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持ち株会社

「monegy」というサイトの記事で、非常に分かりやすい。

(以下引用)

持ち株会社とは? 持ち株会社の7つのメリット・2つのデメリット

公開日:2018/12/07 更新日:2019/04/23
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持ち株会社とは? 持ち株会社の7つのメリット・2つのデメリット

「〇〇ホールディングス」のような名前の会社を見かけることが多くなりました。この「ホールディングス」とは「持ち株会社」のことを意味します。戦後の財閥解体にともない独占禁止法で全面禁止されていた持ち株会社は1997年に解禁され、それ以降、多くの持ち株会社が生まれています。

今回は、持ち株会社とは簡単にいえば何なのか、持ち株会社が禁止されていた理由、および持ち株会社のメリット・デメリットをご紹介します。

関連記事:IPOを目指す理由とは

目次【本記事の内容】

  1. 持ち株会社を簡単にいうと?
  2. 持ち株会社は禁止されていた?
  3. 持ち株会社のメリット
    1. 持ち株会社のメリット1.グループの意思決定が迅速になる
    2. 持ち株会社のメリット2.事業会社の責任や権限が明確になる
    3. 持ち株会社のメリット3.リスクが分散される
    4. 持ち株会社のメリット4.グループ会社ごとに労働条件を設定できる
    5. 持ち株会社のメリット5.買収を防衛することができる
    6. 持ち株会社のメリット6.グループ企業の売却をスムーズに行える
    7. 持ち株会社のメリット7.企業の買収がスムーズに行える
  4. 持ち株会社のデメリット
    1. 持ち株会社のデメリット1.持ち株会社と各グループ企業との連携が難しくなる
    2. 持ち株会社のデメリット2.会社を維持するコストがかかる
  5. まとめ

持ち株会社を簡単にいうと?

持ち株会社とは簡単にいえば、「事業の支配を目的として他の会社の株式を保有する会社」のことです。
一般に、株式を保有するのは投資が目的となりますが、持ち株会社は支配が目的であることが特徴です。持ち株会社は独占禁止法により長らく禁止されていました。しかし、1997年に解禁され、日本でも持ち株会社が多く誕生することとなっています。

持ち株会社には、自社では事業を行わず傘下の企業を支配することのみが目的の「純粋持株会社」と、自社でも事業を行うとともに傘下企業の支配も行う「事業持株会社」とがあります。自社で事業を行わない純粋持株会社の収益は、子会社からの配当によって上げることが一般的です。

持ち株会社は禁止されていた?

持ち株会社が独占禁止法により禁止されていたのは、戦後の財閥解体によるものです。それまで財閥は、財閥本社が持ち株会社として傘下の企業を支配することにより、一大コンツェルンを形成して日本経済に大きな影響を与えていました。解体された財閥の復活を阻止するために、独占禁止法により持ち株会社が全面禁止されました。

しかし、それからの産業構造の変化により、「持ち株会社が経営戦略上好ましい」との声が産業界を中心に高まったため、1997年に独占禁止法が改正され、持ち株会社が認められることとなりました。

持ち株会社の7つのメリット

持ち株会社が産業界からの声により解禁されたのは、さまざまなメリットがあるからです。どのようなメリットがあるのかを見ていきましょう。

持ち株会社のメリット1.グループの意思決定が迅速になる

持ち株会社が許されていなかった従来のグループ会社では、本社は、自社の事業を運営するとともにグループの戦略決定を行わなければなりませんでした。そのために、グループ戦略の意思決定が遅れる恐れがありました。

それに対して持ち株会社は、グループの戦略決定などグループ全体の舵取りに特化することができ、事業は個々のグループ企業にまかせることができます。このように、戦略と事業を分離することにより、グループ戦略の意思決定を迅速に行うことができます。

持ち株会社のメリット2.事業会社の責任や権限が明確になる

また、持ち株会社のグループ企業はそれぞれ独立した会社ですので、権限と責任を、大幅に移譲して明確にすることができます。それにより、各事業会社が採算を重視するようになるのとともに、業績評価も容易になります。

持ち株会社のメリット3.リスクが分散される

持ち株会社とグループ企業を独立した会社として分離することにより、グループ経営におけるリスクが分散される効果もあります。仮にグループ企業に大きな損失が発生した場合でも、持ち株会社や他のグループ企業に影響が及ばないようにし、グループ全体が損失をこうむることを避けられるようになります。

持ち株会社のメリット4.グループ会社ごとに労働条件を設定できる

持ち株会社が支配するグループ企業はそれぞれが独立した会社ですので、労働条件をそれぞれで設定することができます。一般に、グループ企業のそれぞれが異なる事業を行う場合、休日や労働時間、人事制度などの労働条件を同一にするのは困難です。独立した会社であるグループ企業は、それぞれの事業の実態に合わせた労働条件を設定することが容易です。

持ち株会社のメリット5.買収を防衛することができる

一般のグループ企業では、親会社を買収することにより、間接に子会社を買収することが可能となります。しかし、持ち株会社のグループは株式所有が二重構造をしていて、各グループ企業はそれぞれが独立しています。そのために、仮に持ち株会社が買収を仕掛けられても、非上場の子会社の経営権を防衛するための対抗策を取ることが容易になります。

持ち株会社のメリット6.グループ企業の売却をスムーズに行える

持ち株会社のグループ企業は、それぞれが決算を独立で行います。そのために、グループ企業の企業価値やリスクなどの評価が容易になり、グループ企業を売却する際には手続きをスムーズに進めることができます。

持ち株会社のメリット7.企業の買収がスムーズに行える

企業を買収する際にも、持ち株会社のグループなら買収企業をグループ企業としてそのまま置くことが容易になります。そのために、企業の買収手続きもスムーズに進められます。また、買収した企業が企業文化の違いなどから他のグループ企業と摩擦を起こす場合にも、持ち株会社が統制役として機能するため、摩擦を最小限にすることができます。

持ち株会社の2つのデメリット

多くのメリットがある持ち株会社ですが、他方ではデメリットもあります。どのようなデメリットがあるのかを見ていきましょう。

持ち株会社のデメリット1.持ち株会社と各グループ企業との連携が難しくなる

持ち株会社のグループでは、各グループ企業はそれぞれが独立した会社として事業を行います。そのために、持ち株会社と各グループ企業との連携が難しくなることがあります。

持ち株会社とグループ企業は、それぞれが会社として独立しているために、まず意思疎通を図ることが難しくなります。また、経営方針についても各グループ企業の裁量の範囲が大きくなるため、グループ企業が持ち株会社の意図した通りに動くとは限らない場合もでてきます。

持ち株会社とグループ企業との連携は、最悪の場合には、次のようなことが起こることもあります。

・グループ企業が、持ち株会社やグループ全体にとって不都合な情報を隠蔽する

・グループ企業同士のあいだで上下関係が発生し関係が悪くなる

持ち株会社のグループでは持ち株会社に、強いリーダーシップを発揮することとともに、グループ全体の好ましい関係や信頼をどう構築するかが問われます。

持ち株会社のデメリット2.会社を維持するコストがかかる

持ち株会社のグループでは、グループ企業はすべて独立した会社です。そのために、グループ全体として会社を維持するコストが増加します。

その理由は、各グループ企業で部門の重複が起こるからです。特に、経理や総務、人事などのバックオフィス業務を行う部門は、独立した会社である各グループ企業に欠かすことができませんので、どうしても重複しやすくなります。

バックオフィス業務の重複は、そのままにしておくとグループの成長とともにコストが増加し、グループ全体の収益を圧迫することにもなりかねません。持ち株会社のグループが成長するには、バックオフィス業務のコストをいかに抑えられるかがポイントになるといえるでしょう。

まとめ

持ち株会社は、グループの戦略決定を迅速に行えるなど多くのメリットがある一方、グループ企業の連携が難しくなるなどのデメリットもあります。1997年に独占禁止法が改正されて以降、巨大なグループを抱える大企業にとって持ち株会社の設立は、スタンダードといえるものになりました。持ち株会社のメリットを生かし、デメリットを最小にする経営が求められているといえるでしょう。

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「男らしさ」誇示社会

「東海アマ」ブログ記事の一部で、氏の個人的体験から得た感想が大半を占める。その部分は「事実」に基づいているのである程度の信頼性はあるだろうが、儒教に関しては、まあ、氏の仮説である。実際、儒教は民衆統治に都合の良い思想だが、その倫理が社会の道徳的教化と安定に非常に役だっていたのも確かで、全否定されるような思想ではないだろう。儒教を生んだ中国で、韓国ほどの「階級社会」になったわけではなく、たとえば「孝」の教えから見たらほとんど悪そのものである宦官制が猛威を振るったわけだ。つまり、思想のどの部分を為政者が利用するかというだけの話であり、たとえば仏教でも「善因善果」「因果応報」「輪廻」の思想によるなら、現世での「上級国民」は前世で善行をした結果なのだから、下級国民は上級国民との差別に文句は言えないことになる。そして精一杯、善行するしかないわけで、これほど為政者に都合のいい思想もない。だが、それが釈迦(ブッダ)本来の思想かどうか、怪しいものであることは、どの宗教にも言えることである。
それはともかく、韓国朝鮮人の人格や社会思想については、実体験から来た考察であり、かなり的を射た見識であると思われる。特に男が自分の弱さや負けを絶対に認めず、強さを誇示する姿勢は、私のわずかな見聞でも認められる。そこが韓国映画やドラマでのユーモアの欠如(もちろん、下ネタレベルのユーモアはあるが、落語的な「ゆとりのある、のんびりとした、時としてSF的な超越性のある」ユーモアが見られない。)に表れていると思え、私はそういう社会には住みたくないと思う。
ちなみに、私は現在の文政権というか、文大統領の人格が大好きで、そのヒューマニズムが韓国人民に理解されないのが彼らの国民性(マチズモ)から来た悲喜劇だと思う。


(以下引用)


 私は1970年代はじめ、建築現場で日雇いのような仕事をしていたことがある。このとき、在日朝鮮人の仕事が多かった。主には解体現場における鉄くず採取のような仕事だが、雇い主は、とても親切で優しく、賃金もはずんでくれた。
 だから、私は在日朝鮮人に好感を抱いていた。傲慢で高圧的な人など、ほとんど見たことがなかったからだ。

 彼らの多くが戦前に日本に渡った労働者だが、決して強制連行ではなく、自発的に朝鮮より高賃金だった日本に来たのだが、現在の韓国では、彼らが日本に強制連行されたということになっている。
 慰安婦も同じだ。私は朝鮮の人から、たくさんの戦争当時の思い出話を聞いたが、強制連行があったとすれば、それは朝鮮人女衒が金儲けのために行ったものだと共通して語っていた。

 それでも、私は岸信介らが、朝鮮で麻薬を売りつけて巨額の金を朝鮮の人々から巻き上げていたことを知ったので、「日本人は朝鮮で良いことをした」という日本性善説は信用していない。
 それに、雨竜ダム建設時の虐殺や、新宿731部隊跡地での大量殺戮遺物出土があり、日本人が朝鮮人に対して非人道的扱いを行い、虐殺していた事実認定を変えるつもりはない。
 http://jam1226.blog40.fc2.com/blog-entry-28.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1048.html

 そもそも、私は全国でも在日者の非常に多い名古屋市中村区で育ったので、在日との関わりが深いのだが、私の子供時代の環境では暴力団関係者が非常に多く、虐められて苦しんだ記憶はたくさんあるが、良い思い出はあまりなかった。
 しかし、在日朝鮮人が人間として高い能力を持った人々だという印象を持っている。身体的能力も高い。強力な意思を持った人が多い。プライドも高い。
 経済的にも、正村竹一パチンコのおかげか、とても裕福な人が多かった。

 また、1990年頃からタクシー運転手をしていて、当時、大量に移住してきた、フィリピン人と韓国人の女性たちを乗せて、いろいろな話を聞く機会も多かった。
 韓国の女性たちと話すと、ほとんど、韓国の男尊女卑習慣が嫌で日本に来たと言っていたのを強烈に記憶している。
 また、外面を極度に神経質に気にかけるため、女性たちの多くが、整形や痩身美容を行って、このため過度に痩せて卵巣が癒着した女性の例も知っている。

 私は、若い頃から民俗学を学んでいたので、在日朝鮮人のライフスタイルと、精神性を定めた習慣などに強い関心を持っていた。
 そこで、朝鮮人・韓国人の精神性、特異性を定めた要素を探ってゆくと、歴史的儒教に行き当たらざるを得ず、儒教思想習慣について考察することも多く、その全体像を理解することができたと思っている。

 儒教は、2500年前の春秋時代に、孔子が体系化した思想だが、言われるような釈迦やキリストと並び称される人物ではない。はるかに下劣で矮小な人物だ。
 中国共産党が喜んで孔子思想を推奨しているのも、孔子の思想が、中国共産党の独裁体制が利用するのに都合が良いからに他ならない。

 孔子思想の核心は「序列主義」と言えるだろう。人には、自ずから備わった格があり、序列があるという根拠のない前提から出発している。また、父母、権力者や年上の老人を敬えという「長幼序列価値観」が、非常に大きなウェイトを占めている。
 これは権力者が自己の正統性を主張するのに、実に都合の良い理屈であった。序列主義を教育洗脳しておけば、老人や権力者が大きな利権を得ることができる。

 韓国(朝鮮)という国を端的に知ろうと思うなら、まずは、この「長幼序列主義」を知れば、すべての価値観の根源が見えてくる。
 「どちらが上か?」という選別が、日常生活のすべてを束縛していて、それらの序列・差別の根底に男尊女卑=女性差別があるのだ。

 だから世界でもっとも固陋な差別社会である北朝鮮で、いくら金正日の娘だと言っても、キムヨジョンが権力を持てるはずがないと分かる。韓国社会においても、前面に出てくる権力者は、すべて男性である。
 女は「子を産む道具」にすぎないのだ。

 なお北朝鮮には、現在でもなお51階級という差別序列が存在している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E8%BA%AB%E6%88%90%E5%88%86

 韓国社会でも、差別階級の数は人によって異なるが、おおむね6階級に分ける思想が今でも鮮明に生きているから、韓国人は、自分が少しでも上の階級であると思いたくて大きな背伸びをする。
 韓国で軽自動車が売れない理由は、車が小さいと格下だと思われるからで、韓国人は、その生涯を、矮小な格差意識の防衛に多大な労力を費やして生きている。

 韓国で整形手術が圧倒的に流行るわけも、この序列格差を意識しているからで、「美人」でないと相手にされない社会であることを、女性たちは思い知らされている。
 だから、韓国の女性たちは、差別の少ない日本に移住したがっている。私は、そんな女性たちと多くの対話をした。「きれいに見られようと」必死に美容に励む女性も多いが、心の根底には、やはり差別意識が生き残っている。
 タクシー運転手風情は、まともな人間として相手をすることはなかった。

 なお、在日韓国・朝鮮人が、帰国すると凄まじい差別が待っている。日本のような自分たちより劣った国で育った同胞は、格下であると思い込んでいるのだ。
 https://www.amazon.co.jp/%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%A7%E6%B0%97%E3%81%A5%E3%81%84%E3%81%9F-%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%87%91%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%BA%8C-ebook/dp/B07CQ143LX
 
だから、在日コリアンは、祖国に帰りたがらない。朝鮮半島は、何もかもウソで固めた社会だから、まだ自由と真実の残る日本の方がマシなのだ。
 何よりも、メンツや体裁を第一に考え、男尊女卑の蔓延する韓国(朝鮮)社会は、住みにくいことこの上ない。
 祖国からも、日本人からも差別を受けてきた在日者は、結局、金儲けや社会的名声に走るしか生きる価値が残されていない。

 だから、在日韓国(朝鮮人)は、差別する日本人を見返すように、凄まじい努力をした。
 私の子供の頃、在日と知れれば、どの企業も雇わず、行政にも就職できず、結局、土建屋、夜の街、飲食業、芸能、スポーツ、娯楽、暴力団、金貸しに向かうしかなかった。
 日本の芸能人、スポーツ選手のうち、在日朝鮮人の占める地位はもの凄いものだ。
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48555

 日本最大の経済人実力者である孫正義も韓国人だ。山口組も稲川会も、住吉会も大半の幹部が在日者であり、構成員の9割が在日韓国朝鮮人であるといわれる。
 これは日本人による在日者差別の結果である。自民党の国会議員にも相当数の在日者がいる。いずれ、総理大臣も在日者になる日は遠くない。
 それえどころか、岸信介ら山口県田布施組の多くが、実は朝鮮からやってきたという噂もある。小泉一族のルーツ、鹿児島県、田布施村も同じだ。
 https://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/bcb6b3e28d6e97172f4d1b1b0a98891a
 だから、統一教会と一心同体といわれる安倍晋三が在日であっても不思議はない。

 もちろん、天皇家の先祖である秦氏(弓月氏)がAd300年前後に、百済から日本に大規模な移住を行ったと 日本書紀に書かれているので、その意味では、日本人の相当数が百済人の子孫である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B

 もしも、韓国人が日本人を見下す優越感を捨てるなら、日韓関係は、親しい兄弟のように良好なものになるだろうが、韓国人の根拠のない独善的プライドを崩壊させるのは、並大抵のことではない。
 「日本に勝つ」ことが民族の悲願のようになってしまっているのだから。

欧米のやり口

浅川芳裕という人のツィートである。至言。




EUの老獪さは、現実は最悪でもあたかも最善なモノとして日本、世界に認識(誤認)させる能力が高い点です。ベースにあるのは、世界の善悪を決める価値観を独占する「倫理学の伝統」。ヨーロッパと長年、対峙してきた中東・アフリカでの留学と駐在経験、そして歴史認識から彼らの手口はかなり見通せます

英語の「お勉強」

「紙屋研究所」記事だが、私自身はとっくに英語には挫折しているというか、さほど必要性も感じていないので勉強する気は無いが、ここに書かれた「英語学習体験」は、英語を勉強しようと思っている人にはかなり実践的で、しかも読み物として面白いので紹介するだけだ。(誰が私のブログを読んでいるか知らないが、まあひとりでも読む人がいればいいのである。)
まあ、私は英語を「勉強する」気は無いが、好きな本や文章を英語(原語)で読んでみたいとは思う。つまり、「辞書を引き引き」読めればそれで十分だし、それを勉強ではなく「娯楽」でやるのが私流だ。

(以下引用)

英語を勉強しているんだが

  

 英語を勉強している。

 なんのために?

 いや…別に…意味もなく。

 『超訳マルクス*1をやった時には、辞書を引き引きという具合だった。

 

 サラサラ読めたらカッコいいかな、くらいに。

 

 しかし英語というものはいったん始めたら日課にしないといけない。

 筋トレと同じである。

 筋トレは週1日の休みを入れて毎日続いている。2017年の秋頃からだからもう3〜4年になる。だいたい30分あればできるほどのメニューだからだ。

 ここに英語など入れることができるだろうか。

 たぶんできないと思う。

 日課を増やすと、一つ一つは小さくて、面白いことであっても、やはり「やらねば」という義務感が多少混じるので、下手をするとそれがいつか積もり積もって爆発してしまう。「あー、もー面倒くせえ!」ってなるのだ。だから日課を増やすことは慎重でなければならない。さしたる目的もないのに日課にするなどということは時間という資源の浪費である。

 しかしそれでも迂闊に始めてしまった。

 まさに「迂闊に」。まだ3ヶ月ほどだ。いつやめても「三日坊主」と言われるだろう。

 

 英語をやりたい、というのは20代の時にも起きた熱情で、この時は結局挫折してしまった。あの頃はバックボーンにしていた方法論がよくなかった。

 「浴びるように聞く」「ドラマを聞き流すだけで身に付く」などの勉強法が当時流行った。

 そこで教材のカセットテープを買ったものの、「シャドーイング」のような方法を知らなかったのでただ聞くだけである。1回聞いたものを何度も聞くのは意味がないのではと思いあまり聞かなかった。今のようにインターネットがあるわけではないから、「どんな単語を話していて、どんな意味の文章になるのかわかる英語の音」などというものはお金を出さないとそう簡単に入手できない。ラジオやテレビの英会話講座があったが、聞き取れないし、面白くなくて日課にならなかった。

 好きな文章を丸暗記するのはどうだろうと思ってやってみた。左翼的文書を英語にしたものを、東京の町田から静岡の三島まで歩く間に暗記するということをやってみた。それはそれで面白かったのだが、だからと言って英語が聞き取れたり、英字新聞が読めたりするようにはならなかったので、あまり意味がないのかなと思い、これも途中で放り投げた。

 要するに、学んでいることもつまらなかったし、上達したような気持ちにもならなかったので続かなかった。

 そして、今思うといろいろと方法論的に間違っているような気がしてならない。

 別に今英語が堪能なわけではないけども、あの頃は方法論についてあまり深く考えていなかったために無用の混乱を起こしたのだと思っている。

 

 今、いろんな英語の勉強本を読むと、書いている人によって方法論が様々である。千差万別だ。仕方ないので、数冊読んでみて自分にとってしっくりいったものを取り入れようと思った。

 その中で一番しっくりいったのは関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法 カラー改訂版』(KADOKAWA)であった。

 

カラー改訂版 世界一わかりやすい英語の勉強法
 

 

 その中でもぼくが全くその通りだと思ったのは、関が示した英語トレーニング順序のピラミッドである。一番基礎が「単語力」、次が「文法・リーディング力」、その次が「リスニング力」、最後(頂点)が「ライティング力」である。

 同じ図が下記の記事にも出ている。

president.jp

 ここで「単語力」を「筋力」として捉えている、その発想が目からウロコだった。

 ぼくは受験英語をずっとやってきて、感覚的にはずっと語彙があるかないかが大事だという実感があった。しかし、世の中は「英会話」や「使える英語」のようなものが花盛りで、辞書を引いて単語を暗記するようなものは古い受験英語の感覚ではないかという思いが抜けなかった。

 これは関に限らず、最近の英語の勉強本がだいたい指摘していることだが、受験英語のようなメソッドは否定されるべきではなく、文法をしっかり学んだり、辞書を引いて単語を暗記したりすることは、ネイティブでない人間が英語に到達するための確実な近道である。

 そして、「聞き取れて」「話せる」ということが実際には難しく、そういうものがごちゃ混ぜに「英語」として考えてはいけないのである。

 この本を読んだ時、「あ、単語を一生懸命覚えていいんだ」と気が楽になった。

 

 そして、一番大事なことは、「目標をどこに置くか」ということだった。

 リスニングやスピーキングができればそれは理想なんだけど、そのためには、かなりの時間を割かねばならない。だとしたら「読めればいい」というところに照準を合わせたらどうだろうか、と思った。

 関も上述の記事で

英語の基礎体力(単語力、文法・リーディング力)を、まず徹底的に鍛える。

と述べている。

 西澤ロイ『頑張らない英語学習法』(あさ出版)でも

 英語の主な動作は4つあります。「話す」「聴く」「読む」「書く」です。

 この中で「読む」が最初に鍛えるべき重要かつ基本的なスキルです。(p.25)

 としている。

 

頑張らない英語学習法

頑張らない英語学習法

  • 作者:西澤 ロイ
  • 発売日: 2010/04/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 「日本の学校の英語は読むことに偏重している」「これからは使える英語=英会話」という見解に心のどこかで縛られていて、「リスニングもスピーキングも当面やらない」「読むだけ」という方針にふんぎれなかった。

 これらの本は、そこを明確に回答してくれたのである。

 まず読むだけでオッケー、と。

 

 そして、ひとは自分に関心のない分野は、仮に日本語であったとしても、そもそも言葉も知らないし、そこで話されている中身もわからない。

 だとすれば、ぼくにとっては政治のニュースとか左翼関係のニュースを、報道の言葉で読む、ということができればそれが「目標」になるのではないか、と思った。要するに「英字新聞が読める」程度のことである。

 関は次のようにいっている(強調は原文)。

 英字新聞で多くの人が失敗するのは、気合が入りすぎて難しそうな記事まで読もうとするからです。

 男性の場合、なじみがあるスポーツ欄から攻める人も多いのですが(高校時代のボク)、専門用語連発で確実に挫折します。

 英字新聞はとにかく気楽に。難しそうな記事をムリに読む必要はありません。1部200円前後で英語の勉強ができれば、たったひとつの記事でも読んだら「モトは取った」と思っていいでしょう。(関p.104-105)

 

 それで英字新聞などは買わず(笑)、ネット上にある無料の英文記事を毎日少しだけ読んでいる。その中には「赤旗」記事を英訳しているJapan Press Weeklyなどもある。それを読むと「あ、『野党統一候補』ってJoint opposition candidatesって表現するのか」とか「温室効果ガスの削減を政府に強く求めたって言うときはurgeを使うのか」などという具合に、自分が身近にやっている活動に引き寄せてかなり強い関心で読める。

 ぼくがかつて挫折した20代の頃、Japan Press Weeklyはお金を出して買わないといけないものだったから、1号買ったらそれを後生大事に長い間読むようなものだった。だから自分がやっている左翼的活動、政治活動をどうやって表現するのかは気軽にわからなかったのである。

 これは辞典を引くような時も同じで、今ネットで簡単に調べられる。

 そうすると、例えば「主張する」をどういう単語で言えばいいのかが、数多くの例文を目にすることでおぼろげながら分かってくる。学生の頃や20代の頃は「主張する」と丸暗記していたので、単語の「ニュアンス」がよくわからないままだったのだ。

 

 こうやって1つの記事を読むとわからない単語が10くらいでてくる。多いときには20くらいでてくる。それを調べて単語帳に書いて覚えるのである。これをスマホのアプリなどでやれるのかもしれないが、書くというプロセスと、使い勝手がいいので、単語帳でやっている。

 ただし関は単語のカード化には否定的で、「時間が膨大にかかるので、やらないほうがいいです」(p.56)としている。

 西澤の前掲書では、逆に単語カードを強く勧めていたので始めた。

 単語帳はどうも自分に合っているようだ。

 カードをつくるのは、筋トレのインターバルの1分間くらいにやることが多い。それで終わらないときは筋トレ終了後に引き続き作成を続ける。職場の待機時間などに作ることもある。無理はしない。それで時々思い出して眺めるのである。

 作らない日もあるし、作っても2、3枚という日もある。気にしない。

 単語帳はまだ5冊しかできていないから、3ヶ月で新たに400〜500程度しか覚えていないことになる。関は1日200単語を5セットで1000と言っているので全然追いつかないペースである。しかしまあ気にしない。関のいうのは受験英語だから、と思って読んでいる。

 西澤は前掲書で「市販の単語帳が役に立たない」(西澤p.52)と言っている。西澤は「なぜその単語を覚えたいのですか?」という問いを立てているが、これはまことにその通りで、ぼくは「政治・左翼ニュースを読みたい」し、それで興味を感じているから覚えているので合って、それと関係のない単語など無理に覚える必要は全くない。

 例えばcompensationは「補償金」であるが、これがJapan Press Weeklyには頻出してすっかり覚えてしまった。コロナで補償が十分かどうかが焦点だからである。

 覚えるべき単語、知りたい単語はむちゃくちゃ偏っている。しかしそれでいいのである。どこで使うんだよという左翼用語こそ覚えたいではないか。「半封建的地主制」ってthe semi-feudal landlord systemって言うんだぜww

 

 英文が「なんとなく読める」というのは意外とハードルが低い。

 「年収40万ドル未満の人々」を英語で言ってみろというとなかなか言えないのだが、バイデンの演説で「people making less than $400,000 a year」って書いてあったらなんとなくわかる。

 関も英単語の覚え方について「president→社長」「社長→president」どっちの順で覚えればいいかについて「president→社長」のほうが断然ラクでありそちらを勧めている。また、日本語から覚えようとすると4倍時間がかかるというデータを紹介している。

 日々覚えている単語と、高校までのうっすらとした文法が頭にあると、なんとなく読めるのである。そうすると調子に乗って続くのである。

 

 文法については、ぼくの場合大学受験で得たものがあり、すでに四半世紀を経てかなり錆びついているが、「なんとなく読む」程度には使える。おまじない程度に文法の本を手元に置いているが、時々思い出したように見る程度である。

 

核心のイメージがわかる!英文法キャラ図鑑

核心のイメージがわかる!英文法キャラ図鑑

 

 

 本当はリスニングやスピーキングもできれば相乗効果もあるのかもしれない。

 だけど、例えばリスニングをやるとなると、相当時間を取られることになる。

 行き帰りの通勤電車でやればいいのではないか、とか思うのだが、毎日そんなことを義務のようにやりたくないし、本も読みたいからせっかくの通勤時間が必ずリスニングで潰れてしまうと思うと気が重い。

 そして、ぼくはスマホを持っていないので、リスニングのための時間を取ることは結構面倒臭いのである。筋トレのためにジムに通うようなもので、時間をわざわざ作らないといけない。あ、こりゃ続かないなと思ってすっぱりあきらめている。

 とにかく単語とリーディング。これだけをひたすらやっているのである。

 

 関が前掲書のはじめの方に述べているのだが、「大事なのは『英語をキライにならないこと』」(p.20)である。

 ぼくの場合、「キライになる」とすればそれは義務感に押しつぶされることだろう。

 だから、「1日で英字新聞の記事1段落を読むだけでいい」と考えている。それすらできない日もある。だけど気にしない。筋トレは1日できないと気にするけども、英語は「できない日もある」と決めてかかることだ。

 そして、「結構長いこと英語を勉強しているのに、英語を話す外国人に会って、全然喋れなくても・聞き取れなくても落ち込まない」——ここ、非常に大事なところであるww

*1:驚かれるかもしれませんが、『超訳マルクス』で扱った文献はすべて、イギリスに本部のあったインタナショナル関連の文書・インタビューばかりなので、マルクスが執筆していてもドイツ語ではなく英文なのです。 『超訳マルクス』の最初に載せた「国際労働者協会創立宣言」だけは英語版とドイツ語版という2つの原文があります。

https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/20131007/1381072909 

「与信」とは何か

新聞の経済瀾などで見る言葉だが、いつ頃から使われ始めた言葉だろうか。昔は単純に「信用取引」と言わなかったか。それを恩着せがましく「与信」と言うようになったのは金融界の誘導によるもののように思う。
ちなみに、英語ではcreditで、単に「信用」の意味である。


与信

読み方: よしん
分類: 与信

与信は、国語辞書では「信用を供与すること」を意味します。これは、金融業界においては、金融機関や消費者金融会社の融資や融資枠、支払承諾(保証)等の供与、クレジットカード会社の利用可能枠(ショッピング枠、キャッシング枠)の供与などをいいます。

また、与信は、日々の商取引(ビジネス)を効率的に行うために、企業間における与信取引でも取引先(顧客)に供与されます。

与信の審査と管理

与信は、申込時の審査だけでなく、供与後のモニタリングや見直しなどの管理も非常に重要です。また、与信にあたっては、返済能力や返済原資、返済資質、返済担保などがチェックされます。

例えば、融資の申込みの際には、厳格な審査が行われ、資金使途や返済計画、保全面(担保、保証)、過去の信用情報などがチェックされ、所定の基準に合致した場合に融資が実行されることになります。

与信に関する基本用語

与信に関する基本用語として、以下のようなものがあります。

|与信取引|
取引先(顧客)に信用を供与することで、商品や製品を納品した後に、またはサービスを提供した後に代金を受領する取引をいう。

与信限度額
「与信枠」とも呼ばれ、取引先(顧客)に対して設定する与信の限度額(リミット)のことをいう。

与信管理
取引先(顧客)の与信の状況を日常的に管理することをいう。

与信ダンピング
与信基準を大幅に引き下げることで、より多くの与信を行うことをいう。