忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

自己愛の返照としての恋愛

私は、「人間は自己愛の動物だ」と定義しているのだが、その自己愛は単に動物的な自己保全本能の域を超えて、幻想の域に達するのが動物との大きな違いだろう。
そして、ここからが問題なのだが、その自己愛は「自分に存在価値が無い」という強迫観念が強い場合には自分に執着してくる他者への過大な評価になり、愛情や恋愛にまでなる。これが「娼婦とヒモ」の関係である。娼婦は、自分がヒモを養っていることに誇りを持つのである。ヒモがどれほど人格低劣で、彼女をいくら裏切ろうと、泣いて彼女の元に帰れば、彼女はそのヒモを許すだろう。ヒモに依存しているのは、実は娼婦の方なのである。
自分に依存する存在を愛するというのは、母性愛にもペットを愛する気持ちにも似ているが、違いは、母性愛やペットへの愛には「自分に存在価値が無い」という欠落感はさほど必要ではないことだ。(封建時代には「子供を産めない女には価値がない」とされたという問題があったが、現代の女性は「子供を持たない」ことにさほどの欠落感は無いかと思う。)
で、ダメな男というのは案外女から愛される、というのも、女性が相手に対して優越性を感じ、そのために「自己価値の上昇感」があるからだろう。
要するに、人間の感情や人間関係の基本は自己愛であり、他者への愛というのもそのバリエーションにすぎない、ということである。
自己愛と縁が薄いのは、「学問への愛」くらいだろう。これは学問自体を純粋に愛するのである。
自分というものが確立していて、特に他者からの評価を必要としない人間は、あまり恋愛向きではないと思う。相互依存が恋愛の条件なのだから。
PR