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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

海にゐるのは、あれは人魚ではない。

朝、早い時間に海岸傍の堤上の道路を散歩している時にすぐ傍の海面に白いものが浮かんでいるのを見つけた。最初は海鳥かと思ったのだが、それはたぶん少し前に読んだ恩田陸の「海にゐるのは人魚ではない」を連想したからだと思う。その中で、海岸に数羽の海鳥の死骸が漂着し、それが毒物で死んだ人間の死体をついばんだからではないか、という推理が行われるのだが、それを連想したわけだ。
しかし、より近くで眺めると、それは海鳥ではなく河豚のような魚だった。白いのは腹を上にしていたからだ。近づくと、黒い背中も見えた。
それで思ったのが、「この河豚(仮にそう仮定する。)は自分の毒で死んだのではないか」という冗談である。
冗談ではあるが、なぜ河豚は自分の毒で死なないのだろう。
そもそも、あの毒は何のために存在するのか。
敵からの防御にはならない。毒が相手を殺す前に自分が死んでいるからだ。自分が死んだ後で敵を殺しても意味がないだろう。まさか河豚のような下等生物が「死なばもろとも」という人間的な復讐心を持っているとも思えない。(念のために言うが、以上はすべて冗談思考である。世の有毒植物などは、意味があって毒を持っているわけではない。有毒動物も同じである。世の中のものは何も「人間のために」存在しているのではない。上の考察は、人間的な「功利主義」の冗談化である。利益云々で言えば、世間の功利主義より、冗談こそ「自分や他人を楽しませる」という大きな利益がある。)

ついでに、書いておく。その時、空には黒い雲と白い雲があり、朝日は射し始めたばかりだったが、見ると、黒い雲は地上に近く、白い雲は地上から遠い感じだった。そういう法則性があるとしたら、それはどういう理屈なのだろうか。考えた結果、こういう理屈になった。白い雲は高高度にある雲なので太陽の光を全体に受け、黒い雲は低高度にあるので、早朝の太陽の光をまだ全的に受けていない。そのために高高度の雲は白く輝き、低高度の雲は暗いのだ、と。この理屈が合っているかどうかは知らない。
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