子供を産む道具としての処女の意味
当然、性奴隷としたのだろうと誰でも想像するが、それならなぜ「処女」限定なのかが分からない。美女だけ残し、ブスは皆殺しにしたのなら、性奴隷にしたと考えられるが、そうではないわけだ。では、なぜ処女限定なのか。まあ、処女相手のほうが性的快楽が大きいという可能性もゼロではないだろうが、挿入の面倒くささ、相手が暴れることなど、セックスの相手として処女が適切だとも考えにくい。処女とのセックスのほうがいいというのは、かなり形而上学的なものだろう。あるいは性的に爛熟したサークルでの趣味的なものではないか。
ということで、古代社会において処女が尊重されたのは、明らかに、「他の男と寝ていないから、かりに妊娠したら確実に、その処女と性交した男のタネである」という、血族主義によるものだろう。これは「家制度」の根幹でもある。だから中世までは家制度の下で処女は尊重されたのである。遊ぶ相手、遊びのセックス相手なら遊女でいいが、家に置くなら貞潔な女でないと家制度が崩壊するわけだ。
つまり、他部族から奪った処女たちは「子供を産む道具」として利用されたというのが私の推理である。
(以下引用)
モーゼは旅の途中で死ぬが、その後のユダヤの指導者ヨシュアは、カナンの地の先住部族を次から次へと皆殺しにし、その土地を奪ってユダヤ人のものとする。これが神の「約束の地」である。約束の地なら、神が平和的にユダヤ人のために取っておけば良さそうなものだが、他部族を殲滅して奪ったものでも、神が彼らに約束したのなら、その略奪行為は許されるという理屈らしい。ついでながら、カナンの地の近くまで来た時点でのイスラエル(ユダヤ)の民はおよそ60万人である。これだけの数の人間が大移動をしたのは、それだけでも確かに奇跡的ではあるが、食料などを持ってエジプトを出たはずはないから、当然ながらその間に無数の略奪行為があったに決まっている。書かれざる歴史だ。
引用するのも面倒だが、他部族に対する戦い方、あるいは略奪の指令の一例を挙げよう。民数紀略第三十一章
「モーゼすなわち彼らに言いけるは、『汝らは婦女どもをことごとく生かしおきしや。見よ、是らの者はバラムの謀計によりイスラエルの人々をしてベオルの事においてエホバに罪を犯さしめ、遂にエホバの会衆の中に疫病おこるに至らしめたり。されば、この子等のうちの男の子をことごとく殺し、また男と寝て男知れる女をことごとく殺せ。ただし、未だ男と寝て男知れる事あらざる女の子はこれを汝らのために生かしおくべし。云々』」
ついでに、その略奪品の例
「その略取物すなわち軍人たちが奪い獲たる物の残余(神への供物の残余)は羊67万5000、牛7万2000、驢馬6万1000、人3万2000、是未だ男と寝て男知れる事あらざる女なり。」
その処分は、神への供物にそれぞれの50分の1を取った後、戦に出た者に略奪品の半分を与え、残りを戦に出なかった者で分けるというような感じである。
エリコ(ジェリコ)の戦いの前に、エホバがモーゼに言った(とされている)言葉。
「汝らヨルダンを渡りてカナンの地に入る時は、その地に住める民をことごとく汝らの前より追い払い、その石の像(すなわち、彼らの信仰する偶像)をことごとく壊し、……その地の民を追い払って其処に住むべし。……されど汝らもしその地に住める民を汝らの前より追い払わずば、汝が残し置くところの者、……汝らを悩まさん。且つまた我は彼らに為さんと思いし事を汝らに為さん。」
つまり、敵を殲滅せよ。そうしないと、神がお前たちを殲滅するぞ、ということをモーゼは彼の率いる民に神の言葉として言ったわけだ。
ユダヤ教の基本部分は、こうしてエジプト脱出とその後の40年以上もの放浪の間に作られたと推定できるが、もちろん、その大半は、ユダヤの民族宗教を元にしてモーゼが「神の掟」を追加したものだ。つまり、宗教の伝説的部分は伝承を利用し、規則部分はモーゼの創作というわけである。