「根はいい人」という言葉の怪しさ
最近、書いた記事が投稿した瞬間に消える「事故」が多いので、私自身も、この傾向が続く間はあまり長い文章は書かないことにする。
(以下引用)
コンビニやファミレスの店員に声をかけるときに「おい」と投げかける、車を運転している最中に腹を立てれば降車して相手を怒鳴りつけるといった行動を取る人物なら、根がいいという評判も疑わしい。どんなに「根はいい人」と評されていても、他人に迷惑をかけることを何とも思わない人物であれば、社会的には害悪でしかない。
つまるところ彼らは「いい人」と「悪い人」を意識的に巧みに使い分けており、自分がよく思われたい相手の前でだけ「いい人」になりうる。つまり、身近な存在でもない限り、誰がみても「悪い人」の部類なのだ。
今回、私の投稿をみて「刺青を入れているからといって悪人だと決めつけるな」とコメントした方々は、きっと「根はいい人」と評される類のわずかに残った人間味に触れた経験があるのだろう。そうでなければ、誰が見ても「悪い人」の部類に入ってしまう刺青が入った人たちを擁護する気になんてならないはずだ。
人的なトラブルが発生したときに「根はいい人なんだけどな……」と語ることがあるが、そんなときは、必ず悪評とセットになっている。「根はいい人だけど、怒ると我を失ってしまう」「根はいい人だけど、約束を守らないところがある」といった話は典型的な例だろう。
「根はいい人」といわれている人は、他人に数々の不利益を与えているにも関わらず、どこか憎めない性格や愛嬌を免罪符にしている気配がある。すでにあなたにとって不利益が発生しているのであれば、どんなに根はいい人でもあなたにとっては害悪であり、付き合いを続けることによってあなたが損をする。
ちょっとした面倒くらいの損なら許せるかもしれないが、「根はいい人」のために自分の人生までもが狂わされてしまってはたまらない。現代はとかく内面重視が美徳とされがちだが、花や葉の情報から根の毒性を選別することも大切だ。