公平でありたいという気持ちのもたらす不公正
これもまた実に鋭い指摘である。我々は第三者同士の争闘を客観的かつ公平冷静に判断しようとする。つまり、真正のクズの言い分にも三分の理はあるだろうという地点から出発する。すると、クズの発言には過度に同情的になり、正しい側の方には少しでも「ツッコミどころ」があるとそれを「非」として減点するわけである。
(言語表現自体、本質的に、100%嘘で構成することや100%正確な表現は不可能。)
(言語表現自体、本質的に、100%嘘で構成することや100%正確な表現は不可能。)
- 小田嶋隆 @tako_ashi 49分49分前
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「対等な大人同士が争っている以上、一方にだけ100%の理があって、もう一方が全面的に間違ってるなんてことはないはずだ」 という人々が先天的に備えている「フェアネス」の感覚が、クズを生存させている。 だから、わかってくれ。ソーニャよ、真正の邪悪なクズというのは、実在するのだよ。
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なんというのか 「あまりにも致命的に間違っていて、信じられないほどウソだらけのことしか言っていない人間」 は、あるタイプの人間にとって「聖者」に見えるのかもしれない。 「あたしが守ってあげないとあの人は滅びてしまう」 みたいな。 実際すでに滅びているのだが。
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傍観者の中には、争点を見ずに 「この人のこの言い方は失礼だな」 とか 「こんなに容赦なく追い詰めないでも…」 てな調子で、最終的に 「どっちもどっち」 の評価で安心したがる意気地なしの甘ったれが必ず含まれている。 で、クズの中のクズと 「どっちもどっち」 にされる。丸損だよ。
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そんなわけなので、著しくクズ度が高い本物のクズは、やがて誰も触らなくなることで、言論界での生存の場を確保していたりする。 不可思議なのは、その本物のクズを死ぬ気で擁護する勘違いしたナイチンゲールみたいなメディア業界人が現れることだ。 誰とは言わない。損をするだけだから。
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なので、こっち側にはひとつも悪いところがないのに、判官びいきだったり、元々自分に反感を持っている人間が決めつける架空の「非」を2割方は背負うことになる。 つまり、ある種のクズみたいな論敵は、「触るだけ損」てなことになる。誰だとは言わない。どうせ損をするから。
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先方に100%の非がある論争は、実は不利だ。 外形的には圧勝なのだが、傍観者は、五分五分の地点から公平に評価しようとする。 で、 「たしかに、8対2ぐらいでAさんの方が正しい感じだけど…論争になっている以上Aさんの側にも多少の非はあるはずだ」 というふうに評価しがちだからだ。(続く)
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