多くの人が「自分のことを自分で支配していない」としていて、人生において、最も重要なことは「自分の人生を自分で支配すること」としています。
たとえば、霊的な生き方への訓練指南的な著作『いかにして高次の世界を認識するか』には、以下のようなくだりがあります。
私たちが自分自身で人生を支配するのではなく、人生によって支配されているときには、外界からやってくる人生の大波は、内なる人間をあらゆる側から束縛します。
これらの、
> 自分の人生を自分で支配していない
とか、
> 人生によって支配されている
とかは、ちょっとわかりにくいかとは思います。
簡単にいうと、たとえば、こういうことです。
何でもいいのですけれど、何かの状況を考えてみます。
まあ、状況は何でもいいのですけれど、こういうことがあったとします。
シュタイナーの言う、
> 人生によって支配されている
という態度(自分で自分の人生を支配していない)というのは、
「これらに反応する態度」
です。つまり、大ニュースに心を動かされたり、エイリアンの到来に興奮したり、爆撃に遭って恐ろしがったりということです。
「嬉しい時に喜んだり、恐ろしい時に怖がるのは当たり前だろう」というのが現代の普通の認識ですが、先ほどの、
「感情は外部から作られるのではなく、自分の中で作られている」
ということを真剣にとらえれば、
「嬉しさも楽しさも恐怖も、外部での出来事で動かされているうちは、自分で自分を支配していない」
ということになるという理屈です。
これがシュタイナーをはじめ、いろいろな人たちがいう部分で、その「難しさ」がおわかりになるかんと思います。
外界で起きることに対してだけ、興奮したり恐れたり過度に喜んだりするということは、それは外界への「反応」であって、自主的な心の発露ではないということです。自分の中から冷製に(冷製に調理してどうする)・・・冷静に感情を沸かせることこそが本来の人間のあり方だと。