西洋では病気・衛生関係の話はタブーだった?
これは、ふりがなをつけてある文章を見たことがなかったので、単純に「ちゅうふう」と思っていたが、いろいろな読み方があるようだ。「夢酔独言」に「親父が腰抜けになって」とあったその「腰抜け」も中風のことだろう。
なぜだか、日本とくらべて西洋の書物や記録には脳卒中の記録が少ないように思う。映画などを見ても、脳卒中の話がほとんど無い。
これは、西洋人は体質的に脳卒中になりにくいのだろうか。
そもそも、あちらの小説や映画は病気や衛生関係の話をしない風潮があるのではないか。カミユの「ペスト」などが異例であり、またペストに関してだけは記録が多いように思う。そういうパニック的な感染症ではなく、中風のような、いわば「日常的な、ありふれた病気」の話をしない。せいぜいがアル中か梅毒くらいだ。これは、キリスト教社会では「病気は天罰」という意識があって意図的に隠されたのではないか、と今考えたが、どうだろうか。
衛生観念の無い時代に風呂に入ったり頭を洗ったりする習慣がどの程度西洋社会にあったのか、分からない。たとえば幸田露伴の小説で女性が頭を痒く思ったり、夏目漱石の小説で床屋が客の頭を掻いてフケを落とすような描写を西洋の小説では読んだことが無いが、連中は頭が痒くなることもフケが出ることもなかったわけではないだろう。「小説にそういうことを書くべきではない」という禁忌があったように思う。それは「人前でそういう話をしてはいけない」という禁忌が下層社会に至るまで存在したということだと思う。
なぜだか、日本とくらべて西洋の書物や記録には脳卒中の記録が少ないように思う。映画などを見ても、脳卒中の話がほとんど無い。
これは、西洋人は体質的に脳卒中になりにくいのだろうか。
そもそも、あちらの小説や映画は病気や衛生関係の話をしない風潮があるのではないか。カミユの「ペスト」などが異例であり、またペストに関してだけは記録が多いように思う。そういうパニック的な感染症ではなく、中風のような、いわば「日常的な、ありふれた病気」の話をしない。せいぜいがアル中か梅毒くらいだ。これは、キリスト教社会では「病気は天罰」という意識があって意図的に隠されたのではないか、と今考えたが、どうだろうか。
衛生観念の無い時代に風呂に入ったり頭を洗ったりする習慣がどの程度西洋社会にあったのか、分からない。たとえば幸田露伴の小説で女性が頭を痒く思ったり、夏目漱石の小説で床屋が客の頭を掻いてフケを落とすような描写を西洋の小説では読んだことが無いが、連中は頭が痒くなることもフケが出ることもなかったわけではないだろう。「小説にそういうことを書くべきではない」という禁忌があったように思う。それは「人前でそういう話をしてはいけない」という禁忌が下層社会に至るまで存在したということだと思う。
中風
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