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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

男の「恋愛」と女の恋愛

町山智弘のツィートだが、私は昔のフランス映画を見て、ラブシーンの長さ(セックスシーンが公認されていない時代だったから、愛の告白(口説き)シーンが延々と続くのである。)に実に辟易したのだが、それと対照的事象として思い出したのが、昔の確か少年チャンピオンに一時期連載され、二作目以降は聞いたことがない、「消えた漫画家」による「ふられ竜之介」という漫画で、その主人公は「美しき生徒会長」に恋しているのだが、オナニーした後でその生徒会長を見ると、電波障害のテレビ画面のような容貌にしか見えない、というシーンがあり、これは「男の恋愛」の深層を突いているなあ、と思ったものである。つまり、「射精したら終わり」が男の「恋愛」の常態、あるいは本質だろう。ちなみに、この漫画には「美しき不良少女」というセリフも出てきて、少年漫画の「パターン」をパターンとして認識できる鋭い頭脳の作者だったと思う。そのまま続けていたら、ゆうきまさみレベルの地位に達したのではないか。

なお、私には、女性の恋愛の本質が分からない。「女性は自分を愛してくれる(言い寄る)男性を好きになる」というのが本質ではないか、と思う。まあ、それ以前にビジュアルの問題はあるだろう。そして、「暴力的な(強引な)男を好きになる」というパターンもかなり多いと思う。
いずれにしても、恋愛の本質はかなりいい加減なもので、従って「つらい結果を迎える」のは当たり前なのではないか。逆に言えば「遊びとしての恋愛」が一番安全だろうが、それは「恋愛教信者」には汚らしい感じも伴うだろう。当然、性病と二人三脚だ。



(以下引用)

kei-zuさんのレビュー「つらい結果を迎えることがあっても、人はなぜ恋をするのだろう。本書のあとがきに掲載された著書の所感がすばらしい。 私は、紹介された映画のほとんどをみていませんが、著書の映画語りをたっぷり楽しむことができました(・∀・)」
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