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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

恋愛と結婚のコスパ(中)

恋愛のコスパの悪さを現代の若者は熟知しているはずだ。貧乏な若者の多い現代だから「草食系男子」が激増しているのである。だが、マスコミなどを通じて年がら年中恋愛の話を流されるので、「やはり恋愛しなきゃあ」と思って足掻いている若者は多いだろう。
恋人を獲得できて「恋愛勝ち組」になった若者の満足度はどんなものだろうか。私自身は恋愛経験などほとんど無いまま結婚した人間なので、恋愛の喜びという感覚はまったく分からない。ただ、女性を好きになったことは何度かあり、その女性を自分のものにしたいと思った経験もある。好きになるというのと、その相手を自分の所有物にしたいというのは不即不離の関係だろう。だが、若いころは結婚関係というものが恐怖の対象でもあった。つまり、「結婚は人生の墓場」なのではないか、という恐怖である。これもまたマスコミなどから得た知識であり、若者を惑わすものである。いや、人生の墓場になる結婚もあるのは当然だが、人生を天国(は言い過ぎにしても、より良い状態)にする結婚もまた多いのである。そうできないのは単に当人たちの人間レベルの低さのせいであり、結婚制度自体が悪いわけではない。「結婚は人生の墓場」という言葉は、そういう「誇大表現の詐欺」である。
さて、恋愛がコスパが悪いというのは、カネと時間と労力を膨大に消費するのが恋愛だからだ。1日8時間の労働をして、残業や休日出勤などもした上で恋愛できるだけの体力と精神力のある人間は、私などから見たら超人である。残業や休日出勤は無いホワイトな職場に勤めていたとしても、休日にデートするために、そしてそのデートで相手に満足してもらうためにどれだけの努力が必要か、それを考えただけで、私などは部屋でひとりで寝ていたほうがマシだ、と思う。
で、それだけの努力を払った上で、相手がこちらに満足しなければ、投じた時間もカネも努力もパーである。
恋愛はコスパが悪い、という所以である。
もちろん、自分の正味だけで勝負できる人間は話が別だ。だが、そういう人間の割合は1割以下だろう。相手と話して面白いと思わせるには教養も流行についての知識もユーモア感覚も必要だろう。問題は外見だけの話ではないのである。いわば、生まれてこのかた、自分を魅力的な人間に鍛え上げてきたかどうかが問われるわけだ。私など、最初から白旗を上げてしまう。
もちろん、これは「恋愛」に成功するかどうかの話であり、「相手とセックスすればOK」という話ではない。後者なら、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」で、いくらでも獲物は手に入るだろうし、中には素晴らしい獲物も時々手に入るはずだ。実際、あとくされなくセックスだけしたい、という女はたくさんいるはずだから。だが、そういう相手が恋愛対象になるか、と言えば、恋愛とは違う何かだろう。
予想外に長い話になったので、ここまでを「中」とする。


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