忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

学校という理不尽と強制の場

学校というのは理不尽と強制の巣窟みたいなものだが、体育座りなどもその一つだろう。だいいち、学校の「客」である生徒たちを地面に座らせること自体、おかしな話だ。ひどい場合には父兄を地面に座らせることすらある。私の子供が通っていた小学校の学芸会で、体育館に教師や来賓のための椅子は並んでいたが、観客の父兄は体育館の床にそのまま座らされた。私は怒って抗議したいと思ったが、「子供を人質に取られている」から、抗議もできなかった。まあ、臆病者だというだけの話だ。これも昔のことで、その子供も今では成人している。



体育座りは専門家や教員から「子どもたちの身体への負荷が少ない座り方を取り入れるべきでは」


no title

1: 茗荷 ★ 2019/01/22(火) 11:55:09.42
体育の授業や全校集会など学校ではおなじみの「体育座り」。場所を取らない、手の位置が安定するなどの利点があるが、子どもたちからは「お尻や腰が痛い」「窮屈だ」との声も聞かれる。専門家や教員からは「子どもたちの身体への負荷が少ない座り方を取り入れるべきでは」との声が上がっている。 

 「ずっと体育座りをしていてお尻が痛かった」。東京都内の小学五年生の女子は昨秋の運動会の後、母親にこう訴えた。例年は椅子に座るが、本年度は他校のグラウンドを借りたため、長時間地面に座らなくてはならなかった。

学校で体育座りをするのは、体育の授業などで短くても数分、全校集会などでは一時間近くになることもある。日本身体文化研究所代表で武蔵野美術大講師の矢田部英正さんは「膝を抱え込む座り方は、内臓が圧迫され、座骨への刺激や腰への負担も大きい」と指摘。特に体の大きな子には負担が大きく、「子どもたちの姿勢が持続するのは五、六分が限界では」と話す。
 
 「体育座りは一九六五年に文部省(現・文部科学省)が学習指導要領の補足として発行した『集団行動指導の手びき』で『腰をおろして休む姿勢』として紹介され、全国に広まったようだ」と矢田部さん。手引の留意事項には「必要のない場面で画一的な行動様式を強要することは決して望ましいものではない」と記されており、文科省も「体育の授業などでの座り方として、体育座りが絶対ではない」としている。
 
 にもかかわらず、なぜ体育座りは長年主流になっているのか。東京大教育学部付属中等教育学校で保健体育を教える浅川俊彦教諭は、子どもたちの体の負担や自由度を考え、体育座りをさせていない。しかし、「教育現場では、いったん『標準』として導入されると教員は思考停止しがち。子どもたちにとってより良い方法は何かを考えなくなってしまう」と背景を分析する。
 
 矢田部さんは「一つの座り方が標準とされることで、より良い座り方が禁止されてしまうのは問題。現場レベルで柔軟に対応していくことが重要では」と助言する。
 
◆楽で集中できる方法を
 長時間床に座るのにはどんな座り方が適しているのか。矢田部さんが勧めるのは、あぐらの足先を床に着けて座る安座や、安座の片方の足を立てて抱える楽立膝(らくたてひざ)だ。おなかが圧迫されず、背筋も伸ばしやすい。
 
 また、椅子に座ることが多い現代の子どもたちは、下半身の関節が硬くなっていることが多い。矢田部さんは、「日ごろから足をマッサージしたり、畳やフローリングにじかに座る時間をつくってみては」と提案。「幼少期に体が楽で集中していられる座り方を手に入れることは、大人になってからもさまざまな場面で役立ち、人生の大きな財産になる」と話す。

ソース
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201901/CK2019012202000198.html



PR

意思を伝えるには何文字必要か

「10億円もらえるけれど、一生、『あいうえお』と『ん』しか発音できなくなるボタン」押しちゃう?というスレッドがあったが、私なら、当然押す。だいたいが、自分の意志など、紙に書いて相手に読ませれば十分だし、「あいうえお」と「ん」だけで構成できる単語のコード表を召使に渡して覚えさせれば、毎日の生活に不自由はないだろう。

2文字だけでの構成でも「うん」が言えるし、「いあ」は「いや」に聞こえるだろう。人を呼ぶには「おい」がある。






新しいからこそダメだろう、と思うほうが正解


これは建物には限らない話である。「新しいからいいはずだ」という人は、デフレ時代に入ってから物がどんなに薄っぺらになっているか、身近な物をすべて点検するといい。メーカーは売上を維持しつつ悪評を避けるため、値段を上げないようにはするが、その分中身を薄くしているのである。たとえば、トイレットペーパーにしても、「紙の厚みを極限まで薄くし、空気を含むように軽く巻く」ことで使用原料を減らし、質を落としていると私は睨んでいる。ポテトチップスなど、袋物の菓子類の中身が少なくなったのは言うまでもない。
建物でも、法に触れない限度で材料費をケチっているに決まっているのである。人件費をあれほどケチる企業が材料費をケチらないはずがないではないか。



さんがリツイート

じつは、自分ルールがあって「借家は築30年ものを探せ」というルールです。
30年前はバブル最盛期で、その当時のマンションは作りが頑丈で贅沢。
場合によっては新築より信頼できる。今の仕事場も壁が厚くて遮音と断熱に優れています。借りるならバブル最盛期の建物がオススメ!



輪ゴム銃の作り方

今のような一億貧乏人時代には、貧困家庭のご両親は、子供にこういう遊びを教えるといい。
遊びというのは、自分で作り出すほうがよほど楽しいものである。高価な道具が無いと遊べないと思っているのは、資本主義の「売り手」たちに騙されているのだ。

(以下引用)



輪ゴム銃は、割りばし二膳と、輪ゴム6本(弾丸用含まず)で作れるよ。

銃身用の一本の後ろ5センチを切り取って、引き金に、一本は半分に切って、グリップにするんだ。

引き金の引っ掛かりは、ナイフで削って調整するより、ヤスリを使った方が、上手くいくよ。

(´∀`)ノ




女性と性的羞恥心

女性には本来、性的羞恥心は無い、という私の説を実証する事件のひとつである。
前にも書いたが、女性の陰部(性器)はただの亀裂であり、他との比較での見かけの優劣は無い。とすれば、子どもだろうが大人だろうが、性器を露出しても恥ずかしいとは本当は思っていなくて当然だろう。他との大小の比較が可能な乳房のほうの露出をむしろ恥ずかしく思うのではないか。しかし、それも「授乳器官」であって、性的器官ではない。男が胸を出して恥ずかしくないなら女性でも恥ずかしくはないだろう。性的だから恥ずかしいのではなく「優劣比較の対象となる」から見せたくないのである。また胸が大きいからと言って裸の胸を公開すると、男より怖い、他の女からの悪口がある。

だが、昔は女性というのは羞恥心の塊だと思われていた。それは男性社会が作った文化だったのであり、前に載せた、試合中に暑くて(だったか汗を拭くためか)上着を脱いで胸を見せた女子テニス選手などが、女性本来の「こうありたい」姿だろう。何せ、羞恥心を装う以上は、窮屈な状態を忍ばねばならないからである。たとえば、短いスカートをはいて足を長く見せたいが、パンツがモロ見えだと男や他の女に悪口を言われるから、階段を上る時に後ろを手で隠すなど、面倒くさいことをしなければならないわけだ。

 米ツイッター社の動画配信サービス「ペリスコープ」で、裸の映像を公開するよう女子中学生をそそのかしたなどとして、埼玉県警は17日、兵庫県西宮市の無職の男(43)を公然わいせつ教唆と児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)の両容疑で逮捕した。捜査関係者への取材で分かった。

 ペリスコープは、利用者がスマートフォンなどで撮影した映像を生中継で配信するサービスで、ツイッターに登録したうえでアプリをダウンロードする。視聴者側が配信中の画面にコメントを送ることもできる。

 捜査関係者によると、男は昨年5月14日、ペリスコープで自身の映像を配信していた神奈川県内の女子中学生にコメントを投稿し、裸の映像などを配信するよう仕向けたほか、映像をパソコンで録画、保存した疑い。

 女子中学生は、埼玉県警の事情聴取に対し、「みんなやっているので『いいや』と思った。コメントで(あおられて)やってしまった」と話しているという。