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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「馬鹿なの? 死ぬの?」の論理構造

アニメなどのラブコメ、あるいはラブコメ的シーンで、仲のいい男の子と女の子が喧嘩して、勝気な女の子がやや大人しい男の子に
「あんた、馬鹿なの? 死ぬの?」
というセリフを口に出すことがあるが、私はこれを聞くと「面白いセリフだなあ」とは思うが、「馬鹿なの?」と「死ぬの?」の間に論理の飛躍があるような気が何となくしていた。だが、改めて考えることもしなかったのだが、先ほど、風呂に入っている時にこのセリフの意味、あるいは論理が分かったと思う。だからといって、「エウレーカ」と叫んで風呂から飛び出すほどの「難問解決」ではないが、私には面白いので、こうして書いている。
つまり、この「馬鹿なの?」と「死ぬの?」をつなぐのは、

「馬鹿は死ななきゃ治らない」

という言葉(俚諺、慣用句)なのである。
先ほどのセリフを、論理に忠実に補足すると

「あんた、馬鹿なの?」
「馬鹿は死ななきゃ治らないけど、あんたどうするの?」
「そのまま馬鹿でいるの? それとも死んで治すの?」

となるだろうか。
要するに、「お前は馬鹿のままでいるつもりか、それとも治す気があるのか」
ということが、簡潔で深遠な(笑)「馬鹿なの? 死ぬの?」になるわけだ。

これは、論理の鎖の一部を隠すことでミステリー小説が書けるし、あるいはこのようなウィットに富んだセリフにもなるという、「生活の技術」でもある。

子供がおかしなことを言って周囲を笑わせるのも、そこに「論理の飛躍」があるからだろう。

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