老人脳のメリット
まあ、「プレジデント」を読むような爺さんたち(稀に婆さん)を喜ばせるために書かれたような記事だが、嘘だろうと思っていても、読めば気分は良くなるのではないかwww
年を取ると記憶力が悪くなるが、それは「不要なことを忘れる」面があり、悪い思い出を忘れるから(一部の老人性鬱病患者を除き)一般的に楽天的になるだろうし、物事を考える際に、若いころのように「どうでもいいこと」まで思考要素の中に入れてしまう無駄が無くなるだろう。それが、「老人脳」のメリットだと思う。
まあ、人の名前などを忘れるのは「不要なことを忘れる」に該当するかどうかは断定できないが、一般論を考察する際に個人名などは不要だろう。つまり、老人は個人的問題を考えるより、社会的な、大きなことを「本質的に」考えるのが向いていると思う。
私がこういうブログを書いているのも、自分の生活のような「(他人から見れば)どうでもいいこと」より、社会全体や世界全体を考えるのが楽しいからである。リラダンの作中の言葉を借りれば、「生活などは召使に任せておけ」である。これは、「生活の世話を召使に任せる」のではなく、「生活すること自体を召使に任せて、自分は古代ギリシャ人のように思索に生きる」という意味に私は使っている。原作を読んでいないので、原文ではどういう意味で使っているかはわからない。
ただし、私は「生活の細部は、生活、あるいは人生の質と大きく関係する」と思っているので、一見些細な事柄を軽視はしない。たとえて言えば、靴の中に小さな石や砂粒が入っているだけで、歩くことや走ることは地獄のようになるだろう。その「砂粒」を取り除くために「生活の細部を考察する」のは大事だと思うわけである。
(以下引用)
年を取ると記憶力が悪くなるが、それは「不要なことを忘れる」面があり、悪い思い出を忘れるから(一部の老人性鬱病患者を除き)一般的に楽天的になるだろうし、物事を考える際に、若いころのように「どうでもいいこと」まで思考要素の中に入れてしまう無駄が無くなるだろう。それが、「老人脳」のメリットだと思う。
まあ、人の名前などを忘れるのは「不要なことを忘れる」に該当するかどうかは断定できないが、一般論を考察する際に個人名などは不要だろう。つまり、老人は個人的問題を考えるより、社会的な、大きなことを「本質的に」考えるのが向いていると思う。
私がこういうブログを書いているのも、自分の生活のような「(他人から見れば)どうでもいいこと」より、社会全体や世界全体を考えるのが楽しいからである。リラダンの作中の言葉を借りれば、「生活などは召使に任せておけ」である。これは、「生活の世話を召使に任せる」のではなく、「生活すること自体を召使に任せて、自分は古代ギリシャ人のように思索に生きる」という意味に私は使っている。原作を読んでいないので、原文ではどういう意味で使っているかはわからない。
ただし、私は「生活の細部は、生活、あるいは人生の質と大きく関係する」と思っているので、一見些細な事柄を軽視はしない。たとえて言えば、靴の中に小さな石や砂粒が入っているだけで、歩くことや走ることは地獄のようになるだろう。その「砂粒」を取り除くために「生活の細部を考察する」のは大事だと思うわけである。
(以下引用)
ハーバード大が突き止めた「年をとるほど脳が活性化する条件」
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