最大の自由は孤独にあり
作家の森博嗣のエッセイの一部である。
いわば、隠者の生活だが、家族がいて、広い家の中は集めたおもちゃやがらくたで一杯らしい。「方丈記」の正反対だ。
好きなものはすべて買ってきたので、今では欲しいものが何もないらしい。ドン・ファンが腎虚になるような話である。
(以下引用)
いわば、隠者の生活だが、家族がいて、広い家の中は集めたおもちゃやがらくたで一杯らしい。「方丈記」の正反対だ。
好きなものはすべて買ってきたので、今では欲しいものが何もないらしい。ドン・ファンが腎虚になるような話である。
(以下引用)
一人で一日中遊んでいるから、家族となにかを一緒にするということがない。家族もそれぞれ一人で遊んでいる。犬も家族のメンバだが、人に遊んでほしがるので、しかたなくつき合ってやるしかない。僕が世話をしている犬を、僕の奥様(あえて敬称)は「ぷう」と呼んでいる。しかし、そんな名前ではない。奥様と意思の疎通が取れていない証拠だ。
こんなに自由で、ひっそり静かに生きられるようになったのは、何のおかげだろうか?
それは、結局、周囲のあらゆる「柵(しがらみ)」を断ち切ることができたからだろう。本当にそれだけのこと。同時に、「絆(きずな)」もない。柵も絆も、せいぜい犬の世話をするくらいしか今はない。
他者のことを気にしない、というだけで、孤独になれる。孤独になりたい、とまず望むことで、この静かな自由が楽しめる。念のために断っておくけれど、けっしておすすめしているのではない。どうぞご自由に・・・。
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