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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

恋愛と結婚のコスパ(下)

結婚のメリットとしては、若いころはもちろん、毎晩でもセックスができる相手がいることだが、結婚中期以降は、夫婦間の性生活は「あってもなくてもいい」ものになるのではないか、と思う。そもそも、セックスの価値は過大評価されているというのが私の考えだ。
少なくとも男にとっては女性とのセックスと自慰の間にたいした快感の差は無い。男は「入れて出したら終わり」であって、前戯だの後戯だの、面倒臭い労働でしかない。もちろん、相手によって興奮度が違うということもあるだろうが、それは脳内で妄想を作り上げることによる快感がほとんどだろう。現実の肉体としては、どの女でもさほど違うはずがない。特に、顔を見なければ、(そして体重が常人の2倍3倍あるような肉体でなければ)さほど「入れる部分」に違いがあるわけでもない。女の方は、相手の持ち物の大きさで快感が違うかもしれないが、そもそも出産時に赤ん坊が通り抜けることと比較したらどんな巨大なペニスでも比較にはならないだろう。要するに、性的快感のかなりな部分は妄想によって高められたものではないか、と私は思うわけだ。
女の性的快感は知らないが、単なるセックスなら、男にとっては、「どの穴でも同じ」だと思っていていい。ただ、そこに至る前に、相手が美しいか否か、素人か玄人(素人ビッチも含む)かは大きな意味を持つ。醜い相手とセックスするくらいなら、私ならダッチワイフのほうがマシである。
これが恋愛だと、話はまた別であり、特定の相手とセックスをすることにこそ大きな意味もあるわけだ。その場合、セックスの快楽は副次的なものであり、愛する相手とひとつになる、ということが意義を持つことになる。
さて、セックス論が長くなったが、結婚のメリットはセックスだけではない。と言うより、セックス自体が世間で過大評価されている、と既に書いた。
結婚は、この社会の「最適形態」として社会の制度設計がなされている。だからこそLGBT連中がうるさく異議申し立てをするわけである。少数派の生き方をもっと社会的に居心地よくしろ、ということだ。いや、もちろん、それはそれでいい。だが、杉田水脈ではないが(私は彼女が大嫌いなのだが)LGBTというのが、子供を作らない連中だ、という意味で「生産性が無い」ことは自明の話である。つまり、LGBTが増えることは本来の日本人はどんどん減少し、移民の割合が増えていくことを意味する。それでべつに構わない、という意見もあっていい。ただ、その事実はお互い確認しておくべきだろう。
で、私が言いたいのは、結婚の大きなメリットが子供を育てる喜びと楽しさなのである。子供というのは可愛いものだし、子育ての苦労よりも大きな喜びを与えるものだ、ということを知らない人は多い。女性たち自身が、子育ての苦労を言い立てるもので、子供を持つことにマイナスイメージしか持たない人も多いと思う。それも日本の少子化の一因だろう。
そして、夫婦単位であれば、生活していくうえでいろいろと便利なことが多いのである。たとえば、留守中に宅急便が来ても受け取り手がいるし、夫婦の一方が病気や事故で動けなくなってももう一方が病院に連絡し運んでくれる。
妙な例だが、警官が捜査をする時に、二人一組で行動するようなものだ。一人でいると、緊急事態への対応ができないが、二人組だとそれができる。社会で言うなら、結婚もそれである。
というわけで、ほかにもいろいろメリットはあるだろうが、恋愛のメリットを3とすれば、結婚のメリットは7くらいあるだろう、というのが私の考えである。なお、結婚によって「違う人格と生活を共にすることで頭脳や精神が成長する」というのが実は一番のメリットかもしれない。







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