今は春なのか年末なのか
なお、昨日外出したら、あちこちで緋寒桜が咲いていて、沖縄は春だなあ、と思ったものだ。そして、旧暦というのは実に季節にマッチしているなあ、とも思ったのだが、それは地方によりけりだろう。
青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
冬型の気圧配置とは、天気図で西に勢力の強い高気圧、東に発達した低気圧がある西高東低の気圧配置です。冬に現れやすい気圧配置で単に冬型とも言われます。日本付近で南北に延びる等圧線が何本も描かれ、縦縞になります。日本海にはすじ状の雲が見られ日本海側の地域に雪や雨を降らせます。
等圧線は地図の等高線に似ていて、縦縞はそこが気圧の斜面になっていることを示し、風は気圧の高い方を左にして北からの強い季節風となります。等圧線の間隔が狭いほど風が強なります。
また、強い冬型の気圧配置と言われる事がありますが、明確な基準があるわけではなく、地上天気図では等圧線が南北に走って間隔が混んでおり、上空5000m付近の気温がマイナス36度以下になっていることなどが目安としてあります。
西高東低の冬型の気圧配置では、山雪型と里雪型があります。
西高東低冬型の気圧配置
欲望が失われてしまっていたら悪事を企む気も失せてしまうから、ちょい悪老人を志すのは無理だろう。だからと言って品行方正な老人になっては、実はちょい悪老人以上に煙たがられる可能性がある。
実はここからが老人の美学が発揮されるべきなのだ。以前にも書いたが老人の美学とは実は孤独に耐えることなのである。若い連中に張りあおうとすればどうしても他者の中へ行かねばならない。
出て行くと余計なことを言いたくなる。誰かの言うことすることについていやそれは違うと自分の意見を主張したくなる。ここから老害というものが始まるのである。しゃしゃり出たくなる欲望を抑え、用もないのにうろちょろせず、じっと我慢して孤独に耐えるのが老人の美学なのだ。
老人同士の集まりというものがある。しかしあれに加わるのも考えものだ。自我の強い老人が必ずいて、ひどい目に遭う。女性同士は仲良くやっているように見えるが、あれはあれで何やかやと陰湿な反目があるのではないか。やはり単独で孤高の道を選び、と言ってもそんな生き方を威張るのではなく、なんとなく存在しているのが一番だと思う。
そこから先のことになると、自分が体験していない世界に入っていくことになり、ここで論じることはできない。