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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

価値観について



価値観について

 

 

 

第1節 社会的価値観と個人的価値観

 

 人間と動物の相違は、人間には価値の意識があることで、その価値の意識が人生を複雑にも面白くもする。ある意味では、人生の諸問題は価値の意識から来ると言える。

 

 何を価値があるとし、何を価値が無いとするかは、社会的な合意がある反面、個人的なものでもある。それが「価値観」だ。一般的には、価値観は個人的なものだと思われているようだが、実は

 

1 社会的に合意された価値観が、個人の価値観の大部分を占めている。

 

我々が文化生活を享受できるのも、この価値観の共有から来るのである。(ここで、事例を挙げるなら、たとえば、美人・美男子の基準は、時代と社会によってほぼ決定され、個人的な趣味はそれほど決定的な要素ではない、などがそれだ。あるいは、能力のある人間は、価値があり、能力のない人間は無価値であるとされるのは、ほぼどの時代、どの社会でも変わらないだろう。そこで、たとえば、「弱さ」を価値あり、とする人間がいたとしても、それは個人的な偏向にしかすぎないとされるのである。)しかし、また、

 

2 価値観を共有することはこの社会の収奪システムの中に組み込まれることでもある。

 

我々は、「価値あるもの」を手に入れるために働き、金を出してそれを購入する。社会の上位にいる人間は、下の人間のそうした馬車馬的労働の成果を吸い上げ、消費者からは金を巻き上げて、自らの快適な生活を維持していく。かつては王侯貴族が行い、現在では大資本家(及び、その協力者である政治家や官僚)が行っている、これが社会の収奪システムである。(社会の収奪システムは、先進国と後進国との間でも維持されている。後進国がいつまでも後進国であるのは、すべてがシステム化されているからである。)

その収奪システムから逃れる簡単な方法は、自分だけの価値観によって行動することである。つまり、社会が価値ありとするものに背を向けて生きることだが、しかし、完全にそれを行うと、社会の文化的産物をすべて拒否することになり、原始人の生活になる。

 この、「共通価値観」と「個人的価値観」との摺り合わせが、人生を生きていく上での最大のポイントになる。「共通価値観」の肥大した人間は周囲に流され、社会の収奪システムの奴隷となるし、「個人的価値観」が肥大しすぎた人間は、周囲から孤立し、変人扱いされることになる。

 

第2節 価値観と性格

 

 離婚の原因として、よく「性格の不一致」という言葉が出るが、性格とは、実は価値観でもある。人生を生きていく上で、何を価値があるとするかという根本が違っていたら、共同生活が成り立つはずはない。一方は都会生活を好み、他方は自然の中の生活を好むとすれば、生活すべき場所すら異なることになる。どちらかに従えば、当然、もう一人は不満を抱えていくことになる。

 そして、「十人十色」とか、「蓼食う虫も好きずき」とか言うように、価値観は多様なものである。たとえば、同じように漫画を好んでいても、その好む漫画の傾向が同じとは限らない。趣味については、片意地な偏食家が多いのである。自分の趣味を絶対的に肯定していない人間は、ほとんどいない。趣味については、誰もみな、自分を精神的貴族だとみなしているのである。

 

 我々の人生がどのように彩色されるかは、快不快の気持ちによるが、何を快とし、何を不快とするかは価値観に左右されていることが多い。簡単な例では、労働と遊びの相違である。我々は労働を不快な義務と思い、遊びを快楽だと思っている。だが、スポーツは、スポーツ選手にとっては労働であり、観客にとっては遊びだ。プロ野球選手がシーズン・オフにゴルフをやれば、それは遊びである。このように、同じ行動が苦痛にも快楽にもなる例は多い。その原因は、物事をとらえる姿勢にある。それを価値観と言うのは不適切かもしれないが、ある価値観をもって接するから、あるものを価値があると思ったり、また無価値だと思ったりするのは事実だ。これを価値観と言わないで、「肯定的態度」と「否定的態度」と言ってもいい。

 

我々は通常、快不快を動かしがたい前提条件と考えがちだ。つまり、ある対象とそれへの快不快は密接に関連していると考えている。だが、そうだろうか。我々があるものを肯定したり、否定したりするのは、実はただの習慣にすぎないのではないだろうか。

 もちろん、物事に対する趣味は、我々の性格そのものと言ってもいいくらいに固定的であるのが常だが、しかし、趣味は変わりうるものでもある。つまり、短期間には動かしがたいが、時間をかければ変えうるものだ。趣味と同様に性格も変えられる。つまり、

 

3 我々が自分の性格としているのは、我々がそれを自ら選んできた結果だ。

 

「その性格」であるのが我々自身にとって心地よいから我々はその性格を続けているのである。(つまり、快感原則は人生の根本原則だが、何を快とし、何を不快とするかは変えうるのである。)これは外面的な性格演技だけの話ではない。ドストエフスキーの作中には、よく卑屈な小市民が出て、自らを卑下するが、その卑下する自分に、実はある心地よさを感じているのである。たとえ、自分の不甲斐なさのために娘を身売りさせ、自分が最低の父親である、と泣いていても、そのような自分の存在をどこかで肯定しているのである。これが、人間の自己愛である。我々が自分の性格にうんざりしながらも、けっしてそれを変えないのは、実はそれが自分にとって「居心地がいい」性格だからである。

 しかし、繰り返すが、性格は変えがたいものでありながらも、可変的なものでもある。たとえば、ここに内省的な人間がいたとしよう。彼を軍隊の中に放り込んで、一年間も鍛えれば、彼は立派なロボット的兵士になるだろう。それが戦場ならなおさらだ。なぜなら、決められた行動に従わないかぎり、彼の生存は保証されない以上、彼には内省の余地は無いからである。少なくとも、彼は自分の内省癖を、それがゆるされる時間まで棚上げにする習慣を身につけるだろう。そして、やがてはその内省癖そのものがどうでも良いものになっていくはずである。我々の性格も趣味も習慣の問題にすぎない。兵士の中に哲学者がいないとは限らない。だが、勝れた兵士ではありえないだろう。兵士として生き延びるためには、我々は動物的な反射(通常は「命令~服従」の反射。戦場では「危機~戦闘行為」の反射)で生きるしかないのであり、自らの内面への深い思索などしていては生きてはいけないだろう。

 

第3節 物の価値

 

 第1節で「社会的価値観」について述べたが、実は、価値の相場は合理的に形成されるわけではない。

 誰でも、黄金は価値があると思っている。だが、その価値は主として「希少さ」によっているのである。誰かが言っているが、黄金より土が少なかったら、土のほうが価値が出るだろう。希少さとは無関係に、実際に土のほうが価値があるとも言える。なぜなら、黄金の上に作物はできないからだ。我々は土に価値があるなどとは思わない。それは周りに膨大にあるからだ。だが、飢饉が来れば、作物を生やしてくれる土地の価値が、はっきりとわかるはずである。そのとき、黄金が、いかに無価値かもわかるだろう。問題が少し違うが、インカ帝国にもしも黄金がなければ、スペイン人たちはインカ帝国を滅ぼさなかったかもしれない。インカ帝国にとっては、黄金は災いを招く存在であった。インカ人自身にとっても黄金が、価値がそれほどあったとは思われない。なぜなら、スペイン人に略奪されるまでは、彼らにとって黄金はありふれた存在だったからである。そのへんの石ころと同じ比率で黄金があれば、誰が黄金を崇めるだろうか。(このことを敷衍すれば、世界中の人間が美男・美女になった世界では、美男・美女の存在価値は無いことになる。)

 土と同様に、我々がその価値に気付かないものが、空気と水である。我々が生存できるのは、ひとえに空気と水と土のおかげであり、それ以外のものは生きる上では剰余にすぎない。もちろん、文化とはその剰余のことではあるのだが、少なくとも生存上の第一義的なものは、この三者なのである。

 さて、この人間社会では、黄金は価値があるとされている。そこで、黄金を独占した人々は、その相場を自分たちで決めることで、他人の上に立ち、優雅な生活を送ることができるわけである。つまり、社会の構成人員を「黄金は価値がある」と教育すれば、その後はほぼ永遠に富の独占ができるわけである。

 いや、黄金はそれ自体価値がある、と異論を述べる人もいるだろう。何しろ、容易に加工できる「美しい」金属で、しかも時の浸食を受けない。だから黄金には絶対的な価値があるのだと。なるほど、それらの美点は確かにある。特に、貨幣を作る上で、黄金はいい原材料だろう。そうした価値を否定はしない。貨幣経済の上に成り立っているこの社会を維持する上で、黄金は重要な要素には違いない。しかし、黄金の持つ価値は、必要以上に吊り上げられているのではないだろうか。他の貴金属や宝石なども同じである。

 では、芸術品の価値はどうだろうか。ゴッホの絵とセザンヌの絵は、どちらがどれくらい上なのだろうか。我々素人からは、その価値の差はわからない。三つ以上の数の数えられない土人同様に、どちらも「たくさん、たくさん」という評価しかできないのである。しかし、現実には、ゴッホの「この絵」は幾ら、セザンヌの「この絵」は幾ら、と評価がちゃんとついている。では、その値段は誰がつけるのか。ここで登場するのが「専門家」である。彼らは専門家同士のギルドを作り、その内部でさまざまな物に値段をつけ、それを素人に売りつける。物の値段、物の価値はこのようにして決まっていくのである。生きている間は1,2枚しか売れなかったゴッホの絵も、誰かが提灯持ちをし、評価をつり上げていった結果、生きていた時のゴッホ自身では絶対に買えないような巨額の値段がついていったわけである。正直言って、私はたとえばセザンヌの絵に価値があるようには思えない。印象派以前の古典派の絵なら、その技術の巧拙だけでも、ある程度の価値判断はできる。だが、その相場として、果たして食事一回分の値段が適当か、それとも庶民の一生の稼ぎに相当する金額が妥当かはわからない。そして、専門家たちは、後者が妥当だと言うのである。

 なるほど、芸術作品に巨万の金を出す人間がいるのは確かだ。だが、それは、彼らにとっての金が、庶民にとっての水や土と同様の安価な物だというに過ぎない。自ら紙幣を印刷できる人間には、紙幣は紙切れと同様だろう。

 問題は、こうして値段がつけられると、その対象品は、それからは庶民の手には決して届かないものになることである。

 我々の住むこの社会では、こうした「価値のピラミッド」が作り上げられている。一着100円のシャツもあれば、一着数千万円の衣服もある。1000円の腕時計もあれば、数百万円の腕時計もある。しかも、後者の方が性能は悪かったりする。

 とすれば、社会的な価値というものは、その大半は幻想的なもの、あるいはもっと端的に言えば、詐術だと言ってもいいのではないだろうか。実は、これがこの文章を通して私が言おうとしていることなのである。

 つまり、社会的価値とは、個人的な主観から出発して、それが社会的な広がりを持つにつれて様々な詐術が加わり、やがて壮大な幻想のピラミッドになったものである。

 もちろん、個人の主観の段階でも、すでに幻想だ、と岸田秀的に言ってもいい。だが、ここで洒落たつもりの言い方をするなら、それ(「価値という幻想」)は「価値ある幻想」かもしれない。幻想には違いないが、幻想が無価値だとは言えない場合もある、ということである。

 

第4節 生きる価値

 

 つまり、価値は幻想かもしれないが、それによって我々は人生を生きる価値のあるものにしているのである。我々は自分を取り巻く様々な物に価値づけをすることで、自分の人生を価値あるもので満たすわけだ。たとえば、漫画の好きな人間は、それを価値ありとしている。スポーツ観戦の好きな者は、それを価値ありとしている。周囲に対してそうした価値を感じられなくなった状態が、ニヒリズムである。ニヒリズムとは、つまり価値の喪失なのである。「空なるかな、空なるかな、空の空なるかな、すべて空なり」というわけだ。そうなれば、人生そのものも無価値で、生きるに値しないということになる。

 ここで、最初に戻って、実は価値とは自分が決めるものだ、ということに思い至れば、この人生が価値がない、というのは、実は自分がそう決めたというだけのこととなる。そうしたニヒリズムには一種のロマンチックなイメージもあるから、それに陶酔するのはいいが、それを本気で信じるのは、自分で神様を作り出して、その神様を信じ込んで殉教するようなものである。

 

 我々は、自分の人生やこの世界を価値ありとすることもできれば、無価値だとすることもできる。一つ一つの事柄に対する価値判断も同様だ。要するに、価値判断にはもともと何の根拠もいらないのである。問題は、そうして下された価値判断が社会的な広がりを持ってきた場合である。価値とは、原則として比較である。絶対評価ではなく、相対評価なのだ。その評価のピラミッドがこの世を一種の地獄にすることもある。つまり、価値の体系の下層に置かれた存在にとって、価値ほど呪わしいものはない、ということになる。

 価値が主観の範囲に納まっていれば、価値は人生の輝きを作る。だが、それが客観のふりを始めると、それは地獄となる。我々は他人の作った価値観の泥沼に足を取られて、やがては自らやその周辺の物事を無価値な存在とするようになるのである。だが、価値とは本来、主観から始まったものでしかない。「客観的価値」も誰かの主観が他人を巻き込んでいっただけなのだ。ならば、再び我々は、価値判断を自らの手に取り戻してもいいのではないだろうか。

 

 アメリカン・コミックのポパイの口癖は、「俺は俺さ」である。つまり、他人がどうであれ、俺は自分の考えで行動する、という宣言だ。そのような、自分自身が拠り所である強い自我を持った人間は、現代には少ない。リースマンの言う、「他人志向」型の人間がほとんどだ。いつも、他人がどう思うかを気にして、おどおどと振る舞うのである。

 自分が「価値有り」と思う事柄は、果たして本心からそう思っているのか。それとも他人の価値観に従っているのではないか。もしも、それが本当に自分の心からの考えなら、他人がどう言おうと、「俺は俺さ」と言えるはずだ。

 もちろん、社会の決めた価値観に従って生きるのは楽かもしれないし、安全かもしれない。しかし、人生をトータルして考えた場合、他人の価値観に従った生き方が満足を与えるかどうか、怪しいものである。まして、その「社会的価値観」が、一部の人間の利益のために作られ、維持されてきたものなら、それによって不利益を得ている人間が無数にいるはずである。要するに、社会の底辺にいる人間の不幸の土台には不公正な社会的価値観があると言うことだ。それは不幸な人々の物質的不利益の原因でもあり、精神的不利益の原因でもある。

 なぜ「足が長い人間はカッコいい」ということになっているのか。「足が短いほうがカッコいい」という考えがなぜ「正しくない」と言えるのか。それは、ただ長い間に形成された「社会的価値観」のためである。欧米人種的な体型や容貌は美しく、アフリカ人やアジア人は美しくないという価値観が、あらゆるメディアを通じて、我々の心に植え付けられてきたからである。ならば、我々「醜い人種」は、「足が短く、鼻が低く、平面的な顔のほうが美しい」という主張をしてもいいのである。金で計る価値にしても同じことであり、誰もが贅沢品に無意味な出費を渋るようになれば、企業は安くて良い品を作ることに努力するようになるだろう。学生の場合なら、「成績」というただ一つの価値観で自分を測るかぎり、その底辺にいる人間は不幸になるしかない。運動能力や芸術の才能があればまだいいが、それも無い場合はどうするか。「そんなのはみんな他人が勝手に作った価値観だ。俺には俺だけの価値がある。他人がどう言おうが関係ない」と思えばいいのである。

 

4 「I am what I am.」(俺は俺さ。)

 

 この言葉には、地面にしっかりと足をつけて生きる人間の気迫がある。

 

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電子時代の会社のセキュリティ問題

会社員には役に立ちそうなスレッドだが、広告が多いので容量オーバーになるかもしれない。

【悲報】新人が私物のUSBを会社のPCに挿しやがった結果wwwwwwwwwwwwwww

usb_hand_memory.png
1: 2021/03/06(土) 00:08:18.418 ID:mul8j7NxM
今から管理職以上全員緊急会議だわ
マジでダルい


 


2: 2021/03/06(土) 00:08:56.676 ID:9Gv95MfCa
こんな夜中に会議か
大変だな
4: 2021/03/06(土) 00:10:07.464 ID:jI20kBlj0
そいつ企業スパイやぞ
5: 2021/03/06(土) 00:10:31.110 ID:6tss6F6wa
割とまじでありえる
7: 2021/03/06(土) 00:10:43.375 ID:N1r5+s540
そんなヤバいのそれ
14: 2021/03/06(土) 00:12:21.861 ID:2g7ivtWI0
>>7
データ持ち出しがダメなのは当然として、私物のPC,USB経由でウイルスが会社に持ち込まれる可能性がある
万が一顧客情報でも漏れたら人生おわり
16: 2021/03/06(土) 00:13:38.026 ID:N1r5+s540
>>14
そいつぁ大変だ
12: 2021/03/06(土) 00:11:50.389 ID:gOm920q90
情報セキュリティ部門のお偉いさん激おこ
18: 2021/03/06(土) 00:13:53.782 ID:Ngfz38uk0
USB無効化してないの?
20: 2021/03/06(土) 00:13:58.826 ID:mul8j7NxM
ほんまITリテラシーどうなってんだうちの会社
21: 2021/03/06(土) 00:14:54.000 ID:HpmGG1zp0
失敗事例書かされるやつだ
23: 2021/03/06(土) 00:15:11.742 ID:pokQ4cwLM
ニートだけど会社でフラッシュメモリが配布されるってこと?
24: 2021/03/06(土) 00:15:51.999 ID:mul8j7NxM
>>23
セキュリティ機能付きのUSBメモリ以外は使用禁止だわ
26: 2021/03/06(土) 00:16:23.180 ID:6tss6F6wa
>>23
必要なら目的書いて申請して許可が降りてから会社のデバイスを使う
25: 2021/03/06(土) 00:16:03.624 ID:u4rEQP6qa
メールとかクラウドとかも管理されてるの?
30: 2021/03/06(土) 00:17:03.395 ID:mul8j7NxM
>>25
当たり前じゃん
この前私用メルアドにメール転送してるバカいて大騒ぎになったばっかりなのに
38: 2021/03/06(土) 00:18:37.024 ID:6tss6F6wa
>>30
ほんとお前んとこやべーな
セキュリティとコンプライアンスについて入社時に資料読ませたほうがいいんじゃないか
27: 2021/03/06(土) 00:16:29.678 ID:8zQqy1hW0
正直たまにこそっと使うけどな
33: 2021/03/06(土) 00:17:49.695 ID:mul8j7NxM
>>27
情シスにバレバレだぞ
29: 2021/03/06(土) 00:17:00.089 ID:nRqmAPsf0
今どきUSBなんて制御されてるだろ
37: 2021/03/06(土) 00:18:22.009 ID:6YsmYpdg0
私物のUSB挿せないような会社で働いてみたいわ
どんな機密情報扱ってるのか興味あるわ
42: 2021/03/06(土) 00:19:36.535 ID:mul8j7NxM
>>37
情報流出もそうだがウィルス持ち込まれると困るんだよね
機密情報扱ってるからセキュリティ厳しくするとかじゃないのよ
だから日本は遅れてるんだよなぁ
83: 2021/03/06(土) 00:42:21.538 ID:1hNJq+Jna
>>37
俺も一回そういう会社で働いた事有るけど
そこはPCに挿すんじゃなく持ち込み自体がNGだったでもスマホ持ち込んでたら意味ないじゃんとは思ってたけど
40: 2021/03/06(土) 00:18:52.246 ID:MH1m0G3HM
仕事を持ち帰りたいときとかメモリに移したりしないの?
43: 2021/03/06(土) 00:19:56.750 ID:6tss6F6wa
>>40
まず仕事を持ち帰る時点でセキュリティやばい
44: 2021/03/06(土) 00:20:16.875 ID:VLpy1s/Y0
>>40
そもそも仕事を持ち帰ることが禁止なんだろう
テレワークも仕事を持ち出してるんじゃなくて、会社のパソコンにリモートで入って仕事してるとかだから持ち出しにはならない
46: 2021/03/06(土) 00:21:44.138 ID:6tss6F6wa
ほんと嘘だろとおもうけど
スタバで堂々とノートパソコン広げて仕事してるできる男気取りの馬鹿とか
電車の中でノートパソコン広げて仕事してる馬鹿とかいるだろ

ああいうセキュリティ概念のない馬鹿結構いるからな
50: 2021/03/06(土) 00:23:15.296 ID:+l2E/9sz0
>>46
フリーWi-Fi繋いでたら目も当てられないな
68: 2021/03/06(土) 00:31:25.363 ID:7z7WtYOOa
フリーWiFiだろうがVPNで会社サーバに入るから大丈夫じゃないの?教えて
>>50
69: 2021/03/06(土) 00:32:38.883 ID:6tss6F6wa
>>68
おいおいあぶねーな
フリー回線を共有してるやつがVPNのパスハックして普通に会社システムに侵入してくるぞ
47: 2021/03/06(土) 00:21:49.028 ID:C+4x5oYf0
普通刺せないようになってるよね?
48: 2021/03/06(土) 00:22:37.975 ID:mul8j7NxM
>>47
物理的にポート潰してるってことか?それはない
103: 2021/03/06(土) 01:03:55.298 ID:LdlnRkAz0
>>48
剥がすと「剥がした」って浮き出るシールを貼る運用に逆戻りだな
ご愁傷様
55: 2021/03/06(土) 00:24:31.912 ID:mul8j7NxM
外部デバイスは読み取り専用とかできるのになぁ
56: 2021/03/06(土) 00:24:52.581 ID:jCxI2ySCr
社用pcもらうときに何も誓約書なくてこっちが驚いたわ
63: 2021/03/06(土) 00:30:00.712 ID:nlVnxljz0
戦前から続く老舗の企業のはずなのに俺に家で作らせたマクロ使って営業会議してる怖い
72: 2021/03/06(土) 00:35:36.785 ID:6tss6F6wa
VPNとアカウント情報取得すれば
堂々と偽装する必要もなく会社のシステム入れるからな
まじでフリーwifiはやべぇぞ
98: 2021/03/06(土) 00:58:59.665 ID:rJIwAc2i0
そういう非登録USBを検知するプログラムがあっても所詮はOS上のもの
USBブートとかのOSごと持ち込んでドライブをマウントしたら余裕で悪いこと出来ちゃうネェ
99: 2021/03/06(土) 01:00:18.122 ID:+l2E/9sz0
>>98
賢そう
82: 2021/03/06(土) 00:40:56.345 ID:jLJaq1VW0
新人「いかんのか?」

親が子供の「汚い字」を許容すること

某ツィートだが、この奥さんの考えは合理的であるように見えて、非常に危険な考えである。
と言うのは、私自身の経験から言って、一度身に付いた悪筆は、直す(持病の一種と見るなら「治す」)のが非常に困難だからである。ほとんど治療不可能かもしれない。それは、漢字を覚えるというレベルの問題ではない。漢字を覚えるなど、単に「覚えた量」の問題であり「それに要する時間」の問題にすぎない。いつでも取り返しはつく。しかし、悪筆は生涯の「身体的障害」とすら言えるのである。まあ、現代ではワープロやパソコンなどキーボードで字を「書く(打つ)」のがほとんどなので、悪筆が他人に知られにくいが、いざと言う時にそれが衆目にさらされる不安は常にある。

子供への過剰な要求で「勉強が嫌いになる」かどうかはまた別の話、別の問題だ。
なお、子供が悪筆になる原因のひとつは学校の「テスト」にある。時間内に答案を書くために、急いで汚い字になるわけだ。
字は筆順に従って楷書でゆっくり丁寧に書くのが大原則で、崩し字、続け字は禁物だ。漢字を最初に教える段階で筆順は必ず教えるべきである。将来書道をやるかどうかは別として、筆順を知らないと書道はできない。


(以下引用)


漢字の書き取りの宿題をやる息子と、字の汚さを指摘をしない妻。「だって、漢字の書き取りの目的は字を覚えること。字を綺麗に書かせたいなら、それを目的とした習字やペン字でやるべき。そもそも、大人は色んなことを求めすぎ。だから嫌いになる。」の一言に妙に納得した週末の夜。






田舎の生活と都会の生活

毎月20万円の収入というのは、私から見ると凄い高収入だが、その20万円でも「生きてゆくだけで精一杯だ」というのはなぜか。

1)おそらく、東京で生活している。
2)家賃に収入の3分の1くらいを費やしている。
3)働きに行くための交通費や衣服費などにかなりの出費がある。
4)収入の4分の1くらいは税金や健康保険などで最初から抜かれている。(これは「手取り」には入っていないかもしれない。)

そう考えると、残るカネは6万円くらいではないか。そこから光熱費や電信(通信)費、消耗品代などが出ていくと、食費は3万円を切るだろう。つまり、一日の食費が1000円弱である。三食食えば、一食分は300円だ。これは生きてゆくだけで精一杯だと言って当たり前だろう。
現代では、都会に住むメリットは上級国民にしか与えられないもので、貧しい若者が都会で住むこと自体が「身の程知らず」だと言っていい。ただし、田舎で仕事があるかどうかはまた別の問題だ。



(以下引用)




ウン十年前、僕はガソリンスタンドでバイトしながら、大学に通っていた。そのバイトの給料が20万円を超えた時、心から嬉しかった。けれど今の働き盛りの人の手取りが22.23万円ぐらいが普通だよというのを知って、この国の進んでいる方向の間違いを確信した。その給料では生きてゆくだけで精一杯だ。