「スターリンのソ連」と「社会主義」
松岡正剛「千夜千冊」の記事の一節である。赤字はブログ筆者による強調。
その矢先、レーニンが死ぬ。十月革命で最大の推進力を発揮したのはトロツキーであったが、中央委員会ではスターリンらの三人組が擡頭した。トロツキーは左翼反対派や合同反対派の一員として排除され、一九二五年には軍事担当を解かれ、一九二七年にはいっさいの役割から放逐された。スターリンは永続革命論を極左冒険主義として唾棄し、一九二九年にはソ連国外追放となったのである。
トロツキーは一九三五年に亡命先をフランスからノルウェーに移して、そこで本書を書いた。もとより執筆能力の旺盛なトロツキーだったので、あっというまに書き上げたのだろう。原題は『ソ連とは何か、そしてどこへ行くのか』というものだった。それがフランス語版で『裏切られた革命』になったのをトロツキーも承認した。このタイトルは、本書執筆の一九三六年の十二月にスターリン憲法が制定されたことを思うと、まさにふさわしい。トロツキーが本書で言いたかったことは「スターリンのソ連には社会主義はまったく存在しない」ということだったからである。
四年後の一九四〇年、トロツキーはメキシコ郊外の寒村でピッケルで脳天を打ち砕かれて死んだ。スターリンの差し金であることが明白になっている。
その矢先、レーニンが死ぬ。十月革命で最大の推進力を発揮したのはトロツキーであったが、中央委員会ではスターリンらの三人組が擡頭した。トロツキーは左翼反対派や合同反対派の一員として排除され、一九二五年には軍事担当を解かれ、一九二七年にはいっさいの役割から放逐された。スターリンは永続革命論を極左冒険主義として唾棄し、一九二九年にはソ連国外追放となったのである。
トロツキーは一九三五年に亡命先をフランスからノルウェーに移して、そこで本書を書いた。もとより執筆能力の旺盛なトロツキーだったので、あっというまに書き上げたのだろう。原題は『ソ連とは何か、そしてどこへ行くのか』というものだった。それがフランス語版で『裏切られた革命』になったのをトロツキーも承認した。このタイトルは、本書執筆の一九三六年の十二月にスターリン憲法が制定されたことを思うと、まさにふさわしい。トロツキーが本書で言いたかったことは「スターリンのソ連には社会主義はまったく存在しない」ということだったからである。
四年後の一九四〇年、トロツキーはメキシコ郊外の寒村でピッケルで脳天を打ち砕かれて死んだ。スターリンの差し金であることが明白になっている。
PR