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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

仕事上の権力を悪用する連中

無著名記事なので、書き手が男性か女性か分からないが、書かれた事例のすべてが「枕営業」でもある、という事例をわざと集めている気がする。現実には女性側にはまったく過失の無いパワハラやセクハラの事例もたくさんあるだろうに、単に書き手の見聞が少ないのだろうか。まあ、もともと「表に出にくい話」なので、実例を身近な知人から探すのが困難だったのだろう。
出版界でのセクハラが厄介なのは、それがパワハラと並行している事例が大半だからだろう。つまり、犯行者が仕事上強い立場で被害者が弱い立場であるわけだ。しかも、女性側がそのセクハラを(仕事上のメリットを失いたくないために)受け入れたら、それはお互いの合意のあった枕営業ということになり、犯罪事件として立件できなくなるかと思う。

(以下「弁護士ドットコム」より引用)

オフィスで性行為「素敵な夜だったね」に悔し涙…「メディア業界」のセクハラ、ひどすぎる実態

オフィスで性行為「素敵な夜だったね」に悔し涙…「メディア業界」のセクハラ、ひどすぎる実態
画像はイメージです( ThanhAn / PIXTA)

メディア業界の驚くべきセクハラの実態を暴いたのは「週刊文春」だった。幻冬舎の編集者が、既婚でありながら、女性ライターのA子さんに「絶対変なことしないから家に行きたい」とメッセージを送り、強引に体に触れてくるなどしたという。

A子さんは、「週刊文春」の取材に「編集者とライターという圧倒的な立場の差があるから強く断れなかった」と話している。

筆者もメディア業界に属する人間である。このように、立場の違いを悪用したセクハラがあることは、度々耳にしてきた。改めて実態を明らかにしたいと思い、業界内でセクハラ被害にあった3名の女性に話を聞いた。(ジャーナリスト・肥沼和之)

●編集長「膝の上に座って」

フリーライターの幸子さん(37歳・仮名)は、某メディアの編集長B氏と、望まない形で性的関係を持つことになった。二人が知り合うきっかけは、あるパーティー会場。B氏にもそのメディアにも憧れていた幸子さんが、過去に書いた記事を見せたところ、後日B氏から執筆の依頼が来る。念願がかなったと幸子さんは大いに喜んだ。

やり取りは別の担当編集としながら、記事を寄稿するようになった幸子さん。あるときB氏から、打ち合わせをしたいからと、会社に来るよう言われた。指定された平日の19時にオフィスに行く。担当編集やほかの社員はすでに帰宅したようで、B氏以外オフィスに誰もいないのが気になったが、深く考えなかった。

「B氏は著名な方で、すごく正義感が強く、誠実なイメージで通っています。社会的にも立派なので、安心して彼専用の仕事部屋に入りました」

打ち合わせ後、尊敬する方を前にした幸子さんは、いろいろな質問をしていった。最初は真摯に応えていたB氏だが、やがて「パブリックなことはここまで、これからはプライベートの時間」という言葉と共に態度を豹変させた。

ワインが出され、幸子さんは勧められるままに飲んだ。席を立ったB氏が、オフィスの出入り口に施錠がされているか確認している様子を見て、初めて不安を覚えた。折を見て帰ろうと思ったが、タイミングをつかめないでいると、「膝の上に座って」と言われた。嫌だったが、幸子さんは従わざるを得なかった。

「拒否して逃げることも考えました。ただそうすると、このメディアで書けなくなってしまう。それはどうしても嫌だったんです。それに、『こんなに立派な人がなぜ?』という驚きで内心動揺し、どうしようか迷っているうちに、流されるまま膝の上に座ってしまいました」

B氏はそのまま幸子さんを抱きしめた。奥さんの写真が置いてあるデスクから、B氏は避妊具を取り出し、幸子さんを襲った。そして、その翌日、「昨日は素敵な夜だったね」とメールが来たのだ。幸子さんは改めて落胆したという。

「私も楽しんだって思われたのか……と感じて、すごく残念に思いました。ああいったことを求めてきた相手にもがっかりしましたが、断らなかった自分にも同じ思いでした。仕事を失いたくないからと、私が要求を受け入れたことは、枕営業と同じなのかもしれないって」

●「本を出したい」という夢につけこまれ

「本を出したい」という夢につけこまれ、編集者から都合の良い関係を強いられたのは、ライターの真理子さん(30歳・仮名)だ。真理子さんは、知り合いだった編集者D氏から依頼を受け、ある人にインタビューをした。D氏も同席したその場で、ちょっとした下ネタのやり取りがあり、真理子さんは照れた素振りを見せた。それがきっかけか、取材後にD氏からホテルへ誘われた。真理子さんはそれを受けてしまう。

「当時は仕事のストレスがあり、出会いもなかったんです。自己肯定感が低かったこともあって、誘いに乗ってしまった。その後、Dとはセフレの関係に陥りました」

真理子さんは恋愛感情を持つようになったが、D氏にその気はなかった。関係がずるずる続くなか、真理子さんが連載していた記事が話題になる。編集者として敏腕で通っていたDは、その連載を書籍化したいと持ち掛ける。本を出すことが夢だった真理子さんは、喜んでその提案を受けた。

だがプライベートで、恋愛感情を伝えると、D氏は態度を豹変させた。「僕にすがりついているようなら本は出さない」と言われ、真理子さんは泣く泣く自分の気持ちを押し殺した。

「この人に従わないと本を出せないと思い、『もう恋愛感情はありません』と答えました。すると彼はころっと態度を変え、書籍の話は進みました。明らかに権力を利用していました」

その後も打ち合わせをするたびに、D氏はホテルに誘ってきた。編集者の立場を利用し、真理子さんを彼女ではない、都合の良い存在として扱っていたのだ。またD氏は、本命の彼女の写真をSNSによくアップしており、見るたびに辛くなった。無事に書籍は出せたが、真理子さんは精神を病み、心療内科に通院することになる。

「本を出せなくなるかもしれない恐怖に怯え、Dの言うことに従ってしまいました。彼は非常に女癖が悪く、今までも女性関係のトラブルが絶えなかったことを、いろんな人へのリサーチで知りました。今はDに対して怒りと恨みしかありません」

●新聞社の派遣社員「セクハラを断るという選択肢はない」

某新聞社で、派遣社員として事務をしている梓さん(33歳・仮名)は、セクハラが当たり前の風土に悩まされている。職場は40~50代の男性が中心で、女性は20~30代の派遣社員が数名だけ。

男女、年齢、雇用形態などあらゆる面で格差があるためか、性的嗜好を聞かれる、ホテルに誘われる、など珍しくなかった。梓さんが入社前のことだが、正月には女子社員が社長室に集められ、ホステスさながらにお酒をつくらされた。社長の入れ歯が入ったお酒を飲まされた女子社員もいたという。

「セクハラを断る、という選択肢はこの会社にありませんでした。やられた方は、笑顔でうまく受け流さないといけなかったんです」

こんなこともあった。仕事中、男性社員たちが自慰行為の話をしていた。耐えかねた梓さんが、先輩の女子社員に相談すると、「そんなことで?」と取り合ってくれない。派遣会社にも相談したが、改善はされなかった。辛くて夜にひとりで泣いたこともあったが、今は現状を半ば諦めて受け入れている。

「働く場において、仕事のこと以外で悩むのは、圧倒的に女性の方が多いと思います。当たり前に行われるセクハラと、うまく折り合いを付けていくしかないのかなと。『声を上げればいい』『正社員になればいい』と言う人もいますが、できない人もいることをわかってほしいです」

●この状況が異常だと認識するべき

最後に、筆者が聞いた卑劣なセクハラも紹介したい。

出版業界に携わる男性が経営するバーがある。そこに客として何度か行った女性が、小説を書いてみたいと話すと、後日オーナーから「教えてあげる」と店に呼ばれた。その日は定休日で、店内は女性とオーナーの二人きり。客が入って来ないよう、ドアの前にはカラーコーンが置かれていた。最初は小説の書き方を教えてくれたが、やがて無理やりキスをされた。ショックと気持ち悪さで、女性は帰ってから号泣し、長い時間口を洗ったという。

立場の違いに加え、出版カルチャーを利用した、悪質極まりない行為である。筆者もバーを経営しており、本や出版に関心を持つお客さんとよく接しているが、こうはなりたくないと改めて誓った。

仕事をあげる人と、もらう人。年齢や役職が上の人と、下の人。正社員と、非正規社員……このような立場の差を悪用し、理不尽な要求をされた場合、どのように対処すればいいのか。梓さんが言うように、誰もが声を上げたり、強い態度で立ち向かったりできない。

逆らうと、したいことができなくなる、仕事や収入を失う、業界で干される、という怖さも付きまとう。冒頭の編集者の誘いを、A子さんが強く断れなかったのは、まさにこういった事情があるからだ。

しかしSNSには、今回の件について、メディア業界の人たちからも、A子さんを非難する投稿が多く上がっている。「拒否すればいい」「家にあげるなんて考えられない」と簡単に切り捨て、弱者側の辛さや葛藤を、理解も想像もしようとしない風潮が、業界に根強くあると痛感した。

メディアの重要な使命のひとつは、弱者に寄り添い、強者の不正や権力乱用に目を光らせ、平等な社会づくりを支えることである。その業界で確信犯的に、あるいは無自覚にセクハラが横行している。そしてときに、被害者は声を上げることすら許されず、勇気を出して告発しても、嘲笑やバッシングというセカンドレイプに見舞われる。

メディアに携わるすべての人は、この状況が異常ということを自覚し、あるべき正しい姿を真剣に考えていく必要があるのではないだろうか。

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年齢による味覚の違い

温かいものが美味しいというのは、成年してからのことかもしれない。
私も幼いころは冷えたままの食物を美味しく思っていたような気がする。


(以下引用)

吉田戦車
@yojizen
昼食。小5にスーパーで買ってきた天丼を温めもせず出したら、こんなうまいもん食ったことねぇ!的に大喜び。







中村うさぎインタビュー(3)

──そんな禁欲生活を送っていたのに、なぜホストにハマったんですか?

中村 禁欲ではないです。性欲や恋愛欲求を我慢してたわけではないので。ただもう本当に心から「男なんかいらない」時期だったんです。でもその8年の「鉄の処女期」の間に私はすっかり「女の旬」を過ぎてしまった。そのことに気づいたとき、私の中に再び「女としての承認欲求」が蘇ったんですね。若いころとは違って焦りを強く含んだ恋愛欲求です。

そこに、ホストが現れた。女客との仮想恋愛のプロですよ。旬を過ぎて焦っていた私は簡単に手に入る恋愛に飛びついてしまったんだと思います。でも結果的に手に入ったのは「女としての充足感」ではなく、「騙された!」という屈辱感だったわけですが(苦笑)。

私がハマったホストというのが、ものすごくバカだったんですよ。本当に無教養で頭が悪かった。だから、「こんなバカに騙されたなんて、私もっとバカじゃん!」と愕然としました。どんだけバカだったかというと、くらたま(倉田真由美)と一緒にホストクラブに行ったとき、彼女が真顔でこう言ったくらいです。「こんなに頭が悪い人たちと話したのは、これまでの人生で初めてかもしれない」って(笑)。

──唖然とするほどのバカさ(笑)。

中村 でも、くらたまの反応も当然だと思う。だって私たちの周りにいる編集者とかってどんなにチャラチャラしててもいわゆる一流大学出てたりするし、知的水準だって決して低くないですからね。くらたま自身、一橋大学を出ているわけですし。でも、私の指名したホストの無知と無教養には目をみはるものがあった。「サルが人間に進化する狭間のミッシングリンクはこいつだった!」とか冗談で言ったくらいです。

──のちに整形にハマったときは、雑誌の企画とも連動していましたよね。ホストにハマったのは純然たる好奇心からだったんですか?

中村 最初はまさに好奇心でしたね。新宿二丁目で遊ぶのに飽きて、女友達と「通りを超えて歌舞伎町行ってみるかー」と軽い気持ちで足を踏み入れたんです。で、さっきも言ったように、今まで見たこともない人種に出会った。見たこともないほど美形で、見たこともないバカな男ね(笑)。

当然、「こんなバカが私を騙せるわけがない」と見下していたんですが、甘かったですね。ホストは騙しのプロだった。よく野球なんかのスポーツ記事で五角形のレーダーチャートが載っているじゃないですか。「守備力」「打撃」「走力」とかが一目でわかるグラフ。あれでいうと、ホストって他は何もできないくせに人を騙す能力だけは突出して高いんです。

それでホストにハマってまんまと騙されて、女として終わりかけているんじゃないかという焦りにますます拍車がかかった。「こんなバカ男に騙されるなんて、私はもう女として終わってるんじゃない?」「ていうか私ってもはや男には欲情されないのかな?」って。要するに女としての市場価値が暴落していることをホストクラブで思い知らされたわけです。そこで見た目の若さを取り戻そうとして、整形に走ったんですね。

──出会い系などに傾倒していったのも同じ流れですか?

中村 うん、同じ。「まだ自分は女として求められている」と安心したかったんです。私の場合、出会い系サイトで会った男とは、よっぽどのことがないとホテルまで行かないんですよ。大抵は向こうが行きたそうにしているのを見て、満足した時点で終了。そこが私のツボだったんだと思います。

──傍から見てわからないのは、中村さんは作家としての社会的ステータスもあるし、ファンもいれば収入もある。つまり何ひとつ不自由ないはずなのに、なぜ「もっと、もっと!」と求めるかということなんです。

中村 その疑問は、東電OLの話にも通じると思う。東電の総合職といえば、少なくとも当時はエリート街道そのもの。「それなのに、なぜ立ちんぼなんてやってたのか?」という疑問と衝撃を世間に与えたわけじゃないですか。私があの事件で興味深かったのは、一部の女性たちから「その気持ちわかる」という共感を集めたことなんですよね。その人たちは売春なんて関係のない世界で生きているんだけど、「東電OLは私かもしれない」という思いがあった。

やっぱり女が社会の中でバリバリ仕事していくと、社会的成功とは裏腹に失うものも多くなるわけですよ。たとえば婚期や出産のタイミングも逃すでしょうし、女としての旬を仕事に捧げてしまうと何か重要なものを犠牲にしたような気持ちになる。「出世することが果たして女としての幸せなのか?」という自問は、常につきまとうんじゃないかな。特にあの当時はね。

──そこは男側が見落としがちなポイントかもしれません。

中村 根本から違うんだと思いますよ。男の場合はどんなブサイクで生まれてきても、社会的な成功や富によって綺麗なトロフィーワイフをゲットすることも可能じゃないですか。だけど女の場合は、それがなかなか難しい。地位や富や名声がモテと結びつかないんですよ。いや、むしろモテを遠ざける。

ましてや私たちみたいな作家や漫画家といった人種は、名前が知られるほど恋愛しにくくなるんですね。なぜなら、作品の題材として書いちゃうから。私はもちろん、(内田)春菊さんにしても、岩井志麻子にしても、くらたまにしても、自分の恋愛を赤裸々に書いちゃうでしょ。これじゃ男から警戒されますよね(笑)。

──「男からチヤホヤされたい」という気持ちは、病気を経てどのように変わりました?

中村 退院直後は気持ちの面では変わらなかったけど、現実問題としてデートもセックスも諦めざるを得なくなると、その欲求も薄れていきましたね。退院直後はドラクエとかのオンラインゲーム上でイチャイチャしてました。「どんなエッチが好きなの?」とかチャットでやりとりしてね。

──ドラクエということは、相手が子どもかもしれないじゃないですか。

中村 そうなのよ! 一度なんか相手が小学生なのに気づいて慌てたことがありました(笑)。私は下ネタ大好きなんだけど、中学生の子に下ネタ言ってたらその子の親から怒られたこともあった。横から会話を見ていたお母さんが「こんな下品な人とは遊んじゃいけません!」って(笑)。まぁ、私も「チン毛、生えた?」とか普通に訊いてたからね。でも、もともとは本人が「チン毛がまだ生えない」って言い出したのよ? だから会うたびに挨拶代わりに「よぉ、チン毛生えたかー?」って訊いてたら、ついに親から怒られちゃった(笑)。

でもまぁ、最近はオンライン上のバーチャル恋愛も飽きてぱったりとやめた。本当に性欲も恋愛願望も一切ないもんなぁ。たまにオナニーはするんですよ。でも私のオナニーはセックスの代替行為ではないの。マッサージみたいなもので「肩が凝ったから、マッサージでも受けるか」という感覚。「あー、なんか気持ちいいことしたい……そうだ、オナニーしよっと」みたいな感じなんです。そこにロマンティックな要素は一切ないですね。

中村うさぎインタビュー(2)

──買い物依存、ホスト、整形……。世間が考える中村うさぎ像というのは、自身の強烈な欲望に突き動かされている姿だと思うんです。そういったエネルギーは今どこに向かっているんでしょうか?

中村 ……今は、もうなくなってしまったのかもしれないな。それでも恋愛欲求みたいな感情だけは、退院直後もまだ残っていたんです。だけど車椅子のオムツ生活だから、実際はどうにもままならないわけですよ。出会い系で誰かと知り合ったところで、夫に車椅子を押してもらいながらラブホ行くわけにもいかないしねぇ(苦笑)。

──若いうちは「50歳にもなれば、恋愛なんてどうでもよくなるはず」と考えがちですが、実際は男女ともにそんなこともないですよね。

中村 もちろん個人差はあるとは思うんですよ。私の場合は「性欲」というよりは「承認欲求」みたいなものが強いんです。「女として誰かから求められたい」という感情ですよね。セックス自体が楽しくて仕方ないというタイプも世の中にいますけど、私自身はそうではなかった。この承認欲求というものは、身体が悪くなったところで急に消えるわけもないですから。

たしかに私は売り専で買ったり、出会い系サイトで知り合った男とやったりもしていました。だけど病気してセックスができなくなったところで、欲求不満は特に感じませんでしたね。セックスという行為自体は大して重要じゃなかったんだと思う。

──とはいえ「相手から求められたい」という感情の中には、「性的に求められたい」というニュアンスも含まれているのでは?

中村 もちろんですよ。でもそれは「性欲」とはまた別の欲求でしょ? 「セックスしたい」という欲求ではなく「欲情されることで女としての自分の価値を確認したい」という承認欲求なんです。「女である」というのは一体どういうことか? 「女」の定義はひとつやふたつではなく、もっと多面的なものだと思う。で、少なくとも私にとって女であるということは「子どもを産む」みたいな要素とは切り離されていて、「男の欲望の対象である」ということが大きな意味を持っている。

自分が好きな人から好かれたい。これは誰しもが持つ感情だと思います。だけど現実は自分が好きでもない人から欲望のまなざしで見られたりもする。じゃあ、このシチュエーションをどうやって受け止めるのか? 私の場合は「快感」と「不快感」が入り混じった気持ちになるんですよね。

──自分の中で矛盾を抱えた状態?

中村 やっぱり女だと若いころに痴漢されたり、男の人につきまとわれたりして、怖い目に遭うことが多いじゃないですか。だから男性の性的な視線に対する嫌悪感というのが、どうしても根強く残ってしまう。痴漢に遭ったときの屈辱感とか羞恥心というのは、男にはちょっと想像できないと思いますよ。一種の男性嫌悪というか……。

でもその一方で、自分が年を取って誰からも性的な視線を浴びなくなると、なんだか自分の価値が暴落したような切ない気分になるわけです。「男の欲望の対象であることの快感と不快感」というアンビバレントな気持ちは、多くの女性が抱えていると思います。で、人生の時期によって、快感の方が優勢だったり不快感の方が強かったりする。私自身、「男なんてもういいや」となった時期が30代半ばくらいでやってきましたし。

──それは前の旦那さんと離婚して、そのあと恋人とも別れた時期ですか?

中村 そうです。その男とは不倫だったんですけどね。それで別れてからは「鉄の処女期」が到来するんです。鉄の処女期に私が何をしていたかというと、オカマとばかり遊んでいました。ホストにハマる42歳くらいまで、8年くらいは「一生、男なんて必要ない」と本気で思っていましたね。

中村うさぎインタビュー(1)

中村うさぎインタビュー記事の一部である。
非常に深遠な内容で、生きる意味、死ぬ意味、人間における性の意味など、どのような哲学者や高僧や心理学者でも「頭でしか」分かっていない部分を超えていると思える。
長いので、重要と思う部分を二回か三回くらいに分けて載せる。

(以下引用)

─生死に直結するような病気に直面したことで、人生観や書く内容にも大きな変化が生じたかと思います。

中村 私の場合、入院中に心肺停止もしましたしね。そのときは呼吸も心臓も止まったわけで、要するに一瞬は死んだということなんです。そこで確信したのは、「あの世など存在しない」ということでした。

──よく「走馬灯のように記憶が蘇る」とか言いますけどね。

中村 ねぇ?
佐藤優さんみたいなクリスチャンに言わせると、「うさぎさんは覚えていないだけですよ」ってことになるんだけど。たしかにその可能性もあるんですよ。なにせこっちは意識を失っているんだから。天国の門だか地獄の門だかを実際に見ても、この世界に戻ってきたときに覚えていないというのはありえる話でね。

でも、薄ぼんやりとした記憶の中で私が覚えているのは、テレビの電源をプチっと切った感覚。あれに近いんです。ある瞬間を境にして、急に世界が真っ暗になる。そこからは、ただの闇。夢さえ見ない深い眠りの底に沈んでいく感じかも。そして目が覚めたら、もう3日くらい時間が経っていた。

だから結論として、死んだら何もないですよ。ゼロの状態になるだけ。私は無宗教だけど、死んでも何かしらあるのかもしれないとは思っていたんです。よく言うじゃないですか。死んだあとも魂は残っていて、その魂が死んだ自分の肉体を眺めているとか。あるいは臨死体験として、トンネルの向こうに光が見えるとか。でも私の場合、そういうことは一切なかったですから。極めてあっさりしたものでした。

──死は別にスピリチュアルなものではないと。

中村 霊的な体験は一切ありませんでしたね。もともと私は死を怖がる性格でもないんだけど、あの体験をしたことで「死ぬのって楽じゃん」と思うようになりました。だって意識が残るっていうのは、自我があるということ。自我がある限り。生きているのと同じ煩悩が続くわけでしょう? この世に未練や後悔も残るだろうしね。私のことだから、友達の反応とかにいちいちムカついているかもしれない。「勝手なことばかり言いやがって……」とか(笑)。

だけど実際は単に深く眠っているような状態だったわけで、そこには何の責任もなければ、何の感情もない。私にとって死は「一大ラッキーイベント」でした。あのときに死ねなかったのが今でも無念です。

──「何も考えなくていいから楽」というのもわかるのですが、中村さんは常に「私とは何?」と考えながら執筆してきました。

中村 そうですね。だからもう、そういうのから解放されたいの。「私とは何か?」「人間とは何か?」みたいなテーマって、私以外の人だってやってることでしょ。私の代わりの誰かが文章にして、その考えがもっと核心を突いてたり面白いものだったりしたら、世の中にとっても結果的にいいわけですし、私が死んでも誰も困らない。

意識が戻って退院したあと、つくづく「生きるって大変すぎる。死んだほうが絶対に楽」って思い知らされました。なにしろ自分の力で歩けないという状態は、今まで経験したことないわけですよ。乙武(洋匡)さんみたいに生まれつき不自由な状態だったら感じ方も違うんだろうけど、それまで当たり前だったことが当たり前にできなくなる無力感というのは相当に大きくてね。

乙武さんとは何度かごはんを食べたこともあるし、それ以外にも車椅子に乗っている知り合いが私には何人かいるんです。そういう人たちが食事をしたりトイレ行ったりしている様子を見ながら、「やっぱり大変そうだな」なんて他人事みたいに思っていたんですけど。いざ自分が急にそうなってみると、とてつもない無力感に襲われるんです。「私は何もできない人間だ」って……。

だってトイレにすら自分ひとりでは行けないんですから。そもそも普通の家はトイレが車椅子仕様になっていないですしね。それで夫が介護用の支柱をつけてくれたりしたんですけど、それを使ってひとりで用を足せるようになるまでは本当に何ひとつできなくて。夫も介護疲れみたいな感じになったし、こっちとしては申し訳ないという気持ちでいっぱいになりますよ。

──やはり介護疲れみたいなことも起こりましたか。

中村 たとえば疲れ果てた夫がソファで大爆睡しているとするじゃないですか。だけど、そんなときに限って私は猛烈にトイレに行きたくなるんですよね(笑)。それがウンコだったらオムツの中にすればいいんだけど、おしっこだとそうもいかない。というのも成人用に作られたオムツとはいえ、我慢に我慢を重ねた状態で出すとオムツの脇から漏れてしまうんです。そうすると車椅子の座布団が濡れたりして、いよいよ後始末が大変なことになる。

──自尊心が傷つけられるということは?

中村 まぁ単純に落ち込みますよね。もちろん老いると人間は誰でも少しずつ弱っていくものだと思うんです。葉っぱが1枚ずつ落ちていくように、身体のいろんな機能が低下していって……。「歯が悪い」とか「腰が痛い」とかね。入院した時点で私は50代の後半。それがいきなりおばあちゃんになった気分でした。たしかに昔から私は生き急ぐタイプではあったけど、老化まで急ぐことはないだろうって(笑)。