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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

就学直後の小学生の徒競走という残酷ショー

子供のころに足が速いというのは、かなり強力な自信につながるもので、それは「自己肯定感」という、一生を導く強い力になる。この自己肯定感が無い人間というのは、気の弱い人間でもあり、押しが弱く闘争心も無い。つまり、自分が勝つことを想像できないわけだ。当然、社会的な成功はおぼつかない。これは私自身のことである。
私の性格のほとんどは、子供のころに足が遅かったことに起因していると思われる。
だが、子供のころに足が速いか遅いかというのは、「走る経験」をどれくらいし、あるいは坂道の上り下りをどれくらいして足が鍛えられているかで決まるものだ、と今は思っている。素質ではなくトレーニングの結果にすぎない。ただ、その「トレーニング」は日常生活の中で無意識のうちに行われているから、誰もそれがトレーニングだとは気づかないわけである。
私の場合で言えば、いつも家の中で横になって漫画や小説や童話などを読んで一日の大半を過ごすような就学前の子供は、いわば「寝たきり老人」と同じことであり、外で友達と駆け回って野球や何やらをしている連中の「トレーニング」量とは比較にもならないのである。
それが小学校に入ると、同じ土俵でスタートラインに就き、ヨーイドンで走らされたらどんな結果になるか、分かりきった話で、みじめにビリを走ることになる。その結果は「自分は本質的にダメな人間だ」という自覚(誤解)になる。それが一生のトラウマと性格形成の元になるわけだ。
このトラウマは勉強などで上位に立っても無くなるものではない。テストの点数などは勉強をやっているかやっていないかだけの話であり、単に紙の上の出来事でしかない。現実に衆目の前で他の子供に引き離されてビリになるという経験の強烈さとはまったく比較にもならないのである。
以上は、就学前のお子さんをお持ちの方へのアドバイスとしておく。(そういう人がこのブログを読んでいる可能性は限りなく低いが。)


(以下引用)

  1. 周りが騒ぐ認められることで自信がつき、大会などに出たり体育祭でもアンカーとかやるようになったりとか、これただ速くなったことだけでなく、成功体験に基づく自信がより速くさせてくれたと思っている。これが、勉強にも当てはまっていたらなぁ(笑)
    1. 結構成功体験から自信を持つ好きになるということはあって、俺が小学校6年生ぐらいから急に足が速くなった。その片鱗は5年生ぐらいからあって、体育館一周競走でクラスで1位になったりはし始めていた。横須賀に6年生の時転校したら、学校で一番になった。俺って、足速いんだと思い始めた。



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