社会的規制はすべて悪か
実際、ヤクザの刺青は庶民を威嚇する意図がはっきりとあるわけで、素人がその真似をしたら、ヤクザと同じ扱いを受けて当然だ。
刺青を美しいと思う人間がいてもいいが、醜い、不潔感がある、と思う人間がいてもいいはずである。審美観は他人や社会が強制するようなものではない。
女性のヌードと同じことで、体重150キロの中年女性や老婆のヌードは、人目にさらすこと自体が社会の迷惑だろう。男のふんどし姿だって、だいたいは気持ち悪い。

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
ルドルフ・シュタイナーあたりになりますと、これはさらに重要なことになっていて、シュタイナーは、多くの人が「自分のことを自分で支配していない」としていて、人生において、最も重要なことは「自分の人生を自分で支配すること」としています。
たとえば、霊的な生き方への訓練指南的な著作『いかにして高次の世界を認識するか』には、以下のようなくだりがあります。
私たちが自分自身で人生を支配するのではなく、人生によって支配されているときには、外界からやってくる人生の大波は、内なる人間をあらゆる側から束縛します。
これらの、
> 自分の人生を自分で支配していない
とか、
> 人生によって支配されている
とかは、ちょっとわかりにくいかとは思います。
簡単にいうと、たとえば、こういうことです。
何でもいいのですけれど、何かの状況を考えてみます。
まあ、状況は何でもいいのですけれど、こういうことがあったとします。
シュタイナーの言う、
> 人生によって支配されている
という態度(自分で自分の人生を支配していない)というのは、
「これらに反応する態度」
です。つまり、大ニュースに心を動かされたり、エイリアンの到来に興奮したり、爆撃に遭って恐ろしがったりということです。
「嬉しい時に喜んだり、恐ろしい時に怖がるのは当たり前だろう」というのが現代の普通の認識ですが、先ほどの、
「感情は外部から作られるのではなく、自分の中で作られている」
ということを真剣にとらえれば、
「嬉しさも楽しさも恐怖も、外部での出来事で動かされているうちは、自分で自分を支配していない」
ということになるという理屈です。
これがシュタイナーをはじめ、いろいろな人たちがいう部分で、その「難しさ」がおわかりになるかんと思います。
外界で起きることに対してだけ、興奮したり恐れたり過度に喜んだりするということは、それは外界への「反応」であって、自主的な心の発露ではないということです。自分の中から冷製に(冷製に調理してどうする)・・・冷静に感情を沸かせることこそが本来の人間のあり方だと。
見た目は草食系なのに、中身は肉食系な女の子。つまりは「ロールキャベツ」みたいな女性を指して、ロールキャベツ系女子。おしとやかな見た目とのギャップにドキッとする男子も多いことでしょう。はたして、彼女たちに共通する特徴とは?