忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

女性と男性のモラル受容の違い


「彼はそういいながらマーク・ガスケルという男を観察していた。あまり好感のもてない男だった。無節操な、強欲そうな顔で、頭が禿げていた。こういう連中はたいてい、何事につけても自分の思いどおりにしようとするから、往々にしてかえって女性から尊敬されたりするものだ。」
      (アガサ・クリスティ「書斎の死体」高橋豊訳)

「まったくこすからい男ですわ。彼は金と結婚したのですよ。ガスケルさんにしてもたぶんそうでしょう」
「あなたは彼が好きじゃないんですね」
いや好きですよ。たいがいの女はそうでしょう
       (同書より。)

ふたつめの引用でガスケルを「いや好きですよ」と言っているのはミス・マープルである。つまり、この言葉は作者自身の考えを反映していると見ていい。
このふたつの引用は、「女性はモラルを嫌悪している」ということの例証として挙げたものだ。もちろん、そのモラルが自分にとって都合がいい場合は、それを盾に取って利用するが、実際はモラルを嫌悪していると私は見ている。
なぜならば、「モラルとは禁止の体系である」からである。禁止や束縛ほど女性を苛立たせるものはない。それは男性でも同じだと言うかもしれないが、男性はモラルの必要性を論理で納得し、受け入れることが多い。これが、哲学者はほとんどが男である理由でもある。
で、受け入れるだけでなく、それが嫌々であることを誤魔化すために、男性はモラルという鎖を愛しさえする。これはフィクショナルな愛だが、やがて本心からモラルを愛する。女性はその虚構性を本能的に嫌悪するのである。

PR