絶対矛盾的自己同一
西田幾多郎は鈴木大拙の影響を受けたと聞いたことがあるが、下の考え方は確かに仏教的だ。あるいは禅宗的だ。
単純な例を挙げれば、右翼(右)と左翼(左)も中庸(中央)という立場から見れば、「端にいる(過激な)存在」という意味では同じであるわけだ。
(以下引用)
「絶対矛盾的自己同一」は、日本の哲学者である西田幾多郎の概念です。 一見、対立して相容れないものが、見方を変えると同じものであるという意味です。 西田は、「現在」や「世界」が、絶対矛盾的自己同一そのものと考えます。
青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
JUNE
24
2021
一生賃貸と持ち家では、高齢になったときの選択肢や安心感が圧倒的に違う。
住宅は、利便性が高く、価格が下がりにくく、災害に対しても安全な場所に優良物件が適正価格で買えるのであれば、できるだけ買っておき、老後には住宅ローンの返済が終了している状況をつくっておいたほうがよいというのが、長い間、不動産実務に携わりたくさんの人たちの人生を見てきた上での感想だ。
ずっと賃貸で暮らし続ける(=一生賃料が出ていく流れがある。「フロー」)のと、正しい買い方で購入した持ち家を所有する(= いずれは住宅ローンという大きなお金が出ていく流れは終了し、固定資産税や管理費等のみの最小単位になる。「ストック」)のとでは、高齢者になってから、いや、高齢者になる前に圧倒的に差が出ることが経験的にわかっているからだ。
セカイ系とは、アニメやライトノベルやゲームの分野で、おもに2000年代初頭以降に流行った世界観のこと。自分の心境や自分を取り巻く狭い範囲の状況(近景)が、コミュニティや他の人々(中景)との関係性が描かれることなく、世界の危機(遠景)に直結している、といった定義が一般的だ。
やや強引にこの構図を当てはめるなら、繊細な彼らはネットを通じて、自分のお気持ち(近景)が、大文字の“社会”や“マスコミ(遠景)”と、直結してしまっている。
平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、大地震や噴火などの災害が各地で多発し、貴族社会から武家社会へ移り変わる中で戦乱が繰り返され、飢饉や疫病で苦しむ人々が後を絶ちませんでした。
そのような社会的混乱や不安が広がる中で、仏様の教えにより人々を救おうとさまざまな宗派が生まれることになります。その一つが日蓮によって開かれた日蓮宗です。
16歳で出家し、比叡山や高野山などで修業を積んでいた日蓮は、妙法蓮華経(法華経)こそが仏教を説いた釈迦の唯一の教えであると確信します。そして、「天変地異が繰り返されるのは邪法や悪法が世間に広まっているからだ」と説いた『立正安国論』を執権北条時頼へ提出しますが、その内容を幕府に危惧され伊豆に流罪されてしまいます。しかし日蓮はそういった数々の迫害を乗り越え、1253年(建長5年)にはお釈迦様による法華経の教えをよりどころする日蓮宗を立教し、布教につとめました。
現在、日蓮宗寺院は全国に5,300ヵ寺あります。日蓮は晩年を山梨県で過ごし、日蓮と弟子によってたくさんの寺が開かれたため、山梨県は特に日蓮宗を信仰する人々が多い地域となっています。
宗派名に日本人の宗祖の名前が使われているのは、13ある宗派の中でも日蓮宗だけです。それほど日蓮宗は、日蓮が与えた多大な存在意義が深く反映されている宗派であるといえるでしょう。
日蓮宗ではお釈迦様が説かれた教え、妙法蓮華経(法華経)を何よりも大切にしています。日蓮は、法華経はお釈迦様の心そのものを表したもので、題目である「南無妙法蓮華経」の7文字こそ功徳のすべてであると考えました。
当時、法華経以外の経典では、女性や武士をはじめとする一部の人々は成仏できないとされていました。その状況下で、法華経の説く「差別なく万人を平等に成仏できる」という仏教思想の原点に今こそ戻るべきであるとした日蓮の教えは、当時の仏教界に新たな風を吹き込んだのです。
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」
日蓮宗では「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えることを最も重要な修行・信仰だとしています。繰り返すことで、死後に「霊山浄土(りょうぜんじょうど)で釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)にお会いし、成仏することができる」とされているのです。