フェミニズムにおける強姦と買春の「犯罪度」比較
米山隆一と仁藤夢乃の例の口喧嘩(まあ、論争と言うべきかww)を見ていてふと思ったのだが、女性にとって強姦と買春はどちらが罪が重いのだろうか。仁藤の米山氏への非難の凄さを見ると、女性一般にとって男の買春というのはよほど凶悪な犯罪に思えるのだろうか。妻帯者や恋人持ちの男が買春したら、そりゃあ批判していいだろうが、独身の非モテ男の買春がなぜ批判の対象になるのか、私にはそこが分からない。かえって、強姦された場合でも、それが好きな男や好みのタイプだったら途中から和姦になって、罪でも何でもなくなるのではないかwww
まあ、売買春が批判されるのは、「人間をモノとして扱う」その精神が低劣だ、というところにあるのだろうが、仕事だろうが何だろうが、カネが介在したら、そこには人間のモノ化が起こるのである。つまり、被雇用者は雇用主にとってはただの道具であり、モノだ。美しい女性でもカメラマンにとっては単なる被写体、つまりモノである。
では、売買春はなぜ犯罪なのか。最近のフェミニズムでは売春をセックスワークと言って地位を上げていると見えるのだが、買う方(男)は犯罪者扱いである。これは何なのだろうか。
なお、女性の買春は、これは男性である私には「この世にあってほしくない」ものだが、それは私がゲーテ的な意味のフェミニストだからだと思う。つまり、女性を天上的な存在として崇めたいのに、それが動物化した姿を見せるのだから。まあ、女性の買春よりは売春のほうがマシに思える。後者はカネのためで、前者は性欲のためだが、生きるためにカネの必要な境遇の女性が、どうしようもなくて売春をするのは何の罪でもないと思う。ソ連が国家解体した時に、女性の多くが売春婦になったが、それを犯罪だと責める馬鹿がいるだろうか。
(追記)まあ、上の話とのつながりがあるような無いような記事を載せておく。
まあ、売買春が批判されるのは、「人間をモノとして扱う」その精神が低劣だ、というところにあるのだろうが、仕事だろうが何だろうが、カネが介在したら、そこには人間のモノ化が起こるのである。つまり、被雇用者は雇用主にとってはただの道具であり、モノだ。美しい女性でもカメラマンにとっては単なる被写体、つまりモノである。
では、売買春はなぜ犯罪なのか。最近のフェミニズムでは売春をセックスワークと言って地位を上げていると見えるのだが、買う方(男)は犯罪者扱いである。これは何なのだろうか。
なお、女性の買春は、これは男性である私には「この世にあってほしくない」ものだが、それは私がゲーテ的な意味のフェミニストだからだと思う。つまり、女性を天上的な存在として崇めたいのに、それが動物化した姿を見せるのだから。まあ、女性の買春よりは売春のほうがマシに思える。後者はカネのためで、前者は性欲のためだが、生きるためにカネの必要な境遇の女性が、どうしようもなくて売春をするのは何の罪でもないと思う。ソ連が国家解体した時に、女性の多くが売春婦になったが、それを犯罪だと責める馬鹿がいるだろうか。
(追記)まあ、上の話とのつながりがあるような無いような記事を載せておく。
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