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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

読書と「コスパ」

リツィート者は理系の研究者らしいが、「何かがおかしい」って何がおかしいのだろうか。読書で楽しい思いを得るのも、「利益」だろうし、知識を得るのも「利益」だろう。その利益を得るのにかかるコスト(読書時間が長いのも短いのも利益になる。読むのが簡単なのも難しいのも利益になりうる)を他メディアとくらべてコスパがいい、と判断するのは自然なのではないか。
特に、「情報を得る」ことに関しては、文章は動画に数倍してコスパがいい。動画は「不要情報」が多すぎるし、時間を食いすぎる。文章は漢字部分だけを拾い読みして、読む価値のありそうな部分だけ集中的に読んでもいいのである。
また、娯楽としても動画(映画やテレビドラマ)は原作の文章から想像されることを他者が勝手に解釈変更したものを見せられることが多い。特に人物のイメージなど、実際の俳優がやると幻滅させられるものである。




読書に「コスパ」とか言い出すあたりからして何かがおかしい。
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「悪の凡庸性」への疑問

念のために先に言っておくが、私は「悪の凡庸性」を言ったハンナ・アーレントの著作を読んだことはない。ただ、この言葉についてだけここでは論じる。
はたして悪は凡庸だろうか。
確かに、凡庸な人間が悪事を行うことは多いだろうが、それは悪が凡庸だという話になるか、ということだ。「悪が容易に行える条件がある時に、誰でも悪を容易に行う」ということは、「悪が凡庸だ」という結論に論理的に結びつくとは私は思わないわけだ。
もちろん、通常は「倫理のハードル」があって、普通の人は容易に悪を行わない。しかし、誰も目撃者がおらず、悪を行った証拠もまったく残らないという条件がある時に、悪を行わずにいることは普通人には困難だろう。
これは、バルザックの小説の中で「君がうなづくだけでシナの役人の首が飛び、君にはそれで大金が手に入るなら、君は頷かないでいられるか」と、悪党ヴォートランが見事に寓話化した問題だ。
つまり、悪を行うには行うだけの条件が必要なのであり、それは悪自体がけっして凡庸な事象ではない、ということを意味していると私は思う。
日常生活では虫も殺さない優しい人間が原爆を投下して数百万の人間を殺戮できるのも、それが戦争であり、自分はその数百万の死を目視していないという条件によるのである。
果たして悪は凡庸なものだろうか。
悪が凡庸だと言うなら、それは倫理が凡庸だ、と言うに等しいのではないか。
念のために言うが、私は「凡庸な人間でも物凄い悪事を行える」ということを否定しているわけではない。単に、凡庸な人間をそういう行為に仕向ける悪という存在の異常な力を言っているのである。凡庸な人間が悪を為すことは、「悪霊に憑りつかれる」というキリスト教的な言い方のほうが現実に近いのではないか。日本でも普通に「魔が差す」とも言う。

人生終盤の中仕切り

「普通の人間」として、完全な自由を与えられたら、何がしたいか。
これがたとえば年金生活に入った老人の前にある、気楽な問題だ。しかし、海外旅行に行くとかいう「高価な遊び」は除外しての話だし、たとえば自由になるカネが月に1万円から2万円といったレベルの話である。条件として、健康体で特に高額な医療費の心配は無い、とする。
大きく分類するなら、
A:受動的な娯楽(音楽鑑賞、映画鑑賞、美術鑑賞など)
B:能動的な娯楽(小説創作、絵を描く、書道をするなど)
の2種類があり、また
C:ボランティアなど社会奉仕活動をする
のが趣味になる人もいて、これは新聞などで取り上げられ褒められる可能性があるが、そういう気疲れするのは娯楽にならない、という私のような人間がほとんどだろう。
で、私の場合はAもBも好んでいるが、どれも少しやると「飽きる」のである。
Aの場合には「ほとんどの優れた作品は既に見たり読んだりしていて、新作はその焼き直しでレベルが低く、かえって不愉快になる」からだ。
Bの場合には、創作の根気が続かないことが多いし、これも少し満足な作品ができると「自分の能力では、これがほぼ限界で、これ以上やってもムダかな」という気になる。もちろん、商業ベースに乗るほどの作品の量産はできないから、創作物は自己満足のためのもので終わる。
かと言って、日がな一日、窓外の風景を茫然と眺め、お茶やコーヒーを飲んで過ごすだけで余生を送るのも「もったいない」気がして焦るので、庭仕事や家事(炊事洗濯)などはかえっていい気晴らしになるのである。
まあ、これが現在の私の生活だ。
いくつかの「思索課題」があるにはあるが、たとえば「地球から永久に戦争と貧困を無くす方法」を考察して余生を送るのが最善かなあ、と思っている。

性的魅力における白人と日本人

私もほとんど同感だが、日本人の女が白人の男と簡単に寝るのは仕方が無いと思う。
何より、日本人は白人の顔や体型を美しいと思うように子供のころから叩きこまれているのである。しかも白人男は基本的に陽キャラで図々しいから、向こうから女性にどんどん近づくし、お世辞も平気で言う。引っ込み思案の日本人男より「獲物捕獲率」が高いのは当然だ。
しかも、白人が来るまでは日本社会は男尊女卑社会で、女性への無意識的差別が大きかったので、日本女性がそこから脱出するか、白人と付き合って別の現実の中で生きたいと思うのも当然だろう。
ついでに言えば、白人の美的感覚は日本人とは違うから、かなりブスでも白人男性からは「問題なし」である。
では日本人男はどうかと言うと、胴長短足で、顔は平べったくて不細工で、チンポも短いww
これで性格も悪ければ、まったく取りえは無いのである。




(以下引用)


白人は異常である

白人ユダヤ人を600万認も殺した。

原住民を数千万殺戮した。

世界中有色人種支配して弄んだ。

黒人奴隷にして酷使した。

彼等は原爆を落としさえした。

こうした白人の異常性は枚挙にいとまがない。

白人はこうした歴史を誇ってさえいるのである

白人ほど残酷人種はかつてなかったが、そんな白人に敗れたニッポン奴隷国家に成り下がったのは無理もないことだろう。

そんな白人日本に大挙して訪れている。

日本女を楽しみに来ているのだ。

白人の異常メンタリティーは何も変わらないのに、日本では未だに白人至上主義が横行している。

日本女も白人ならば誰とでも寝るくらいである。

白人日本女なんて簡単にやり捨て出来る穴としか思っていないというのに。

このことから奴隷国家ニッポン悲惨さがわかるというものだ。

記号の英語名




アンダーバーというのは昭和世代のおっさんだけだと聞いて朝からショックを受けています(笑)。
引用ツイート
Spica
@Kelangdbn
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「アンダーバー」ではなかったのか。
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