有名人(勝者)の人生
私は、自分が精神的に打たれ弱いことを熟知していたので、20代初期に、「今後の人生の方針」として、有名人になるとか社会的に高い地位に就くことを捨てた。つまり、平凡な無名人として生きることに決めたわけだ。何より、著名人になると顔と名前を世間に知られる(当たり前だww それが「著名人」「有名人」の意味なのだから。)わけだが、それは気が弱く臨機応変な外交能力の無い自分には無理だ、と考えたわけだ。高い地位に就くかどうかは、まあ、自然の勢いに任せるだけであるが、当然、私のように欲望が弱く押しの弱い人間が人を命令する地位に向いているはずもない。欲望の弱さについては、私は昔から「自分の欲望を減らすほうが、欲望の満足にために行動するより楽である」という主義であり、生まれながらの仏教徒的体質らしい。
まあ、その後の人生でいろいろ眺めた結果では、この方針で良かったと思う。下手に「成功者」になっていたら、思わぬアクシデントで破滅していた可能性が高い。勇者には勇者の資質が必要なのである。弱者でも無能者でも、無理な欲望を持たず生きるだけなら無事に生きられる。
もちろん、せっかくこの世に人間として生まれたのだから、いろいろ冒険し、努力して最大の成功を得たいというのは、それもまたひとつの生き方だが、たとえば織田信長の人生は本当に幸福だったか、豊臣秀吉の人生は、徳川家康の人生は、と考えると、私には、それが自分の人生より幸福だったようには思えないのである。まして彼らの栄光の人生が無数の兵士の死の上に成立している以上、それらの兵士の人生はどうなのか、と思う。
まあ、勝利(成功)は必ずその裏に敗者(不成功者)がいるわけで、どんな分野であれ、「他人を蹴落として」得た成功というのは、はたしてそれほど素晴らしい充実感や幸福感を彼ら勝者に与えるものかどうか、そういう立場になったことのない私には分からない。
(以下引用)
まあ、その後の人生でいろいろ眺めた結果では、この方針で良かったと思う。下手に「成功者」になっていたら、思わぬアクシデントで破滅していた可能性が高い。勇者には勇者の資質が必要なのである。弱者でも無能者でも、無理な欲望を持たず生きるだけなら無事に生きられる。
もちろん、せっかくこの世に人間として生まれたのだから、いろいろ冒険し、努力して最大の成功を得たいというのは、それもまたひとつの生き方だが、たとえば織田信長の人生は本当に幸福だったか、豊臣秀吉の人生は、徳川家康の人生は、と考えると、私には、それが自分の人生より幸福だったようには思えないのである。まして彼らの栄光の人生が無数の兵士の死の上に成立している以上、それらの兵士の人生はどうなのか、と思う。
まあ、勝利(成功)は必ずその裏に敗者(不成功者)がいるわけで、どんな分野であれ、「他人を蹴落として」得た成功というのは、はたしてそれほど素晴らしい充実感や幸福感を彼ら勝者に与えるものかどうか、そういう立場になったことのない私には分からない。
(以下引用)
2021
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