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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

他者の失墜の与える快感

今再読している「大菩薩峠」の中に、「人が困るのを見て快感を覚えるのは人間に共通しており、軽いものではからかいやイタズラ、悪質なものはいじめや加虐趣味に至る」という趣旨の言葉があり、なるほど、残虐趣味や加虐趣味というのは特別な人間に限定されるのではなく、通常の人間性の極端化したものなのだなあ、と目を開かれたのだが、なぜ我々は他人が困る姿を見て快感を覚えるのかと言えば、それは相手の「失墜」を見るのが快感なのだろうと思う。
「人間は自己愛の動物である」というのは私の持論で、それは動物一般の自己保存本能に根差していて当たり前のものなのだが、人間はその知力によってそれを過剰に発達させ、単なる自己保存のレベルを超えた異常なものになっている、というのがその趣旨だ。
そして、「他者の失墜」は「自分の相対的な上昇」となるから快感となる、というのが私の分析である。他者を笑う(嘲笑する)という行為の快感はすべてそれである。


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