腹筋の攣り
腹筋の攣りはそれまで聞いたことも無かったので、椎名高志のこのツィートで、自分だけの話ではないと知って、少し安心した。
(以下引用)
極度の運動不足だと、割と簡単に腹筋がつる。あれはマジつらい。
青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
『満州国の「国通」から連綿と続くの負の遺産、マスコミ界最大の禁忌(タブー)が「電通」だった』
『電通』を歴史的に見れば。前身である日本電報通信社は阿片王里見 甫(さとみ はじめ)や満映理事長や初代民生部警務司長だった満州国の影の支配者甘粕正彦など裏社会と繫がる特務機関と同じように(連携して)、悪名高き関東軍の造った人造国家『満州国』の満州鉄道の調査部(関東軍の嘱託)として対外宣伝と宣撫工作を担っていた。
1945年の日本の敗戦後には満洲国や上海から逃げ帰ってきた戦犯の特務機関員や軍人、満鉄関係者を大量に採用してGHQや日本政府に食いこみ、影の情報局とか築地CIAなどと呼ばれて、戦後における『影の特務機関』(裏の情報機関)の一種として機能しながら、広告専門会社として戦後の高度成長期、テレビの登場で急成長を果たし、1974年には広告取扱高は世界1位に躍り出た。
電通の吉田秀雄社長は政界だけではなく敗戦後のGHQとの関係でアメリカのCIAや山口組を始めとする日本のヤクザと広範囲な人脈を持っていて、電通は日本国内の最大最強のCIAエージェントであり、また暴力団との裏のコネに豊富だともいわれている。単なる圧力だけでなく、電通はCIAや暴力団を使ってテロや要人暗殺も可能なバケモノであるとも言われているらしい。電通は自分たちの目的のためには『実力行使』を行うことが可能な会社なのです。
アメリカの広告術を取り入れた吉田秀雄社長の有名な『鬼十則』という軍事組織のようなスローガンの下に、日本の広告市場の制覇を握っただけではなくマスメディアの世界を完全に掌握する。政財界やマスコミ、元皇族など日本の主だった実力者の子供を優先的に入社させ、電通社員を代議土の秘書に送り込むなど、電通はフィクサーの集団として機能する。
日本以外ではGMとフォードは別の広告会社を使っているように資本主義の自由競争の原理で、業種別に激しい実力競争が行われるが、日本では『電通』1つが業界全体の広告代理店を占有する。本来絶対に『有り得ない』状態が生まれているが、だから、電通は世界一の広告代理店になった。
なんと日本政府の広報でも電通がダントツでほとんど独占しているし、テレビや新聞広告も圧倒的に電通が握っているので メディアともたれ合いで安易な営業をしているだけではなく、読売や朝日毎日などマスコミの幹部の子弟たちが電通社員。日本のメディアは首根っこを電通に押さえられ、世界有数の発行部数を誇る大新聞でも、手も足も出ない状態が続いていた。(今回5月17日から今までは敗戦後最大・最強のタブーだった『電通』の名前が国会やマスコミで解禁になったのは画期的な出来事だった)
(抜粋)
失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。
それは本気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、本当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。
当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず鬱々としていた。
こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。
仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。
なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。
なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。
食事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話していたはずが、気がついたら父親と口論になっていた。
なんでそんなことになったのか、全く思い出せない。実際、ものすごく些細な話だったのだと思う。
不機嫌に別れて家に帰った。帰り着いて、風呂に入って、なんでかわからんがめちゃめちゃに泣いて、時間はすでに深夜だった。
あまりにも突然急に、あっ、死のう、と思った。
自分で言うのもなんだけど、正直昔からメンタルが強いほうではなかった。人生のうち半分以上を「死にてぇ〜」と思いながら生きていた。
生きていたけれども、「死にたい」じゃなくて「死のう」となったのはその時だけだ。
WEBで今できる死に方を検索した。できるだけ苦しみが少ない方法。それらしいのを見つけた。これだと思った。
親しくしてもらっている大家さんに迷惑がかかるとか、今まさに近くに来ている両親のこととかも考えた。
胸が痛むような気持ちを遥かに上回って「死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」と思った。
誰かが困っても、泣いても、死んだ後だからどうでもいい。
そのころ私は趣味のWEBサイトを運営していて、そこそこ閲覧もされていた。
親しくなった友人も、慕ってくれる閲覧者もいた。
当時はまだ個人サイトを作る人間も多く、そしてなんらかの理由で更新が止まってしまったところも多かった。
いつかまた更新されるかも、という期待の残る跡地は切ないので、自分がサイトを閉じる日が来たら、ちゃんとその旨を掲示して、これまで見てくれた人への丁寧な感謝の文章を書こうと、ずっと前から決めていた。
お知らせのための新規ページを準備して、文章を2行くらい書いたところで思った。
「これもやっぱり死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」
この瞬間の確信は、今思うだに異常だった。
周りが聞いたら些細なことかもしれないけれど、当時の自分の一番の矜持とかこだわりみたいなものが、バツンと切られて散ってしまった。
スイッチが入る、という表現が一番近い。切るのではなく、入るのだ。「死のう」という方向に入ってしまう。
恨んだ人間も、お礼を言いたい人間もそこそこいたけれど、それも全部どうでもよくなってしまった。だから遺書も書こうとしてやめた。
面倒くささのほうが圧倒的に上回っていた。
詳しい方法は書かないが、死に損なって障害が残るのは絶対に避けたかったので、そうなる確率が低い方法をとった。
実行する直前で、就活中に軽い不眠になった時期があり、一時的に処方されていた睡眠導入剤のあまりがあった(このときかかっていたのは普通の内科だった)のを思い出した。
全部飲んでしまおうかと思ったが、胃洗浄などになったら死ぬより辛いという話を聞いていたので、普通より効果が出るだろう、くらいの量だけ口にして首を吊った。
死にたいけれど苦しみたくはない自分が本当におかしかった。けれど、死んでしまえたらもうそういうことも考えないんで済むんだな、と思った。
頭がぼんやりしてきて、手と足の感覚がなくなったとき、ものすごい解放感だった。嬉しかった。
死ぬとわかっただけでこんなに楽になるのなら、もっと早く思いついておけばよかったと思った。そのあたりで意識が途切れた。
目が覚めたら翌日の朝で、床にすごい体勢で倒れており、身体中がばきばきに痛くて、首には紐の跡が残っていた。
要は紐の結び方が甘くて、主に薬の効果で意識が飛んだあとに自重で解けて、そのまま床で寝ていたらしいのだけれども、起きたら「死のう」の気持ちは吹っ飛んでいた。
びっくりした。死にたくなくなったことではなく、あんなにも盲目的に死のうとしていた自分のことが、まったくもってわからなかった。
魔がさすとか、憑き物とかいうけど、ほんとそんな感じだった。あまりにも明確に「どうかしていた」。
自分のしでかしたことが怖すぎて、トイレで吐いた。ついでにめちゃくちゃ腹が痛くなって困惑していたら、普段の周期より1週間も早く生理が来ており愕然とした。
(一部の女性には、ホルモン作用により生理前の時期に鬱に近い状態になってしまうPMDDという症例があるのだが、このとき生理周期が狂ったことも含め、なんらかのホルモンバランスの不調が原因で、それだった可能性がなくはない)(ただ、一因ではあるかもしれないがそれだけではないし、それが理由とも限らない)
首を吊った紐は捨てた。気に入っていたワンピースのベルトリボンだった。悲しくて怖くて服も捨てた。もう一度泣いた。
仕事は休んで心療内科に行って、薬をもらった。首の残った紐のあとは、夜には消えていた。翌日は普通に仕事に行った。次の日も、その次の日も普通に行った。
で、それでなにが言いたいかというと、人はあまりに突然死に取り憑かれて、急に死んでしまうことがあるだろうということである。
ミステリとかで「あの人は近々こういう予定があって楽しみにしていたから自殺なんてありえない」みたいなシーンを良く見かけるが、結論として全然ありうる。
どんな予定があっても、約束があっても、「死のう」は突然やってくる。
あと、死ぬ前に思い悩んでいたことがあったのではとか、誰かに相談はできなかったのか、みたいな話も出てくる。
もちろん誰かに相談したくて、それができなくて思い詰めて、確固たる意志で自死を選んでしまった人も多いと思う。
でも、自分が悩んでいる自覚もなく、ある日突然「死のう」が顔を出すこともある。
準備がなくても、杜撰でも、衝動的でも、一瞬の気の迷いでも、タイミングが重なれば、死ぬときは死んでしまうのだ。
たとえそれが自死であろうが、突然の事故と同じくらいに、本人だってわけもわからず、死んでしまうことは、たぶんある。
だから、他人の死に対し、できればあまり物語を見ようとしないでほしい。
(以下略)
1年近くホストクラブに通っていた。
そんな世界でお金を出せない私は、担当にとって都合のいい便利な客にならなければ客にも見られないと思っていた。
お金を払った上でイヤなことがあっても我慢をするなんて、はたから見たら頭がおかしいと思われるかもしれない。しかし、ホスクラでそれも細客が担当を好きになるというのは、こういうものなんだと思っていた。
いい子を演じれば演じるほど不満や文句が生まれてくるのは当たり前のことである。
ある日、担当に珍しくシャンパンを煽られた。私のお気に入りのヘルプのバースデーが近いから前祝いをしてほしいとのこと。もちろんいつもお世話になっているからと鴨を発揮し、月に遣っている総額を1日で遣った。
その日は入店した時間も遅く、担当が卓に着いていたのは実質1時間もなかった。たまにはこんな日があってもいいかと思っていたが、店を出ると速攻でタクシーにぶち込まれた。見返りなんて求めてはいけないと思いつつもさすがにこれには悲しくなった。
お金を遣ったのに満たされない日の帰り道ほど虚しさに襲われる日はない。
あれ、私今日全然酔ってもないし担当に感謝されてるわけでもないし、何のために店に行って何のためにシャンパン卸したんだろう?今日ほんとに楽しかったっけ?
こんなことを思っても数日したら担当に呼ばれてまた店に行ってしまう。
そしてまた雑に扱われて落ち込んでそれでも好きだから店には行ってしまうの無限ループ。
自分でも好きとか依存とか執着とかお金とか営業とかよくわからなくなってきていた。
「そういえば俺、お前が怒ったとこ見たことないよな〜〜」
担当は何の気なしに言ったと思うが、この時の私には刺さりすぎる言葉だった。
呼ばれた時はできる限りお店に行った。
苦手なヘルプの前でもニコニコ笑って担当が卓にいなくても楽しいふりをした。
連絡が雑でも、約束を守ってくれなくても、誕生日を祝ってくれなくても、担当の負担にならないよう文句ひとつ言わずに平気なふりをした。
だからといって何を感謝をされるわけでもなく、呼べば来るくらいのちょろい客にしか思われてなくてもそれでいいやと思っていた。
お金を遣えない細客はわがままなんて言っちゃいけない。見返りなんて求めちゃいけない。そう思って店に通ってた私のちっちゃいちっちゃいこの頑張りってなんだったんだろう。
なんにも伝わってないじゃん。
なにこれ虚しい虚しい虚しい虚しい。
別にこんなこと思いたくもなかったし感じたくもなかった。こんな風に自滅なんてしていきたくなかった。でももう考え出したら止まらなかったし止められなかった。
私にとっては精一杯の好きと誠意を表したお金も担当にとってはきっとしょぼいお金としか思われてなくて、どんな気持ちで遣ってきたかなんて全くもって考えてもいないんだろうなって。
自分は客で担当にとっては所詮お金でしかないってこと、ホスクラに通ってる女の子はそんなの最初からみんな分かってます。
だからこそ、楽しく通ってるうちはせめて店にいる時くらいは、そんなこと思わせないでほしかった。少しくらい必要とされたり大切にされてるかもって勘違いをして、つまらない日常の現実逃避をしていたかった。勝手に担当を好きでい続けたかった。
きっとこれをホス狂や担当狂いの女の子たちが読んだら、細客が何言ってるんだよって鼻で笑われたのち、勘違いしてんじゃねぇよと私は叩かれまくることでしょう。
担当の為に人生捨てて風俗1本になる勇気もなければ、見返りを求めないこともできなくなった私の負けです。そして私をこんな気持ちにさせて離れることを選ばせた担当はもっと負け。
と思っていたけど、担当は私がいなくなっても別に困ることなんて何もないし、代わりの女の子なんていくらでもいるから全く負けてなんていなかった件。
あー、ただただ虚しい。
KKO「・・・・・・・・・・・」
これ前も見たぞ、未練がましい奴だな
違うよ〜 ブクマがあまりつかなかったから再投稿したの
うんち
なんでそんな奴が好きなのかわからん 男もそうだけど風俗いく奴はわかるけどアイドルの追っかけとかマジ意味わからん
何故ホストに貢ぐようになってしまうのか気になる。