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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

言葉についての「常識でない常識」

世間の人間は言葉というものにさほど厳密性を求めない(ということは論理性も実は持っていない)ものだが、私は理屈好きであると同時に、言葉にも興味を持っているのはこのブログの内容で分かるだろう。
で、言葉についての「常識でない常識」をふたつほど書いておく。

1:「愛別離苦」は「愛別・離苦」ではなく「愛・別離苦」である。これと同じような構成の熟語が「一衣帯水」で、これも「一衣・帯水」ではなく「一衣帯・水」である。我々は「2字+2字」の四字熟語に慣れているため、四字熟語をみな「2字+2字」で読んでしまうわけだ。
なお、「一衣帯水」は、衣服の帯のような海峡を挟んだ隣同士の国の意味で、中国あるいは韓国と日本の関係を好意的に表現したものである。つまり、「お隣さんだから仲良くしよう」というニュアンスだ。
「愛別離苦」は「愛して別れる苦しみ」の意味で、「愛・別離・苦」という構成とも言えるが、苦しみの中心は別離にあるのだから「別離苦」はひと続きで読むべきだろう。

2:日本語の助詞の「の」はそれ単独でも「のような」の意味になる。「花の顔(かんばせ)」は「花のような顔」である。これと似ているものに「と」を比喩で使う用法がある。「花と散る」は「花のように散る」である。


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