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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

段ボールコンポスト

まあ、やるかやらないか分からないが、コンポストで堆肥を作ってみようかな、と思っているので、メモである。一番の要は、容器を密閉して虫が入らないようにすることのようだ。

(以下引用)

段ボールコンポストによる堆肥の作り方・使い方

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このページを印刷する最終更新日:2021年5月24日

ページの概要:段ボールコンポストによる堆肥の作り方及び使い方を紹介します。

段ボールコンポストとは、段ボール箱を利用した生ごみ処理容器で、段ボール箱に土壌改良材を入れ、好気性(酸素を必要とする)微生物の力によって生ごみを分解し、堆肥を作るものです。

段ボールは通気性がよく、生ごみの水分を逃がしたり、発酵に必要な空気を通すのに適しています。

においも少なく、場所も多く取らないので、集合住宅のベランダでも取り組むことができます。

是非チャレンジしてみてください!

用意するもの

用意する物の一覧
  • 段ボール箱(みかん箱程度の大きさ。  厚手で強度のあるもの(二重構造)で防水加工でないもの)
  • 二重底用の段ボール板
  • 基材(ココピート15リットル及びもみ殻くん炭10リットル) (注)そのほかおがくず、竹粉、腐葉土等も基材となります
  • 風通しのよい網目状の台
  • スコップ
  • 虫よけキャップ

段ボールコンポストの作り方

段ボールコンポストの作り方の手順

(手順1)段ボールを組み立てる

段ボールを箱状に組み立て、底が抜けるのを避けるために二重底にする。

また、以下の点に気をつける。

  • ガムテープはクラフトテープを使う。
  • 最小限のガムテープ(クラフトテープ)で固定する。
  • 虫の侵入を防ぐため、隙間や穴をガムテープで目張りする。
  • 発泡スチロールやプラスティックのケースは容器として使用できない。

(手順2)風通しの良い網目状の台に段ボールを置く

直接地面に置くと、底が湿って段ボールが壊れやすくなるので注意する。

(手順3)基材を投入する

あらかじめ混ぜた基材(ココピート及びもみ殻くん炭等)を段ボールの6割くらいまで入れる。

(手順4)生ごみを投入する

生ごみ投入の手順の画像
  1. 前日に入れた生ごみ部分のみよくかき混ぜる
  2. 中心部に穴を掘って、生ごみを入れる
  3. 上から基材をかぶせておく
  4. 虫よけキャップをかぶせる

生ごみ投入の際のポイント

投入物

  • 投入量は1日につき500から800グラム程度で、投入期間は3から6か月程度。
  • 生ごみはなるべく細かくしてから入れる。
  • 廃油、魚のあら、炭水化物は微生物の分解促進になる。
  • タマネギ、トウモロコシ、タケノコの皮等の乾燥したものは分解されるまでに時間がかかる。
  • 貝殻は分解しないので投入しない。
  • 落ち葉・木の枝等の庭から出るものも投入しない。

(注)しばらくの間投入を停止していた場合、水1リットル程度を加え、よくかき混ぜてから再開する。

温度管理

  • 微生物が順調に分解していると、段ボールの中身が20度から40度まで上がる。
  • 寒い季節は微生物の働きを助けるため、日なたなど暖かい場所に置く。

置き場所

  • 雨にあたらない場所に置く。
  • 風通しの良い場所に置く。
  • 可能であれば日当たりが良い場所に置く。

臭い対策

  • 投入する前の生ごみを適度に水切りする。
  • スコップを縦に差し込み、しっかりと空気を送り込む。

虫対策

  • 台所の生ごみも密封保管して、虫に卵を産ませないようにする。
  • 段ボールコンポストにきちんとガムテープで目張りし、毎日虫よけキャップをかぶせて虫に卵を産ませないようにする。

(注)白くてふわふわしたカビが発生することがあるが、失敗ではないので、よくかき混ぜて引き続き使用することができる。

熟成

「熟成」とは?

  • 最後に投入した生ごみを分解し、堆肥として使用するための準備工程。
  • 段ボールコンポストへの生ごみ投入期間が3か月から6か月程度経過し、基材がべたつき、分解するまでに時間がかかると感じた時に行う。

熟成の必要性

  • 段ボールコンポストへの生ごみ投入を終了した時点では、堆肥ではない。
  • 未熟な堆肥を土の中に入れると、土の中で熟成がはじまり、植物の根を傷めることがある。

熟成の手順

  1. 1週間に1回程度1リットルから2リットルの水分を加え、基材全体をよく混ぜて分解を促進する。
  2. 熟成期間は、夏期で2週間から1か月、冬期で1か月から2か月程度で、生ごみの形がなくなり、水分を加えても温度の上昇がなければ熟成完了となる。

堆肥の使用

堆肥の効果

  • 土を柔らかくして通気性を良くする。
  • 養分を供給する。
  • 保水力、保肥力を良くする。

堆肥の使用例

プランターの場合

  • 土3から4に対して堆肥が1となるように全体的にまいてよくかき混ぜる。

庭や畑の場合

  • うねを作り、溝部分に堆肥を入れて、上から土を被せる。

段ボールコンポストの手引き

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堆肥を使い切れない方へ

段ボールコンポストを使用して作った堆肥を使い切れない場合は、資源化推進室にご連絡ください。

堆肥を引き取り・有効利用します。

引取りができる堆肥

完熟した堆肥で、段ボールに入っているもの

引取りまでの流れ

  1. 資源化推進室(電話番号:052-072-2390)に連絡
  2. 引取り先(各区環境事業所)の案内
  3. 引取り先に持ち込む
  4. 公共施設において緑のカーテン等で利用

関連リンク

このページの作成担当

環境局ごみ減量部資源化推進室事業所排出指導担当
電話番号:052-972-2390
ファックス番号:052-972-4133
電子メールアドレス:a2297@kankyokyoku.city.nagoya.lg.jp

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世界は資本主義(新自由主義がその究極)という地獄からの脱出を求めている

単なるメモである。
私自身はマルキシズムにはまったく興味は無い。むしろ彼以外の「社会主義者」に興味があり、「共産主義」など実現不可能な空想だと思っている。しかし、社会主義的要素が無い政治は人民抑圧の恐怖政治になるしかないだろう。

(以下引用)

「資本論」への関心高まる コロナ禍で“経済格差”など意識か

およそ150年前に資本主義のメカニズムを分析した思想家、カール・マルクスの「資本論」への関心が高まり、関連する書籍が人気を集めています。

出版社などは経済格差や環境破壊などの社会問題がコロナ禍の中でより意識されていることが、背景にあるのではないかとしています。

「資本論」は、ドイツの思想家、カール・マルクスが1867年に発表した著作で、資本主義のメカニズムをひも解き内包する問題点などを鋭く分析したもので、その後の経済体制のあり方などに影響を与えました。

出版社などによりますとコロナ禍の中、この「資本論」への関心が高まり、内容を解説した本や資本主義社会をテーマにした関連書籍に注目が集まっています。

このうち、去年9月に出版された大阪市立大学の斎藤幸平准教授の「人新世の『資本論』」は、地球環境に負荷をかけて経済成長を追い求める資本主義では温暖化や経済的格差の解決は難しいなどと論じていて、30万部の異例のベストセラーとなっています。

斎藤准教授は「資本主義が豊かさをもたらした一方で、その弊害がよりあらわになり、持続可能な社会を求める動きが世界的に出てきている。コロナ禍の中でグローバルな資本主義の問題を自分事として受け止める人が増えているのではないか」と話しています。

このほかにも「資本論」の内容を丁寧に解説した「武器としての『資本論』」や、現代社会の労働のあり方を批判的に分析した、「ブルシット・ジョブ」など、関連書籍が相次いで出版され、書店では特集コーナーが設けられるなど人気を集めています。

都内の大手書店の担当者は「若い人たちを中心に反響が大きく驚いている。格差や環境悪化は差し迫った問題で、このままの社会でいいのかという思いや意識があるのではないか」と話していました。

注目の背景に「温暖化」「格差」

地球温暖化は、大規模な森林火災や異常な高温、ハリケーンの大型化など世界各地でさまざまな影響を及ぼしていると指摘されています。

ロシアのシベリアでは去年、北極圏で過去最高とみられる38度を観測するなど異常な高温となり、こうした高温が続けば永久凍土が溶けて、地中のメタンが放出されるなどしてさらに多くの温室効果ガスが排出されるおそれがあるとされています。

オーストラリアでは、おととし9月から去年2月ごろにかけて発生した大規模な森林火災で33人が死亡したほか、コアラが焼けて死ぬなど30億匹の野生動物が被害を受けたと推計されています。

国連は温暖化の深刻な被害を防ぐためには、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を抑え、世界の平均気温の上昇を1.5度以内に抑える必要があると呼びかけています。

国連のグテーレス事務総長は、「世界は今世紀中に3度から5度という壊滅的な気温上昇に向かっている。自然との融和を図ることはすべての人、すべての場所において優先課題でなければならない」と述べて、対策の強化を訴えています。

また、世界的な経済格差の問題も深刻です。

世界の貧困問題に取り組む国際的なNGOの「オックスファム」は、2019年の時点で、10億ドル以上の資産を持つ富裕層2100人余りの資産の合計は、世界の総人口のおよそ6割にあたる46億人の資産の合計を上回っていたとする報告書をまとめています。

2011年には経済格差の解消などを訴えるアメリカの若者たちの抗議行動が全米各地で行われ、世界各地でも抗議の声が上がるなど格差の拡大は世界的な社会問題となっています。

山で生きる厳しさ

かなり特殊な「生活の知恵」だが、実体験だけに貴重な内容である。

(以下「東海アマ」ブログから転載)

田舎暮らしの悩みの種

カテゴリ : 未分類

 田舎暮らしで困ることといえば、豊かな自然につきもの有害事象だ。
 中津川市の山奥に移住して、もう18年になるのだが、これまで本当に困ったことと対策を挙げてみたい。

 私が中津川市の北西部の山岳地帯の小さな村に移住したのは2003年だった。
 敷地は、ほぼ雑木林で、わずかな平地はヘイケボタルが繁殖する湿地、あとは傾斜20度以上の林だ。だから、家を建てるにしても、畑地を作るにしても、最初は雑木を伐採し、根を除去するのに心底苦労した。

 むろん自然林ではなく放置された二次林なのだが、柿や栗や檜、赤松、それに大量のツツジなどに覆われていた。
 木を切るのは簡単だが、根を除去するのは簡単ではない。ユンボやクレーンがあれば良いが、すべて人力でやった。今なら、レンタカーでクレーン車かユンボを借りなければ無理だ。それも250(2.5トン)以上の自重がないと径20センチの木の根を引き抜くことはできない。

 ない場合は、タコという道具に、3メートルの鉄パイプを三本差し込んで、2トン以上のチェーンブロックでワイヤーをつけて引き抜く。これが、とんでもない重労働だ。
 鉄パイプは地面にめり込むので、大きな材木の靴を履かせる。根の周囲をスコップで掘って底面まで露出させ、ワイヤーをセットして引っ張るのだが、大きな根だと一日がかりでも引き抜くのは困難だ。
 一番大変なのが柿の木だ。大きな主根が横に延びていて、掘り出すだけで半端な労力ではない。

 こんな作業を百回以上繰り返して、100坪ほどの空地を作り、畑や宅地を造った。だが、作りたての畑地では農作物は育たない。数年間放置し、鶏糞を入れて耕運し、雑草を生やして土を農作に慣れさせないと無理だ。

 また、線虫被害を受けた赤松の大木が枯れて、いつ倒れてくるか分からないので、高ハシゴをかけてウインチワイヤーをかけ、チェンソーで数十本切り倒したが、もしも近所の家に当たれば、数十万円という大きな弁償額になる。
 民法717条は、枯死樹木を放置して近隣に損害を与えたときの賠償責任を定めている。安易に土地を購入するのはいいが、敷地内の立木の管理をしないでいると法的な賠償責任が降りかかってくる。

 2007年くらいまでは、マムシと巨大なムカデが目につく程度で、有害生物に苦しんだということはないが、リーマンショックの年を境に、近隣の生物相が大きく変わった。
 それまで姿を見かけなかった有害獣、猪・アライグマ・ハクビシン・熊・鹿などが大量に人里に現れ、農地を襲いはじめたのだ。

 それまで害獣防除など必要なかった農地が、主に猪によって、のきなみ激しく荒らされて、わが村では猪対策をしなければ農作が不可能になった。私の畑も猪に一晩で全滅させられた。近所では、毎年カボチャを作っていたおばあさんが、とうとう放棄してしまった。

 スイカなどの果物を作れば、ハクビシンやアライグマが大喜びで全滅させる。彼らが現れてから、それまでの野山の主だった、野ウサギ・狸・キジなどがいなくなった。アライグマは凶暴なので、ウサギも猫も食べてしまう。
 だから、農地は見渡す限り、電柵と猪防御用のメッシュ鉄筋の塀で覆われた。我が家も5ミリのメッシュ鉄筋を張り巡らしている。

 メッシュ鉄筋は、1m×2mで350円程度、敷地の周囲に並べて、杭と針金で固定する。杭は必ずコールタールをべた塗りしておかないと1年持たずに腐ってしまう。
 周囲に危険な突起が突き出しているが、これが猪の飛び越えを防止する。子供が遊ぶ場所に設置すべきではない。非常に危険で深刻な事態を招く可能性がある。
 だが、猪侵入を防ぐには電柵より確実だ。電柵は、草が伸びると、すぐ電池が劣化する。安全性を第一義に考えねばならない場所では、電柵以外の選択肢はない。

 同時に、それまで見かけなかったカメムシ・テントウムシダマシなど害虫が大量に現れるようになった。こいつらは、エダマメやピーマンなどを食い荒らす。馬鈴薯や茄子などナス科の野菜を育てるには、農薬がないと事実上、不可能になったのも、この頃だ。
 (カメムシは、昨年から劇的に減少した。理由不明)

 うちの場合は、はるかに深刻で、2011年、フクイチ事故放射能汚染を境に、それまでいなかった目に見えないほど細かいユスリカが膨大に湧くようになった。
 人口3000人のわが村では、2011年事故後、数ヶ月で実に14名もの心不全死者が出た。おそらく、フクイチ事故の短寿命核種の汚染が、元々日本一の高線量ガンマ線地帯だった、この村の人々を選択的に襲ったのではないかと思った。

 このユスリカは、その後劇的に増え、2014年には、このせいで私は間質性肺炎を発症してしまった。呼吸のたびに、ブツブツバリバリと音がするようになり、呼吸機能は以前の半分に落ち、何をするにも息切れがして、一時は人生への積極的な意欲がほぼ失われた。
 家はゴミ屋敷となったが、現在、やっと少しずつ回復している。
 ユスリカの発生は、デミリンという羽化防止剤を使えば抑制できることを知ったのは、深刻な発症後だったが、このおかげで、やっと大発生を抑えることができた。

 ちなみに、間質性肺炎=IPFは、医学常識によれば治癒不能とされて、最長6年程度で死亡することになっているが、7年を経ても私は死なないでいる。しかし、呼吸力は元のレベルには戻らない。ただ苦痛に慣れただけだ。
 たぶん、発症後、呼吸力を取り戻すために、ほぼ毎日、苦しい思いをして山歩きを重ねたことで、死なずにすんでいるのだろうと思っている。間質性肺炎には呼吸トレーニングが絶対不可欠だと知った。
 医療に頼らないことも大きい。私は医者を信用していないので原則行かない。だから全身に4カ所も骨折偽関節を抱えている。

 2015年頃から、毎年、ムカデやマムシ対策を迫られるようになった。ムカデが家に侵入し、ときには布団のなかにまで入り込んで噛まれることがある。
 実は、このブログの動機は、先週、ムカデに噛まれたことからだ。
 ヤツは、玄関の靴の中にいた。気づかずに裸足で履いたら、左足の小指に強い痛みを感じた。それまでも布団のなかで噛まれたことがあったが、比較にならないほど激しい痛みだった。まるで痛風発作が皮膚で起きたみたいだった。
 あわてて脱いで靴の中を見ると、10センチを超えるムカデが鎮座していた。

 何度も噛まれているので、セオリー通りに、すぐに風呂場で45度の湯をシャワーから流して15分ほど患部を洗い続けた。これで痛みは少しだけ和らいだ。患部は二倍くらいに腫れ上がっていた。
 それから常備しているムヒアルファEXを患部に塗った。1時間もしたら痛みと腫れが引いて、「今回はえらく簡単に治ったな……」と安心したのだが甘かった。

 48時間後に、ステロイド剤のリバウンドがやってきた。猛烈な痒みと痛みが復活し、患部が再び腫れ上がった。
 慌てて再びムヒアルファEXを塗りたくったが、今度は痒みが残った。それから硫黄剤を入れた風呂に入り、患部を洗浄したら、痛みが引いた。

 これで一件落着と思ったが、三日後から、またまた猛烈な痒みが襲ってきた。今度はムヒを塗ったが、あまり効果がなかった。
 かくして一週間以上経過したが、まだ痒みが引かない。いったいムカデ毒は、どこまでしつこいのだ。

 ムカデが室内に入ってくる理由は、室外に落葉の堆積があること。湿った場所があり、たくさんの虫が湧いていることだ。これはムカデの繁殖に最高の条件なので、可能ならそれを排除する。ムカデの大好物はゴキブリなので、それを追って入ってくることもある。

 落葉を排除できない場合は、オルトラン粒剤を、落葉の堆積や床下に撒いておく。私はムカデに噛まれる数日前にオルトランを散布していたが、靴の中まで注意が至らなかったのでムカデの侵入を許していた。その靴は半年以上履いていなかったものだ。
 それからというもの、靴には虫除け薬をスプレーするようにしている。

 ムカデは、進入路にハッカなどハーブ臭があると強く嫌う。室内に何度か侵入したムカデにハッカ・ヒノキオール混合をアルコールで薄めたものをかけたら、すぐに死んでしまった。
 だから、戸口には、夜、ハッカ薄め液をスプレーしておくと効果がある。市販のムカデ防除薬(粉剤)を出入口に散布しておくのもよい。室内はハーブ液散布が良い。
 布団への侵入を防ぐには、布団にハッカスプレーをかけるしかない。

 これまで数十回のムカデ侵入と咬傷を体験し、細心の注意を払って防除対策をしてきた私が、再び噛まれたのはショックだった。靴のなかというのは死角だったのだ。
 噛まれた場合は、温水器で45度程度にした熱い湯を15分間かけ続ける。噛まれた表皮に毒があるので、よくもみ洗いをして毒を流す。その後、ステロイド剤を塗るのがセオリーだが、今回、それでも一週間、毒性に苦しむことになった。

 ムカデ咬傷の痛みは、相当なレベルで、痛風や尿路結石に匹敵するかもしれない。農薬を使いたくはないが、落葉のなかにあるムカデの巣を退治するにはオルトランなどの比較的弱毒の農薬しかない。有機リン農薬は健康被害が起きるので使うべきではない。
 オルトランの毒性は一ヶ月くらいで消えるので、年に数回、5月から11月までくり返し散布する必要がある。

 数年前から、裏山での大きな異音に気づいていた。最初は、また猪だろうと思っていたが、メッシュ鉄筋塀を設置してあるので、安心していた。
 私は中津川市の防災メールを受信しているので、市内の火災や動物被害に関心を向けていた。あるとき、熊目撃情報に、私の家の裏山が記載されていることに気づいた。ほんの数百メートル離れた場所での目撃情報だった。

 だが、それで合点がいったことがある。それは臭いだ。熊には独特の獣臭がある。同じ臭いが、我が家の敷地内に残っていたのだ。「これはやばい!」と思った。
 若い頃から、山歩きにおける熊とのニアミスが度々起きていたから、何よりも熊臭に警戒心があった。敷地のなかに、熊が侵入した形跡があることに気づいたのだ。

 夜間、不用意に外に出たなら熊に襲撃される可能性に、心を置かねばならなくなった。
 今のところ、目撃された熊は、若熊で、それほど深刻な事態でもないが、10年ほど前、我が家の向かいの丘で熊が発見されたときは、体重100キロを超える大熊だった。
 岐阜県は、秋田県や岩手県、長野県と並んで熊のメッカのような場所で、県内のいたるところで出没情報がある。
 https://j-town.net/2015/01/08198979.html?p=all

 私は毎日、高峰山の山麓で山歩きをしているのだが、ここでも、たくさんの痕跡を見かけた。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1374.html
 ストックを持参して、カチャカチャと歩いていたら、近くで怯えた熊が吠え声を出したこともある。
 もう山歩きも、日常生活も、熊と折り合いをつけねば成り立たない時代になっている。だから鈴は欠かせない。私はザックに二種類の小型ハンドベルをつけている。遠達性のすぐれた高音の鈴だ。

 これなしで山を歩くのは無理になりつつある。熊侵入と、近所のパンクさせる趣味の悪意親父を防御するため、表には大光量のセンサーライトをつけた。これは泥棒にも効果が高い。以前、工作室に置いてあった高価なアマチュア無線機を盗まれた。犯人の見当はつけているが、近所のひどく挨拶の悪い若者だ。人を責める趣味のある人は危ない。
 田舎暮らしでは、こうしたセンサーライトは必需品になったかもしれない。
 田舎は善人だけがいる場所ではないことを、くれぐれも気にとめて。

 追記、マムシ対策を書き忘れていた。

 我が家の土地は、昔「マムシ平」と呼ばれたほど、マムシが多い土地だ。近所に鳶巣山もある。鳶が多いのはマムシが多いことの裏返しなのだ。
 以前は、ほぼ毎日庭で見かけた。そこで対策を考えた、マムシの嫌いな硫黄臭で防御するため、石灰硫黄合剤を買って、毎日のように湿地や畑に散布した。
 これでマムシが出なくなった。家の周りのコンクリートに沿って移動する習性があるので、基礎には必ず石灰硫黄薄め液を散布しておく。

なぜ結婚するか

「紙屋研究所」記事の一部で、部分だけ取り出すと誤解される可能性のある個所だが、面白い問題提起なので、転載する。

(以下引用)

何のために結婚するのか?

 結婚の目的は、多くの人にとっては、家族づくり、もっといえば子づくりだろう。「そんなことないよ!」という反論については後からふれるので、まあ聞き流してくれ。
 わざわざ結婚をして関係を固定化させるというのは本作に出てくる結婚に懐疑的なイケメン・風見涼太よろしく、考えてみると奇妙な制度である。
 恋愛感情が強く残りセックスをする気持ちが旺盛な段階で、他の男女との関係を排除した関係に入る。それは何のためかといえば、子どもをつくるためだ。エンゲルスが指摘したように、相続すべき財産をもつ人間にとっては、これはきわめて大事なプロセスなのだが、そんなものを持たない(もしくは一代限りと思っている)庶民どもには、確かに「何のためにこんな関係に入るの?」という問いがわいてきても不思議ではない。

(以上引用)

「相続すべき財産を持たない庶民ども」(笑)には結婚というのは不可解な関係、あるいは制度だ、というのは面白いが、若いころは「恋愛→相手を独占したい→結婚したい」という感情は自然なものであり、「結婚したいが財産が無い」というのが多くの若者の悩みであるわけだ。そこには「妻や家族を養うのは男の役目だ」という古風な感情があるだろう。そして、「自分にはカネが無いから結婚する資格もない」というのが現在の非婚社会の根本原因であるわけだ。
だが、「そもそも結婚にどれだけの価値があるのか」という計算を始めたら、まあ、恋愛の満足や相手を独占できる満足、セックスの満足の価値をどの程度に見積もるかという主観的な話になるが、経済的、あるいは物質的な意味では独身のままでいるのとどれほどの違いがあるのか、非婚者にはなかなか想像がつかないだろう。
それに、結婚には守操義務があるのかどうか、あやふやなところはある。相手が貞操を守らないなら、何のために結婚しているのかと言えば、「家のため」というのが大方の理由だろう。特に名家の出でもなく、浮気者だが、女性(男性)としてあまりにも魅力的なので我慢して結婚関係を続けるという例もあるかとは思うが希少な例だと思う。

などと言いながら、私は「結婚したほうがいい」という意見なのである。その理由はここでは特に述べない。まあ、結婚が人生最大のギャンブルだとは言えるが、相手の人柄を見抜けないような馬鹿は結婚などしないことである。カネ目当ての結婚はだいたいロクなことにはならない。










労働者の未来像

単なるメモである。考察は今は特にしない。

(以下「紙屋研究所」から引用)

他人に雇われる働き方はなくなるのか?

 

 今回、不破哲三社会主義論にちょっと戻ります。
 不破が『マルクスと友達になろう』で述べている次の箇所についてです。

 「生産手段の社会化」によって、社会がどう変わるか。具体的に見てみましょう。
 まず、人間の労働のあり方が根本から変わります。他人に雇われて他人の利潤のために働くという「雇用」関係そのものがなくなって、労働が、自分自身と共同社会のための生産活動という、本来の性格をとりもどすのです。(不破前掲書p.47、強調は引用者、以下同じ)


 これをどういうふうに読むか、ってことです。
 ふつうに読むと、雇用関係の否定ですよね…。
 だって「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくな」る、ってあるもの。特に「他人に雇われて」の部分。
 だから、不破の考えている社会主義経営体って、労働者=経営者、あるいは協同組合のようなものかと思いますよね。
 協同組合とは何か、についていろいろ議論がありますが、ざっくりと言えば、「利潤追求ではなく、生産・生活の向上などの目的をもったメンバー(組合員)による、平等で民主的な運営にもとづく経営体」とでもいいましょうか。


 株式会社との違いをかいた下記のJAの解説がわかりやすいでしょう。
https://org.ja-group.jp/about/cooperative


 マルクスも協同組合を、社会主義社会でのひとつのスタイルとしてあげたことがあります。


 ただ、当の不破自身は別のところでこう言っています。

 〔生産手段の――引用者注、以下同じ〕社会化の方式には、いろいろな形態がありうるでしょう。マルクスエンゲルスにしても、その具体的な形態として「国有化」をあげたこともあれば、当時、イギリスなどでかなりの発展をとげていた労働者の集団による協同組合工場を頭に描いて、協同組合による社会化の形態を実例としてあげたこともあります。高度に発展した生産力をふまえて、生産手段の社会化を実現するというのは、人間社会にとって新しく開拓される経験ですから、当然、そこには、いろいろな形態が生まれ、その有効性、合理性が実際の経験によって試されて、またそれにもとづく淘汰や進化の過程をへることでしょう。
 〔日本共産〕党綱領は、そのことを考慮して、これが社会化の日本的な形態となるだろうという調子で、あれこれの特定の形態をあげることはしていません。(不破『新・日本共産党綱領を読む』p.367-368)


 不破が「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくなって」と言っているのは、どうも協同組合(もしくは公有企業)のようにしか思えないけど、「特定の形態をあげることはしていません」というのとは矛盾するんじゃないか、という思いも一瞬持ちます。
 もしここで不破のいう「他人に雇われて」が文字通りのことしか意味しないんだったら、ぼくはこういう社会主義像は狭すぎると思いますね。


 これでは株式会社のような形態や利潤追求型の企業体は、すべて否定されてしまうんじゃないでしょうか。あくまで不破が書いた「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくな」る、ということをその通りに受け取れば、ですが。



 結論めいたことを先に書いておけば、今の株式会社で働いている人たちが経営に民主的に参加できるルートができることが「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくな」る一つの道だし、また、その従業員である人たちが、同じ企業や別の企業の株主、消費者、取引先、地域住民など、その会社に外側からかかわっている人(いわゆるステークホルダー)となって、会社の経営に口を出して参加していく多様なルートもふくめて、そういうものが全体としてあわさって「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくな」ることではないかと思うのです。

社会主義の形態は別に協同組合と決まっちゃいねーよ

 この点で、松竹伸幸の指摘は示唆に富んでいます。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/Lenin-saigono-mosaku.html

 …マルクスレーニンが協同組合を強調したからといって、現在の日本に生きる人びとが社会主義とは協同組合を前進させることなのだと考える必要はまったくない。マルクスレーニンが、目の前に存在するものから将来社会の形態を洞察したように、日本の現実をふまえて考えればよいのである。 


 たとえば、第二次世界大戦以降の資本主義においては、協同組合企業というものは目を見張るような発展をみせずに、逆に、株式会社がどんどん力をもつようになっていった。同時に、そういう力を得た株式会社を国民がどう規制していくのかが問われるようになった。
 株主となって発言権を得るというのも、その一つである。問題のある商品を生産している企業には投資しないというやり方も生みだされた。それらをつうじて、企業の社会的責任という概念が誕生し、消費者、従業員、地域、環境に対する責任を企業がどう果たしていくのかが問われるようになった。


 現在、ポスト資本主義の道を探っていくうえでも、資本主義の枠内の改革をめざしていくうえでも、大切なことは目の前の現実である。その現実のなかに、新しい社会の要素があるのかないのかを見極めることが、変革を成し遂げるうえで不可欠なのである。株式会社というのものを、そういう目で分析し、考察する必要がある。(松竹『レーニン最後の模索』p.128)

 松竹は、レーニンに学ぶというのは、レーニンが目の前の現実の苦闘の中からネップを編み出したその着眼に学ぶということであり、レーニンの片言隻句を紹介したり、逆に「今さらレーニンかよw」と嘲弄することでもないとしています。

株式会社でもいいんじゃねーの?

 別の角度から言いましょう。
 「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係そのものがなくな」る、というのは、契約をして雇用されるという働き方の否定、あるいは利潤追求企業や株式会社を否定することなのでしょうか。
 そうではないと思います。
 契約を結んで雇用される、その会社は株式会社である――そうであったとしても、「他人に雇われて他人の利潤のために働くという『雇用』関係」を克服して、「労働が、自分自身と共同社会のための生産活動という、本来の性格をとりもどす」ことはできるのではないでしょうか。


企業とは何か―企業統治と企業の社会的責任を考える 会計学者である角瀬保雄は、マルクスが協同組合と株式会社に、経営体の公共性、共産主義社会の萌芽を見たとして、そのいずれについても「マルクスが一九世紀の協同組合工場にみたアソシエイションの今日的展開」(角瀬『企業とは何か』p.208)としました。
 角瀬は、ヨーロッパ資本主義の中で、例えばドイツにおける労使の「共同決定」などを紹介します。

ドイツの株式会社では監査役は取締役の上に立ち、取締役を選任するという独自の構造をもっていて、監査役の地位はたいへん高いものがあります。そして従業員二〇〇〇人以上の企業では監査役の半数が株主代表と並んで従業員代表から選ばれなければならないと法律で決まっています。(角瀬前掲p.136)

 この他に、社会的パートナーシップとか欧米における労働者の所有参加について書いています。
 「所有参加」などは、日本の上場企業での従業員持株制度が紹介されています。数%株を持てば大株主という状況の中で、従業員は1%持っているんですけど、「多くは会社では総務部長が株式を預かっていて、その議決権は社長の力を強めるだけの役割しか果たしていません」(角瀬p.140)という状況が書かれています。


 現実にどれくらい機能しているか別にして、株式会社の中で労働者が経営に参加するしくみはいろいろ生まれています。でも、さっき言った「持株制度」のように、そういう制度があってもそれを使って経営に参加しようとはしない、その経験を積もうとしていないのが現状です。


 角瀬はすでに「大企業は事実上、『誰のものでもない』もの、社会的な存在になっていると考えられます」(角瀬p.141)とまで言っているのですが、

ここで重要なのは経営への参加が実現しても、労働者が経営の主体として管理能力を身につけ自らを高めない限り、その参加は形式に終わり、実体をもったものにはなりえないということです。実際に管理する能力がなければ、現実には専門経営者のいうままとなります。したがって、経営参加は到達点ではなく、これから進むべき始まりでしかないのです。(角瀬p.141-142)

 ぼくは、生産手段が社会化され、経済において社会が主人公になる、社会が経済をコントロールするようになるには、一番大事なのは、市場経済と私企業を前提としつつ、やはり国家や自治体がどんな法律・計画・金融・財政を使ってその市場を手なずけていくのか、というその大枠のところだと思います。
 そういう大きなレールがきちんと敷かれていないと、個々の企業体がいくら民主化しても、身動きできる余地などほとんどないからです。
 だから、生産と労働の現場である経営体が民主化されるのは大事なことですが、それは社会主義にとっては副次的なことではないかと思います。


 

経営体の民主化よりもAIとBIによる労働時間短縮の方が効く

 そもそも、もし労働者が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障され、そうですね、例えば住居費・教育費・医療費・介護費・保育費などが完全に社会の負担になったとして、本当に日々の生活分だけを労働で稼げばいいような社会になった場合、それこそ労働時間が抜本的に短縮されるので、「生産と労働の現場である経営体」での働き方には、みんなあまりこだわらなくなるんじゃないでしょうか。
 それこそ、職場ではなくて、社会参加のようなものが進み、そちらの分野での社会的コントロールのツールが発達していくような気がします。
 え? 具体的にどういうことかって?
 まあ、あくまで例えですけど、例えば今、福岡市消費生活審議会っていう市レベルの審議会があるんですよね。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/shohiseikatsu/life/syouhiseikatusentauhoumupeiji/singikai.html
 福岡市消費者教育推進計画っていうのをつくって、そこで消費者の教育をどう進めるかを議論していて、市のPTAの副会長さんなんかも入っているんですが、率直に言っておざなりなんです。少し意見を言って終わり。
 そういう審議会が部会ごとに分かれて多数の市民が参加し詳細な議論をして、本当に身になる計画もつくって、実効ある消費者教育運動にして企業の行動も変えていく……そんなふうになるには、多くの人が参加できるような時間的余裕がないとダメです。


 労働と所得が次第に切り離されるようになっていくと、社会参加が進むと思います。もちろんみんなそんなことをやりたいわけではないと思いますが、要するにヒマな人が増えるので、当然母数も増えていくわけです。


 こういう条件を整えるのは、企業体の民主化運動よりも、むしろAI(人工知能)による生産性の飛躍的上昇とその社会的利用、BI(ベーシックインカム)に見られるような公的な生存権の保障じゃないかと思います。この社会主義にとってのAIとBIの問題は、また別の機会に論じます。