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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

コーヒーの飲み方

昔、獅子文六に「珈琲道」という短編があって、読んではいないがこのタイトルは非常に気に入っている。
私がこのブログで書いているのも、「日常生活すべて道」というテーマが伏在している。ただし、「道」とは言ってもたいそうなものではなく、少しでも生活の幸福度を高める「方法」のことである。
で、今回の記事のタイトルにある「コーヒーの飲み方」だが、コーヒーの「淹れ方」などとはまったく無関係な、本当に、ただ「飲み方」の話である。しかも、世間のコーヒー好きの人のほとんどは「間違った飲み方」(www)をしているのではないか、と思うから記事を書いているわけだ。
まあ、半分は冗談だが、我々は歩き方も呼吸の仕方もすべて間違っているのではないか、そしてそれは生活の質を非常に劣化させているのではないか、と私はいつも思っているので、「コーヒーの飲み方」もそのひとつになるわけだ。
で、それは「ブラックで飲め」とか「砂糖を入れるな」とかいう類のものではない。
単に、「一回に口に含む量を我々は間違えていないか」ということだ。クリームや砂糖を入れるか入れないかは個人的な好悪だから他人がとやかく言うことではない。
しかし、「一回に口に含む量」は、多くの人が気づかないで間違いを犯している可能性が高いわけだ。
では、どういう量が適切かと言うと、それは「喉にほとんど落ちていかない量」だというのが私の主張である。あるいは、これはワインなどの場合も同じかもしれない。
我々は口の中で食物や飲み物の味を味わっているのであり、食道や胃で味わっているのではない。つまり、口中で味わう以上の量は、味わわれることもなくただ食道や胃に落ちていくだけなのである。
まあ、暑いさ中には冷たい飲み物の「喉越し」の快感はあるだろう。しかし、熱いコーヒーを飲むのに、「喉越しの快感」はあるか? 無いなら、なぜ我々は口中で味わう以上の量を一回に口に含むのか。
もちろん、そういうふうにちびちび飲むとかえって不味く感じるという人はこれまでどおりにガバガバ飲めばいい。また、ちびちび飲むとコーヒーが冷めて不味く感じると主張する人も勝手に飲めばいい。しかし、基本的に、「味わって飲む類の飲み物は、喉にほとんど落ちていかない量が一口の量として適切である」と私は主張する。

ついでに言えば、私は1日に5杯くらいコーヒーを飲むが、その大半は、「コーヒーが飲みたいな」という気持ちを満足させるたったの「ひと啜り」だけで十分なのである。だが、飲み始めたら惰性的に一杯全部を飲んでいまうのは、煙草をひと吸いだけで終わる煙草呑みがいないのと同様で、最初の一口、一吸い以降はただの惰性なのである。




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