忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

白川漢字学への疑い

私は昔から白川静という学者を胡散臭く思っていたのだが、今朝、その本の一部を読んで、彼の「白川漢字学」というのは、古代象形文字を見て思いついた彼の妄想を集めたものにすぎないのではないかとほぼ確信した。
それは、「我」という漢字は「鋸」を意味する象形文字だ、と書いてある部分を読んでである。
鋸は、金属文明が発生しないと生まれない道具である。石器で鋸は作れない。漢字が生まれたのは金属文明のはるか以前であり、しかも、単なる刃物とは異なり、鋸を作る技術が古代にあったとは思えない。しかも、「我」と「ノコギリ」とに何の関係があるか。まったくの妄想だろう。
PR