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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ハイオクとレギュラーガソリンの違い

まあ、要するに、一般路上を走るかぎりは、ハイオクとレギュラーガソリンの違いは値段以外はまったく無きに等しいということになるようだ。

(以下引用)

何かが違う!? ハイオクガソリンの銘柄でクルマの調子に違いは出るのか

日本ではオクタン価が96以上のガソリンをハイオクと呼ぶ

 経済産業省・資源エネルギー庁の調査によると、平成30年度末(2019年3月)の段階で、日本全国に給油所(ガソリンスタンド)が3万70店あるという。そのうち、石油元売り大手JXTGエネルギーが展開するエネオスやエネジェット、出光昭和シェルが展開する出光やシェル、コスモ石油が展開するコスモなどのブランドが大多数を占めているが、JAやcarenex(カーエネクス)、ホクレンなど、その他のブランドも存在している。

輸入車オーナーは、必ず同じブランドのガソリンスタンドでハイオクを給油するという人が多い© くるまのニュース 提供 輸入車オーナーは、必ず同じブランドのガソリンスタンドでハイオクを給油するという人が多い 輸入車オーナーは、必ず同じブランドのガソリンスタンドでハイオクを給油するという人が多い

 店頭ではレギュラーガソリンやハイオクガソリン、それに軽油や灯油などを販売しているが、ガソリンのレギュラーやハイオク(プレミアム)はどんな違いがあるのだろうか。またブランドによって中身の違いがあるのだろうか。

【画像】それでもこだわりたい! ハイオクガソリンを画像でチェック(11枚)

 まずは国内の石油元売りや販売会社で構成する石油連盟に聞いた。「現在、国内で販売しているガソリンはJIS規格によりレギュラーやハイオクでそれぞれオクタン価が定められています。レギュラーだとリサーチオクタン価(RON)89.0以上、ハイオクでは96.0以上となっています。なおハイオクガソリンは、ブランドによってオクタン価が若干異なっています」とコメント。

 オクタン価とはガソリンが燃えにくくなる指標で、この数値が高ければ高いほど、圧縮の途中で発火することがない=ノッキングしにくくなり、エンジンの圧縮比を高めることができ、点火時期も最適化が可能となる。

 スポーツカーや高性能のエンジンを搭載したモデルの多くは、ハイオクガソリンの給油が指定になっているが、それはノッキングに強い製品を使うことで、本来持つエンジン能力を発揮できるからだ。余談だが、ハイオク指定のクルマでもレギュラーガソリンを使用することができるモデルがある。ただし、通常の性能を発揮できないと車両取扱説明書にも記載があるので、ここは注意しておきたい。

 各ブランドのハイオクのオクタン価だが、公表している数値は以下のようになっている。

●エネオスハイオク(エネオス) オクタン価99.5以上

●スーパーゼアス(出光) オクタン価100

●V-power(シェル) オクタン価未公表

●スーパーマグナム(コスモ) オクタン価99.5以上

 大手元売り系ブランドのハイオクはこのとおりだ。オクタン価100を明言しているのは、出光ブランドのスーパーゼアスのみとなる。

ハイオクを入れてパワーが上がったように感じるのは、残念ながらプラシーボ効果

 大手元売り系ブランドには、以前はモービルやエッソ、JOMO、それにゼネラルなどのブランドもあったが、2016年に元売り会社の統合があったことで、いまはいずれもエネオスブランドへと生まれ変わっている。

日本で一番多いガソリンスタンドのブランドはエネオスだ。全国に1万3000店舗ほどあるという© くるまのニュース 提供 日本で一番多いガソリンスタンドのブランドはエネオスだ。全国に1万3000店舗ほどあるという 日本で一番多いガソリンスタンドのブランドはエネオスだ。全国に1万3000店舗ほどあるという

 出光昭和シェルは、出光興産と昭和シェルが合併した会社だが、そのうちシェルブランドのハイオクは「未公表」となっている。いずれはブランドが統一されることになると思われるが、以前、系列のガソリンスタンドで店長を務め、現在は販売管理部署に籍を置く人にハイオクについて話を聞いた。

 「ガソリンのレギュラーとハイオクの違いは、ハイオクにはオクタン価を上げるために添加剤や洗浄剤が含まれています。価格の違いも、その添加分が上乗せになっていると思っていいでしょう。

 愛車にハイオクを給油して、クルマのパワーが上がったように感じるのは、残念ながら価格によるプラシーボ効果だと思います。ただしまったく効果がないというわけではなく、ハイオクには洗浄剤などが含まれているので、出力の向上はなくてもエンジンにとってのメリットはあります。

 ウチのハイオクもお客さんの間で評判は良かったですよ。他の元売りさんのハイオクとどこが違うのか、と言われると、うーん、どうなんでしょう」と笑う。

 元店長は続けてコメントした。「ブランドマークが入っていない、無印のタンクローリーが出入りするガソリンスタンドは出所不明でガソリンの品質が低い、なんていう話もよく耳にしますが、国内で石油製品を出荷できる設備は限られてくるので、粗悪なガソリンが積まれている、というのは考えにくいです。

 何かを混ぜようにも、ガソリンよりも安い可燃物はそうそうないし、混ぜることでコストダウンを図ることもないでしょうね。

 ただ、ガソリンの質が低いとウワサされるガソリンスタンドは確かに存在します。古いガソリンスタンドでは、地下タンクの底に貯まった水が何らかの理由で混ざってしまうことがまれにあるようです」と話す。

 国内の元売り各社で販売されているハイオクは、JIS規格でオクタン価が厳密に定められているので、それぞれのガソリンの質には大きな差はないと思っていいだろう。「Aというブランドのハイオクを入れたら急にクルマが速くなった」「Bというブランドのハイオクを入れるとクルマの調子が良くなる」ということは、どうやらなさそうだ。

 ただ、それぞれが自社のハイオク商品にこだわりを見せているのも事実で、エンジン清浄剤の配合やサルファーフリー(硫黄分が10ppm以下の燃料)化などを謳っている。長い目で見たとき、もしかしたら違いが出てくる可能性もある。

 近年は元売り各社の合併が相次いだ結果、現在はエネオス(JXTGエネルギー)と出光昭和シェル、コスモ石油が市場を占めている状況になっている。自宅近くにあるガソリンスタンド、あるいは長年入れ続けているブランドなど、自分のカーライフに合わせて選ぶのがよいのではないだろうか。

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下種総理と学者天皇

牛車が暴走する危険性については「平家物語」で初めて牛車に乗った木曽義仲の牛車が暴走して義仲が無様な姿をさらして笑い物になる描写がある。そういう牛車の危険性から、では天皇は牛車に乗ったか、という問題に結びつける想像は、自分自身が将来の天皇となる皇太子独特の発想だろう。
天皇教育の一環として、研究者としての時間を持つことは、物の考え方に合理性と実証性が生まれるだろうから、非常に有意義だろう。
なお、現天皇(今上天皇)は水問題にも詳しいようで、素晴らしい。学者的な、たとえば水棲生物の環境問題などだけでなく、できれば水道民営化への懸念のお言葉が欲しいところだ。
まあ、国民の知的平均より劣る総理大臣もいる国だが、一方でこういう「学者天皇」もいるのが面白い。

(以下「東京新聞」より転載)


陛下、研究20年集大成 即位前に「牛車」論文寄稿

皇太子時代の昨年7月、研究者の一人として講演する天皇陛下=東京大学伊藤国際学術研究センターで(陽明文庫HPより)

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 天皇陛下は、平安時代以降の貴族の乗り物「牛車(ぎっしゃ)」に関する論文を、即位前に出版された刊行物に寄稿されていた。学習院大学史料館客員研究員として二十年以上にわたる研究成果の一つで、研究を通じて交流のあった専門家の証言などから、一次史料に誠実に向き合う学者・天皇の素顔が浮かび上がってきた。 (編集委員・吉原康和)

 二〇一八年七月十五日、東京大学(東京都文京区)のホールに、皇太子時代の天皇陛下の姿があった。

 日本学術振興会の科学研究費による財団法人「陽明文庫」設立八十周年記念特別研究集会で、陛下は「陽明文庫に残された三点の牛車絵図」と題して約三十分間、講演した。

一次史料に向き合う天皇陛下が講演で取り上げた、代表的な牛車絵図の一つ=陽明文庫蔵

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 陛下は「天皇は牛車に乗ることはなかった」とし、その理由について、車を引く牛が暴走する光景が描かれている中世の絵巻物を紹介。「牛車は安全な乗り物ではなかった」と指摘した。この講演は学習院大学史料館客員研究員の木村真美子さんとの共同研究の集大成で、平成の最後に出版された『陽明文庫 近衛(このえ)家伝来の至宝』(吉川弘文館)に論文として収められている。

 宮内庁によると、陛下は講演の日の朝、側近を通じて出席者分の講演用レジュメを会場に届けた。側近は「この日の研究発表に限らず、陛下は前日ぎりぎりまで発表の準備をなされている」と話している。また、集会終了後の情報交換会にも出席。滞在時間は「異例中の異例」(側近)の八時間に及び、情報交換会では参加者約六十人の一人一人と和やかに交流した。

 集会で報告者の一人として参加した国立歴史民俗博物館准教授の小倉慈司(しげじ)氏(古代史)は「陛下の牛車絵図研究は数十点にも及ぶ写本調査の上に築かれたもので、そのなかには研究によって史料的価値が明らかとなり、国の重要文化財(重文)指定に結びついた史料がある。史料研究は地味ながら、さまざまな研究の基盤となるものであり、陛下の研究もまた、今後、長く評価、参照され続けることになるのではないか」と話している。

徳仁親王名の講演用レジュメなどの資料

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◆乗車体験「タイムスリップ」

 昨年末刊行された『御料車と華族の愛車』(霞会館、非売品)所収の論文「前近代の『御料車』」で陛下は牛車との出合いについて初めて言及。「車は、自分を短時間で遠いところへ連れて行ってくれる有り難い存在であった。一方で、子供時代の私は、街を自由に歩きたくても、車があるためにそれができないうらめしさを、少しばかり車に対して抱いていたことも確かである」と述べている。

 陛下は皇太子時代、研究のための体験として、宮内庁京都事務所に保管中の牛車に計三回乗車。二〇〇七年の初乗車では、学習院大学史料館の「ミュージアム・レター」(同年九月十五日)に「車輪の回転に伴い、キーキーという独特な摩擦音があたりに響く。平安の都は、日夜このような牛車の音に満ちていたのだろうか。ゆるやかな時の流れに身をゆだねながら、しばし、当時にタイムスリップしたような感覚にとらわれた」と体験記を寄せた。

天皇陛下が研究の一環として乗車体験された牛車=宮内庁京都事務所提供

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 水問題の専門家として知られる陛下が牛車研究に本格的に取り組むようになったのは、一九九六年に学習院大史料館に寄託され、車絵が大量に収められた西園寺(さいおんじ)家文書の調査を始めてからだ。側近を通じて愛知県西尾市岩瀬文庫に所蔵されていた江戸時代の「車之図」の複写史料を取り寄せるなど、牛車絵図の写本調査や乗車体験を行い、研究を深めてきた。

 学習院大学で共に中世史を専攻した学友の乃万暢敏(のまのぶとし)さん(60)は「陛下の研究姿勢は極めて緻密で実証主義に基づいている。学生時代に培ったフィールドワークを大切にされる研究姿勢も感じる」と語った。










「普通の男」www

この少子化時代に生まれる子供が一夫婦平均ふたりだと仮定し、その半分が男だとしたら、生まれる男はすべて長男であるwww たまたま子供が二人とも男だった場合だけ(その家庭においてだけだが)長男率は50%に下がる。まあ、全家庭の非長男率は30%程度かと思うが、その時点で「普通の男」ではない。その上に大卒で正社員で年収500万円以上となると、それが非長男の半分いたとしても全体の男の15%である。その中の半分くらいは身長170センチ以下ではないか。まあカネ以外は落第でも前澤程度で我慢しておけ。



【悲報】「普通の男」の基準が判明する・・・・

「恋愛」とは何か

「さざなみ」という人(別に漫画家ではないようだ。)の書いた「母とセーラームーンと私」というネット漫画(全二回)を読むと、恋愛というのは人に対してだけではないな、と思う。何かに対して夢中でのめり込むことが恋愛なのであって、その対象が何かは関係ない、ということだ。
そういう意味の恋愛なら私は実に素晴らしいと思う。私が常々恋愛を軽蔑するような言説をするのは、単なる打算を恋愛として自己欺瞞する心性に対しての不快感の故である。
「母とセーラームーンと私」で描かれたような、没我的な「恋愛」(セーラームーンに対しての恋)というのは、あまり物事を知らない子供のころにしか存在しないかもしれない。ウラジミール・ナボコフが「ロリータ」の冒頭で書いたのはそういうことだろう。無垢さとは無知とほとんど同義であり、無垢で無知だからこそ強烈な「恋」をするのである。
いろいろと比較対象する存在を知ると、「あれかこれか」の間で迷い、その価値を比較考量する「打算」が生まれるわけだ。世間の多くの恋愛はそれだ。だから私はそうした『恋愛』に対して嘲笑的なのである。

なお、「あれかこれか」はキエルケゴールの著作のひとつの題名だが、もしもそういう「比較考量の下種さ」を論じたものなら読んでみたいと思う。

勇気か慎重さか

「いつか電池が切れるまで」から転載。
まあ、実人生では無謀に突進するほうがいい場合もけっこうある(たとえば高峰の花に愛を告白するなど)と思うが、ゲームでは確かに記事筆者の言うとおりだろう。つまり、それは、ゲーム作成者がゲーマー心理をちゃんと読んで、無謀な突入をすると九割がた失敗するように作っているからだ。そしてそれはゲーマー自身の責任だから、ゲーム自体を批判できない。

(以下引用)

 冒頭の動画では、長年『ドルアーガ』をプレイしてきた人の「すごいテクニック」を堪能することができるのですが、動画をみていると、ちょっともどかしい感じがするのです。それは、僕の感覚では「もう、このまま突っ込んでアイテムを取れそう」な状況でも、プレイヤーはそのアイテムの手前でいったん止まって一呼吸おいて、マジシャンの呪文を受けたり、敵がもう一回動いて止まるのを待ったりしてから、確実にその「最後の1コマ」を進めるからなんですよ。

 ミスが許されない、という縛りがあるからなのかもしれませんが、本当に慎重なプレイにみえます。
 ゲームスタートからクリアまで、「思い切って見切り発車」「一か八か」みたいな場面はほとんどありません。
 ゲームがうまい、というのは、敵弾の嵐をかいくぐるようなテクニックをイメージしがちなのですが、少なくともこの『ドルアーガの塔』の動画に関しては、「我慢するべきところで、しっかり我慢している」ことがすごく印象的でした。
 あんまり残り時間もなくて、目の前にゴールの扉があれば、「このままいけるだろう」と突っ込んでしまいがちじゃないですか。
 でも、「本当にうまい人」というのは、そこで油断せずに、「最後の1コマ」を慎重に進めていくのです。

 実際、車の運転も仕事のトラブルも、「まあ、ここまで来たから、たぶんもう大丈夫だろう」という希望的観測にとらわれたときに、大きな失敗をしてしまいがちですよね。

 うまくいきそうだからこそ、舞い上がらずに、確実に勝てそうな状況が来るのを待つことができるかどうか。
 プレイ動画では、危なげなくクリアしているようだけれど、そう見えるのが、すごいことなのです。

 ドルクロス!!