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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

なぜ山に登る馬鹿を救助する必要があるのか

私は登山経験がほとんど無く、人がなぜ山に登るのか、その心理も理解できないので、登山で遭難した連中を救うのに税金が使われる(と思うが、どうだろう。)のには不快感を感じている人間だ。
登山を趣味にする人間の気持ちが分からないのは私だけではないだろう。エベレスト登頂に成功したヒラリーに記者が「なぜ山に登るのですか」と聞いたのは、それがその当時の一般人の疑問だったからだろう。それに対して「そこに山があるからだ」と答えたのは名言扱いされているが、答えになっていない。まあ、自分でも「一言では答えにくい」と思ったから適当に答えたのだと思う。
で、山に登る時の心理として、「冒険を楽しむ」気持ちがあるのは確かだろう。自然の中に入ると様々な危険性がある。下手をしたら死ぬかもしれない。それでも山に登るのはその危険が面白いからであるはずだ。危険を克服した時、自分が大きくなったような気分になれるわけである。「おれは自然に勝った」くらいの気分ではないか。
で、下のような登山用アプリをスマホに入れれば、遭難時の安全性(救助の確実性)が確保されるとして、それは「遭難者を助ける」ことが今以上に多くなるということにならないか。いや、遭難者を助けるのが目的のアプリなのだろうから当然だが、無思慮無計画な登山者の遭難と、その救助が増えるのは社会の迷惑以外の何物でもない。これは生活保護などの「社会システムの不充実による貧困」への救助とはまったく異なる、馬鹿が馬鹿な行為をしたことを税金で助けることにならないか。
まあ、山で死ぬ奴は自分勝手にそういう羽目になるのだから放っとけ、という話だ。




さんがリツイート

改めて拡散お願いします。登山にGPSを活用するのが当たり前になれば未来の遭難者が減ります。道迷い遭難で亡くなる人、リスクを冒して救助する人の命を守りましょう。
何もしなければ今年もあと300人が道迷い遭難をし、そのうち何十人かは死にます。




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就学直後の小学生の徒競走という残酷ショー

子供のころに足が速いというのは、かなり強力な自信につながるもので、それは「自己肯定感」という、一生を導く強い力になる。この自己肯定感が無い人間というのは、気の弱い人間でもあり、押しが弱く闘争心も無い。つまり、自分が勝つことを想像できないわけだ。当然、社会的な成功はおぼつかない。これは私自身のことである。
私の性格のほとんどは、子供のころに足が遅かったことに起因していると思われる。
だが、子供のころに足が速いか遅いかというのは、「走る経験」をどれくらいし、あるいは坂道の上り下りをどれくらいして足が鍛えられているかで決まるものだ、と今は思っている。素質ではなくトレーニングの結果にすぎない。ただ、その「トレーニング」は日常生活の中で無意識のうちに行われているから、誰もそれがトレーニングだとは気づかないわけである。
私の場合で言えば、いつも家の中で横になって漫画や小説や童話などを読んで一日の大半を過ごすような就学前の子供は、いわば「寝たきり老人」と同じことであり、外で友達と駆け回って野球や何やらをしている連中の「トレーニング」量とは比較にもならないのである。
それが小学校に入ると、同じ土俵でスタートラインに就き、ヨーイドンで走らされたらどんな結果になるか、分かりきった話で、みじめにビリを走ることになる。その結果は「自分は本質的にダメな人間だ」という自覚(誤解)になる。それが一生のトラウマと性格形成の元になるわけだ。
このトラウマは勉強などで上位に立っても無くなるものではない。テストの点数などは勉強をやっているかやっていないかだけの話であり、単に紙の上の出来事でしかない。現実に衆目の前で他の子供に引き離されてビリになるという経験の強烈さとはまったく比較にもならないのである。
以上は、就学前のお子さんをお持ちの方へのアドバイスとしておく。(そういう人がこのブログを読んでいる可能性は限りなく低いが。)


(以下引用)

  1. 周りが騒ぐ認められることで自信がつき、大会などに出たり体育祭でもアンカーとかやるようになったりとか、これただ速くなったことだけでなく、成功体験に基づく自信がより速くさせてくれたと思っている。これが、勉強にも当てはまっていたらなぁ(笑)
    1. 結構成功体験から自信を持つ好きになるということはあって、俺が小学校6年生ぐらいから急に足が速くなった。その片鱗は5年生ぐらいからあって、体育館一周競走でクラスで1位になったりはし始めていた。横須賀に6年生の時転校したら、学校で一番になった。俺って、足速いんだと思い始めた。



脳梗塞にかかるのは馬鹿だけ?

岡田斗司夫のこの言葉は私には意味不明なのだが、「頭脳明晰で論理的」な人間は脳梗塞にかからない、と言いたいのだろうか。頭脳の性能と脳梗塞にかかるかどうかはまったく関係が無いと思うのだが。あるいは、善意に解釈したら、「頭脳明晰で論理的な人でも脳梗塞にかかって、その頭脳を失うから気の毒だ」ということだろうか。それなら、脳梗塞患者全体への侮辱だろう。脳梗塞による身体障害は残っても、リハビリに成功したら、頭脳の能力自体はかなり回復できると思うのだが、どうだろう。
なお、私の近親者も脳梗塞や脳溢血になった人が多いことは前に書いている。そのうち、私の父は、田舎の小学校中学校開校以来の秀才で、毎年のように級長(学業が一番の者がなるのが当時は当たり前だった。)をしていた人間である。だが、百姓の生まれなので、高等教育は受けられず、軍人になったが、田舎出身の軍人として異例の出世をしている。




あの頭脳明晰で誰よりも論理的な構文で語る山本さんが!
橘玲はこの人の文章を写経したら、1万倍わかりやすくなるのに!という「ラノベ文体でハラリが書けるSFおじさん」である。
そんな人でも脳梗塞にかかるんだよなー。
逃れられないんだよなー。

蕎麦とうどんの優劣

私はうどんも蕎麦も好きだが、毎日食べているのはうどんである。蕎麦は、夏には食べたいが冬には、年越し蕎麦だろうが、さほど食いたいとは思わない。つまり、熱い汁に漬かった蕎麦はまったく美味いとは思わない。蕎麦の漬け汁(と言うのか)は、醤油を薄めただけという感じであって、塩分がかなり高そうなので、あまり食物の塩分を気にしない私でも、毎日三食蕎麦を食うのはためらう。
なお、うどんも蕎麦も天かすを入れてたぬきうどんやたぬき蕎麦にしたのが一番美味い。冷やしたぬきも美味い。昔は月見うどんが好きだったが、今はさほどでもない。生卵の月見よりも、目玉焼きでも載せたほうが美味いのではないか。
なお、下の写真は、某スレッドのコメントを載せるつもりが、写真だけコピーされたのである。貧相なうどんで、美味そうには見えない。
スレッドのコメントにあったが、うどんはコンビニだろうがデパートだろうが、不味いうどんというのはほとんど無いが、蕎麦は極端な味の差がある。かと言って、有名蕎麦屋が抜群というわけでもない。立ち食い蕎麦でも、美味い店は美味い。今はどうか知らないが、代々木の富士そばは美味かった。銀座(砂場とか言ったか)だかどこかの「藪そば」のも食ったが、まあ、美味いことは美味いが、わざわざ店を探して行くほどの味ではなかった。



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賃貸住宅の家賃値上げは拒否できるか

「紙屋研究所」から転載。
まさに「生活の知恵」であり、しかも、大げさに言えば生命の存続に直結する話であるが、ネットの無かった時代には、こうした疑問に答えてくれる人はほとんどいなかったのである。


(以下引用)



アパートの家賃値上げに応じないと立ち退きか

 アパートの家賃値上げに応じないと立ち退きか――こういうタイトルの電話相談と回答が今日(2018年10月10日)付の「しんぶん赤旗」に出ていた。

 

 前、この話は聞いたことがある気がする。

 だけど、忘れていた。

 実は、今借りている家の老朽部分をまとめて改善を要求しようと思っているんだが、もし「じゃあ家賃を値上げする。嫌なら出ていけ」みたいに言われたらどうするんだっけ? と疑問に思って調べた記憶があるのだが、忘れてしまった。

 あと、1年前に契約の更新があって、その時も「家賃を上げたい」と言われたらどうするのかと思って調べたような気がした。でも忘れてしまった。

 今日の電話相談は、忘備録的に大事だと思うので、書いておく。

 アパートに35年すみ、大家からの書状には次の更新時に20%引き上げると書いてある。パートで暮らしていて払えないのでどうすればいいかという相談だ。

 回答しているのは平井哲史弁護士。

居住用に建物を貸している場合、建物の賃貸借契約の更新を拒絶することは、正当な事由がなければできないのです。(裁判例や旧借家法1条の2、現在の借地借家法28条)……借り手側に家賃の滞納などがなければ更新は認められます。

 相談者は「次の更新のときはどうすればいいか」と尋ねる。

 従来の契約条件で更新したいと要求できます。増額後の家賃を示されても「納得できないので払わない」と言ってください。

 もし家賃を上げないなら契約更新をしないと言われても、法定更新といって当然更新するので、これまで通り家賃は納めてください。……家賃の受け取りを拒まれた場合は法務局に家賃を供託する必要があります。必ず供託してください。 

 

 ただ、更新時でない場合の「正当な事由」というものがどうなるのかは議論があるでしょう。そこもこの相談は回答していますが、要するに、大家側から「近隣の相場と比べて低すぎる」などの証拠を示して裁判所などに調停を申し立て、協議しないといけないようなのだ。

 つまり家賃値上げは一方的なものではないのである。