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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

新コロ問題における「ルールの曖昧さ」

「阿修羅」から植草一秀の記事の一部を転載。明快な論旨であり、問題の問題点を明示している。この「マスク問題」における「ルールの曖昧さ」は「新コロ問題」全般に共通していると思う。たとえば、営業自粛は任意なのか義務なのか政府や自治体の命令なのか曖昧だったから多くの人が困ったはずである。
責任を取る人間や組織が無いから、国民は自己判断で行動しお互いに批判し合い、「自粛警察」が生まれたりしたわけだ。これが「新自由主義社会」の特徴だろう。

(以下引用)

マスクを着用したくて着用している人など、もとより多くはない。

多くの人も、できることならマスクなど着用したくはない。

しかし、他者に対する配慮として、無理をしてマスクを着用している。

集団行動であるから自分のわがままを抑制してマスク着用をしているのだから、他者にも同様の行動を求めるのが普通の感覚だ。

一人だけ「マスクをしたくない」と言い張ってマスクを着用しない乗客がいれば、人々の批難はその乗客に向かう。

乗客同士でのトラブルに発展することも十分に想定できる。

このようなことを踏まえるなら、航空会社は搭乗に際してのルールを明確にすることが必要不可欠だ。

マスク着用を求めるが、マスク着用は乗客の任意の判断に委ねる

のか

マスク着用を義務とする

のかをあらかじめ明示することが必要だ。

マスク着用が任意であるなら、この航空便を利用しないという乗客も現れるだろう。

同時に、マスク着用が義務とされるなら、この航空便を利用しないという人も現れる。

マスク着用が「任意」であることが明確であれば、個人の判断でマスクを着用しないという乗客が搭乗してもトラブルにはならない。

マスク着用が「義務」とされるなら、マスクを着用しない者は搭乗できないことになる。

機内でマスクを着用しない乗客がいれば、降機を求めることも可能になる。

緊急着陸して乗客を降機させることも正当な対応になる。

ルールを明確にしないから、このようなトラブルが発生する。

マスク着用の是非を論じる前に、今回のトラブルの主因が、航空会社のルール設定のあいまいさにあることを確認しなければならない。
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